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【創作長編小説】悪辣の魔法使い 第17話

第17話 魂宿りの物

「別にお前さんを追いかけているわけじゃあないよ」

 古びたテントの店主の、金色の瞳が、やけに鋭い輝きを帯びていた。

「飲み物でも、飲むかい? 私もそろそろ一服したいと思っていたんだ」

 店主は魔法使いレイオルに向かって楽しそうに呟きつつ、ストーブの上のポットに手を伸ばす。

「お前さんと私は、目的地が一緒だからね。自然と交差する運命なのさ。だから出くわすこともある。しかしだからといって、お互いどうということもないだろうけどね」

 店主の言葉に、レイオルはうなずく。うなずいたのは、店主の飲み物の誘いへの返事ではなく、交差する運命でも、別に特別ななにかがあるということでもない、という点についてのみだった。
 目的地が同じ――、つまり、このテントの持ち主も、ウォイバイルの眠るところ、隣国の雪白山せきはくざんと呼ばれる山のふもとを目指して旅をしているのだった。

「商売っ気がないな。本腰入れて客を捕まえる時間だろうに。それとも、飲み物の販売も始めたのか?」

 レイオルは久々の対面とは思えないような、無愛想とも取れる声で返事をしつつ、主人から湯気の立つカップを受け取った。
 たっぷり注がれた琥珀色の液体から、深く心が安らぐようなよい香りがした。

「うまいな。いくらで売るつもりだ? これだけでも充分店が開けるぞ」

「お前さんからは、金は取れないよ。恐ろしくてね」

 店主はおどけたような笑みを浮かべつつ、肩をすくめる。そして、自分のカップを一口すする。店主のカップは、どこかの国の骨とう品なのだろう、珍しい色合いの釉薬を施したカップだった。

「なにを言う。ライリイ。お前には、怖いものなどないだろう」

 店主の名は、ライリイといった。

「同じ言葉を、そっくり返すよ。レイオル。私とお前さんは、まるで映し鏡のようだ。ただし、私はお前さんほど身の程知らずじゃあないけどね。私は命がひとつしかないってこと、そしていかに人の体がもろいかということ、人の力の非力さも重々承知している。だから、積極的に危険な橋を渡るつもりはない」

「眺めるだけか」

「そう、眺めるだけ」

 ライリイとレイオルの会話の間、何人かの客がテントを覗き込んでいたが、店主ライリイは一向に構わない。客の気を引くことも、売り込むようなこともしない。

「商売の邪魔になると悪いな」

 買い物客の邪魔にならないよう、レイオルはテントの中にお邪魔することにした。ライリイはレイオルがずかずかと自分の店であるテントの中に入っても、困惑する様子も歓待する様子も特にない。遠慮しているのか大胆なのかわからない、レイオルの常識外といえる行動に、ただ愉快そうに肩を小さく揺らして笑っただけだった。
 立ち寄る客たちは、この辺りで滅多に見ないような珍しい品々を興味深そうに眺めていたが、他の店より高額な品が並んでいるからか、財布の紐は緩まずすぐに立ち去って行ってしまった。
 ライリイはレイオルに、椅子に座るよう勧める。

「これ、売り物なんじゃないか」

 それは、小さな三本足の椅子だった。

「そうだよ。でもどうせ中古品だ。椅子は座るもんだし、売るときは安くするし、この椅子のためにも座ってやってくれ」

「なるほど。この椅子、しっかり魂が宿っている。じゃあ、遠慮なく座らせてもらう」

 普通、魂が宿っているなんてわかったら余計座れなくなるだろうが、魂宿りの椅子は、座ってほしい、と小さな声で述べていた。レイオルはライリイと椅子自身に勧められ、座ることにする。
 見渡せば――、ライリイの品は魂宿りのものと、入っていた魂を抜いたものがほとんどで、普通の骨とう品はあまりないようだった。
 ライリイが口をつけたカップも、なにかしゃべっている。レイオルが耳をすましてみると、もっと飲め、もっといろんな飲み物を私に注いでくれとカップは訴えていた。一度気まぐれで注がれた酒が、実は気に入っているから、他のグラスじゃなく自分を使ってほしい、しかしライリイは雰囲気が合わないとかで、なかなか酒を注いでくれないんだ、などと愚痴も吐かれてしまった。

『レイオルとやら。お前も私で飲んでみたらどうだ。私に入れられた中身は、必ずうまくなるぞ』

 などといったことまでカップに言われてしまったので、レイオルは「魂宿りの物」たちの話に耳を傾けることをやめた。
 ストーブの上のポットは、湯気を上げ続けていた。たぶん、なにか言っていると思ったが、レイオルはすでに意識を目の前の通常の現実世界に合わせていた。

