【創作長編小説】ルシルのおつかい 第五話
第五話 リストに書かれていた過去
命を助けられたら、命を助ける。
そんなシステムなのかと思った。
「あの……、俺、助けられた……、んですよね?」
悪天候の中、船が座礁し、気が付いたら船から遠く流されていた。旅人は、そこまで覚えていた。
どうやらどこかの岸に流れ着き、誰かに助けられ、しばらく眠っていたようだ。
今、旅人の目の前には、額に一本の角がある長い黒髪の女性。「一角人」だ。
俺は、一角人の住む大陸に流れ着いたのだ。
一瞬でそこまで理解した。が、解せないのはそれからだ。
「この赤子を、人間の住むところで育ててください。どうか、お願いします……!」
玉のような赤ちゃんを大事そうに抱いた一角人の黒髪の女性は、涙を流しながらなぜか旅人に託そうとしている。
助けてあげた恩として、俺に赤子を育てろと!?
「俺、意識取り戻したばかりだよね!?」
海で助かった経緯の話、それから介抱され意識を取り戻した今現在旅人が置かれている状況、そして飲み物とか食事とか場合によっては薬とか、そういうものすべてすっ飛ばし、託児依頼をされていた。
「申し訳ない。事態は急を要するのです」
一角人の老人が、頭を下げた。
老人の隣に、赤子を抱えた先ほどの黒髪女性がいる。
「失礼します」
部屋の向こうから、声がした。それから三名の一角人が、部屋の扉を開けて入ってきた。
柔らかな金髪の小さな男の子と女の子、そしてその母親とおぼしき、金の長い髪の女性、その三名だった。
小さな子たちの母の手にはお膳。彼女は、旅人のための食事を運んできてくれたのだった。
凛とした美しい女性だな。
豊かな金の髪と、神秘的な緑の瞳。
一角人の魔法の一種なのかもしれない。
質素だが清潔に整えられた部屋の景色から切り離され、まるで光り輝くように見えた。
旅人は、小さなきょうだいらしき子どもたちを連れた母親に、一目で心を奪われそうになる。でも、子を連れているということは、結婚しているはず、この女性のご主人がいるはずだ、と急いで左右に首を振り、視線を老人と黒髪の女性、そして赤子のほうへ戻した。
話す口調や互いの目配せ態度など、なんとなくだが――、この一角人のひとびとは、家族や血縁関係ではないように思えた。いや、小さな男の子と女の子の傍にいる女性は、間違いなくその子たちふたりの母なのだろうけれど。
「この赤子は、『女王』と呼ばれる特別な存在なのです」
老人は旅人に食べるよう勧め、旅人は勧められるまま、あたたかな料理を口に入れた。空っぽの胃、疲れ切った体に、染み渡るようだった。
話は、全然頭に行き渡らなかった。
「え、女王!? あなたがたは、王族の――?」
「いえいえ、違います。私たちの世界に、あなたがたの世界のような王制はありません。そして私は、この世界の代表などではありません。私は単なる戦闘系に秀でた能力者。このようにすっかり老いておりますが」
と、老人は自らを称し、赤子を抱いた女性は、
「私は防御系の能力者です」
と述べた。
「ええと、能力者って……?」
よくわからない。一角人は魔法を使うと聞いたことがあったが、能力者という言葉はなんだろう、と旅人は戸惑う。
「我々が、魔法を使えるということはご存じですね?」
老人が旅人に尋ねる。
「はい。一角人は皆、魔法使いだと聞いてます」
自分たちの国々で、「魔法使い」と呼ばれる存在は、人間の社会で暮らす一角人本人か、その子孫であること、それは周知の事実だった。人数こそ多くないが、権力者の傍で働いている魔法使いの話を聞くし、身の上話として、魔法は使えないけど実は一角人の血をひいているのだと語る人に、実際出会ったこともある。
「魔法の能力は、様々です。そして、その力の強さも」
「この赤子は――、生まれつき天から祝福された、特別な子なのです――」
老人と赤子を抱いた女性が、そのように説明した。幼いきょうだいたちと彼らの母親は、黙ってただうなずいている。
「特別な使命と強い力を持って生まれた子。この子は、一角人の豊かな暮らしを約束する、天からの授かりものです」
肝心の赤子は、老人と女性の証言通り、いや違った意味での大物なのか――、すやすや眠り始めていた。
「な、なぜそんな大切な赤ちゃんを、流れ着いた人間の旅人に過ぎない俺に頼もうとしてるんです……?」
老人と黒髪の女性は、険しい表情を浮かべた。
「……人間の中には、我々の世界を侵略し、自分たちの領土を広げようとする者が時折現れるようですね」
老人が、語る。
「我々の世界にも、そんな考えの者が生まれてしまった――」
黒髪の女性が、老人の言葉を継ぐ。
「この祝福の赤子、『女王』の力を得て、我らの世界、そしてさらには人間の世界をも手中に収めようとする、どす黒い野心を持った者が現れたのです――」
一角人の世界も、人間の世界も、自らの手にする……?
そこで、金の髪の女性、ふたりの幼いきょうだいの母が、口を開いた。
強い眼差しで、旅人を見つめる。
「『女王』として生まれたその赤子は、私の姉の子です。姉も、姉の夫も、そして、私の夫も――、その狂った野心の持ち主に殺されたのです――」
旅人は、絶句した。恐ろしい野心を持つ一角人に、この女性は大切な家族を奪われたのだ――。そして、その野望は二つの世界を掌握しようとするというもの――。
「あの男――、フィアライが、結界で隠したこの場所を見つける前に、『女王』を連れて人間の国へ連れ出して欲しいのです……!」
その男の名は、フィアライ、というのか――!