「近いうち、すべてが終わる。だが、自分で終止符を打とうとは思わない」

 笑顔を交し合いながら歩いていく人の流れを金の瞳に映しつつ、ライリイが呟く。

「でも、見届けたいのだな」

 レイオルは、ライリイの男性とも女性ともとれる端正な横顔をまっすぐ見つめていた。

「ああ。世界の最期を、この目に映したい。しっかりと。昔から私は、夢で見ていた。終末の光景を。何度も、何度も」

「私も、だ」

 しゅんしゅんと、白い湯気がのぼり続ける。外界の夜気と、切り離されたようなテントのあたたかさ――。

 私も、だったんだ――。

 金の瞳が映すもの――、それをレイオルも、見ていた。
 立ち止まり、店内を見つめる客が現れた。

「いらっしゃいませ」

 声をかけたのは、レイオルだった。ライリイは驚き、レイオルの顔を見つめた。

『真面目に、商売しろ』

 小声で諭すレイオル。自分の出現のせいで商売に身が入らないというのに。
 ついに、売れた。小さな額に入った異国の少し寂しい印象の風景画だった。

「無名の画家だが、私が気に入って高い値で手に入れたんだよ。それでもこの値でいいのかい?」

 ライリイは客に向かって、正直に打ち明けていた。客は、それでもいい、自分も気に入ったのだから、と袋に入れてもらった絵を大切そうに抱えつつ歩き去る。

「終末の光景。それを、確かめたいんだ。本当のこの目で」

 客が去ったあと、ライリイはそう述べた。真剣な、一語一句噛みしめるような力強い口調だった。

「絵でも描くつもりか?」

「それもいいかもしれない」

 ライリイは笑う。

「描く時間もすべも、ないかもしれないけれどな」

「いいんだ。私が、記憶する。命は、巡る。運がよければ、生まれ変わった次の世で、伝えてやりたい。確かに、この世界が実在していたことを――」

 すべて、消える。今までの世界のように、すべてなかったことに。

 もし、とレイオルは思った。

 もし、それでも記憶が受け継がれるのなら――。

 テントの上では、星が輝く。それは、何百年、何千年前の光――。

「私のことも、語ってくれるか?」

 レイオルは、尋ねる。

「もちろんだとも。無謀にも世界を変えようとする、悪辣な魔法使いがいたってことをね」

 ライリイは、そう言って笑った。つられてレイオルからも、笑みがこぼれる。

「ご馳走さま。うっかり長居をしそうだ。いい加減、連れのもとへ戻るか」

 レイオルは立ち上がる。

「あの精霊の女の子に、嫌われてしまったよ」

 ライリイは、魔法使いケイトのように、すでにレイオルの連れを把握していた。

「なるほど。ルミは、鋭いな」

 レイオルは失礼にも笑みを浮かべる。言い返しもせず、ライリイはただ苦笑いする。そして、

「お前さんの連れの者たちは、きっと私に近づこうとしないだろう。だから、お前さんからこれを渡してやってくれ。あの小鬼の少年に」

 そう言って、小さな箱をレイオルに手渡す。

「たぶん、あの子なら使えるはず」

「……ちゃんと商売っ気を」

 レイオルは財布を取り出そうとしたが、ライリイは笑顔で拒否した。

「どうせ、金はさほど必要なくなる。これから意味があるのは、生き抜く糧と思い出、それから心、今を見つめる目、だ」

 レイオルは、丁重に礼を述べ、小箱を受け取る。
 それから、レイオルは箱に手をかざし、中身を確認した。開けなくても、レイオルには中身が感じられた。

 角笛。神獣と呼ばれるものの――。

 テントを去り際、振り返り声をかける。

「ああ、言い忘れてた。この町の魔法使い、名前はケイト。彼女も、お前を探し出すかもしれない。彼女の能力では、お前は見つけにくいかもしれないが、な――」

「うむ。私は、同業者から身を隠すのは得意だからな。レイオル。お前さんを除いて」

 ライリイは、様々な高い能力を持っているようだった。気配を巧妙に隠し、同業の魔法使いの探索から逃れられるというのも、その能力のひとつだった。
 
「彼女に見つかったら、首を突っ込むな、と言うといい」

 そのように言い残して遠ざかろうとするレイオルの背に、ライリイの言葉が投げられる。

「おおい、つまり、私に丸投げする気かあ!?」

 レイオルは、未来について知ろうとするケイトを、ライリイを使って、けむに巻こうとしていた。

「健闘を、祈る」

 うまくいけば、時間稼ぎになる。そしてそのまま、私は町を出よう。

 レイオルにはわかっていた。未来について知れば、きっとケイトは自分も旅についていくと言い出しかねない、と。自分もウォイバイルを倒すために力を尽くす、と。

 真人間は、アルーンだけで充分だ。

 角笛の小箱を懐に入れ、レイオルはレイたちと合流すべく足を速めた。

◆小説家になろう様掲載作品◆

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