旅人が男の名を心に刻んだ、そのときだった。
ゴゴゴゴゴ……。
家が、大地が揺れた。
空気が震えるようだった。
「まさか、こんなに早く、ここが――!」
老人が叫んだ。
「強化の法……! 結界にて隠されし小さき家よ、我らを悪しき存在から守る堅牢な砦となれ――!」
黒髪の女性は抱いていた赤子を、叔母である女性に手渡し、それから叫んだ。どうやら、呪文のようだった。
老人の手には、いつの間にかどこから出したのか、槍が握られていた。
勢いよく、強い風が吹き込んできた。勢いよく、扉が開かれたのだ。
扉の向こうにいは、銀色に輝く長髪をなびかせた、長身の男。
「ふふふ……! この大陸によそ者が入ってきたことは、我の目にもあきらか……! そこから貴様らの考えそうなことなど、手に取るようにわかる……!」
赤子の行方を捜していたフィアライは、漂着した旅人を家に運び入れたことから、結界で守られたこの家を探り当てたようだった。
「フィアライ!」
槍を構えた老人が、フィアライに向かって駆け出す。
「死にぞこないの老体が!」
金属音が響いた。
フィアライは、ニヤリと笑いつつ、剣で老人の槍を受けた。青い火花が稲妻のように走る。特殊な魔法の槍、魔法の剣のようだった。
黒髪の女性、そして赤子の叔母である幼子たちの母は、目線を交わし、うなずき合う。叔母は、赤子を抱いたまま幼子たちを引き連れ、扉とは反対方向へ駆け出した。きっと、裏口から脱出するのだろう。
黒髪の女性が、呪文のような言葉を叫び続ける。きっと、老人を守り、老人の力を増すような呪文なのだろう。
激しい光と風。家じゅうの扉や窓が音を立てて吹き飛び、家具だったものが破壊され暴風と一緒に渦を巻く。砕かれた物の破片が直撃しないのは、黒髪の女性の魔法による防御のためだろう。
嵐のような中、槍と剣、老人とフィアライの激闘が繰り広げられ――。
ドッ……。
勝敗は、突然決まった。
風が、止んだ。
「貴、様……!」
血が吹き上がる。
剣が、体を貫いていた。
「消化のよいごはん。それがすべてだ。おかげで体力も回復したし、受けた恩は、戦う理由になる」
笑う。笑っていたのは――、旅人だった。
旅人の手には短剣。戦いを繰り広げるフィアライと老人の間合いをかいくぐるようにして、短剣でフィアライの胸を刺し貫いていた。
「ま、さ、か……! この私が、名もなき人間の……、死にぞこないの人間の手に……!」
旅人は、フィアライの胸から短剣を引き抜く。
「名はなくもねーよ。俺の名は、グローイだ」
旅人は冥途の土産とばかりに自己紹介をし、フィアライは血を吹き出しながら膝をつく。
「ふ、ふふ……。覚えておこう、グローイか……」
うつむいた背から、こぼれ落ちる銀の髪。
そのまま、命が尽きるのかと思った。
「なに……!?」
旅人も、老人も、黒髪の女性も息をのんだ。
倒れたと思ったフィアライが、宙に浮かび――、そしてもう屋根もなくなったこの家から、飛び去ろうとしていた。
「いいことを教えてやろう……! 私は、双子だ……。私は、生まれる前に弟の魂を取り込んだ……! そしてひとつの体で生まれた……。私の命は、二つあるのだよ……!」
「な、なんだって……!?」
「こんなときのために、ね……! ふふ、これで終わりだと、思うなよ……!」
そう叫ぶと、空へ飛び去った。
「化け物か……!」
グローイは、ぽっかりと広がる空を睨み続けた。
「あれだけの傷を負った。大きな魔法も使った。フィアライがふたたび魔法を使うまでに回復するには、何年かの歳月がかかると思われる」
老人の見立て、そして黒髪の女性の占術では、しばらくの平穏のあと、フィアライは野望を果たすために、いつの日か必ず姿を現すということだった。
「改めて、グローイ殿。そなたに『女王』を預けたい」
老人、黒髪の女性、赤子の叔母の総意だった。それは、他の一角人たちの総意でもあった。
「『女王』の力を、封じます」
黒髪の女性が、赤子の額に手をかざす。赤子の額にあった、かわいらしい一本の角が消えた。
「俺に、育てられるんだろうか――」
赤子の叔母が自分の子たちの肩に手を添え、美しい緑の瞳を細めた。
「大丈夫。私も、私の子どもたちも一緒に行きます。あなたは、私たち親子と姪と、人間社会の橋渡しになってくだされば、それでいい」
「あなたがたも――!」
思いがけない申し出だった。緑の瞳の微笑みに、場違いにも、不謹慎にも、胸の高鳴りを感じた。
もしかしたら――。
ずっと、旅の人生だった。
目的があったわけでもなく、様々な土地に趣き、人生を、この世界を命の限り楽しんでいきたい、そんな理由で旅をしていた。
もしかしたら――、新しい運命の扉が開いたのかもしれない、グローイは、おぼろげながらそんなことを思った。
自分のためだけじゃない、誰かのために生きる。そんな生きかたも、いいのかもしれない――。
「『女王』。彼女の名は――、ルシルといいます」
赤い髪の、女の子だった。
この時点で、グローイは気付かない。
自分が、家族を見つけたことを。
自分がフィアライをおおむね倒した、おおむね勇者だということを。
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