【創作長編小説】天風の剣 第57話
第六章 渦巻きの旋律
― 第57話 血の契約 ―
暗闇の中。ずっと身動きが取れないでいた。
いや、本当は暗闇ではないのかもしれない、そう思った。
忌々しい、黒いもや。その中では時間の感覚、空間の感覚がない。痺れたような体の中、意識だけがはっきりとしていた。
アンバーめ……!
黒髪の四天王は、アンバーの封印の鎖に縛られたままだった。
くそう……!
様々な抵抗、攻撃を試みた。しかし、しっかりと絡みつく鎖のようなもやを解こうとあがいたが、すべてむなしく力を吸収されてしまうようだった。
そのときだった。
自分の魔の力を遮断されたような状態でも、遠い地からの異様な雰囲気が感じられた。
大きなエネルギーがぶつかり合っているようだった。今まで感じたことのない不穏な空気――。
ん……! これは、いったい……? 外でなにが起きて……。
そう疑問に思った次の瞬間だった。
すさまじい衝撃が伝わり、大気が震える。
これは……! なんだ……?
黒髪の四天王は、ここから遠い場所のエネルギーの異変に動揺しながらも、あるひらめきを手にする。
この異変、この巨大なエネルギーをうまく利用すれば、術が解けるかもしれん……!
封印の鎖に、わずかなほころびができていた。
黒髪の四天王は、そのほころびに自分の力をぶつけ続けた。
まだ、鎖は壊れない。
あと少し……! あと少し……! なにか、きっかけがあれば……!
ガッ……!
不意に、外れた。
自分を取り囲んでいた黒いもやが、突然晴れた。
黒髪の四天王は、驚きで目を見開く。
「誰だ……!」
目の前に、何者かが立っていた。
急に現れたのか、いつからそこにいたのかわからない。
それは、大柄で筋肉質の人間の男性のような体をしているが、犬のような頭部の魔の者だった。その顔はビロードのような美しい黒の短い毛で覆われ、細長く突き出た口には鋭い牙が並ぶ。鋭い光を放つ赤い目は、通常の犬のような配置の二つの目の他に、額にもう一つ目があり、都合三つある。
高い戦闘能力を感じるが、敵意はまったく感じられなかった。
敵意というより、むしろ――。
黒髪の四天王は、首をかしげる。
犬のような頭部の魔の者が、ゆっくりと口を開く。
「私は、かつて四天王の従者だった者です――」
「従者……!」
犬の頭部を持つ、従者と名乗る魔の者は、黒髪の四天王にひざまずいた。
「仕えるべき主を、探していました」
「……もしや、封印の鎖を外す手助けを、お前がしてくれたのか……?」
強いエネルギーの異変、黒髪の四天王自身の力、その他にもう一つ外部からなにかの力が加わり、それでようやくアンバーの術が解けた、そんな感覚があった。
「はい。差し出がましいことを――」
「いや――。礼を言う」
黒髪の四天王の感謝の言葉を聞き、従者と名乗る魔の者は、深く頭を下げる。
「ありがたき、お言葉――!」
ガッ……!
ガラスの彫像のように冷たい美しさをたたえた黒髪の四天王の顔に、たちまち驚きの色が広がる。
犬のような頭部を持つ従者の牙が、従者自身の右腕に深く食い込む。己で己に噛み付いていた。どす黒い血が滴り落ちる。
「私の名は、赤目です。ずっと、自分の力を活かせる場を、自分を自分たらしめる機会を探していました」
「赤目――」
赤目は、血を流し続ける右腕を掲げた。
「偉大なる王よ、どうか私の血の契約を、お受けくださいますよう――」
黒髪の四天王の唇が、かすかに吊り上がる。
「……私の名は、オニキスだ――」
黒髪の四天王の名は、オニキスといった――。
キアランは、愕然とした。
「高次の存在を、四天王が、食べた……!? 空の異変は、それで――!」
シトリンの瞳は、遠く水平線を映し続ける。
穏やかな、海だった。吸い込まれるような青の世界に、日の光がきらきらと彩を添える。
「うん。あの高次の存在の団体さんが行ってたから、あれくらいの異変で済んだけど、たぶん、そうでなかったらもっとめちゃくちゃになってたかも―」
「もっと……、めちゃくちゃ……?」
「みんな、滅んでたかも」
「…………!」
キアランは、絶句した。
みんな、滅ぶ。それは、世界の崩壊を意味しているのだ――。
「それから、たぶんなんだけど……」
前置きをしてから、シトリンはゆっくりと続ける。視線を遠い海のほうへ、そっと据えたまま――。
「食べられちゃった高次の存在、抵抗しなかったみたいだよ」
シトリンのはちみつ色の髪が揺れる。一瞬、キアランはシトリンの言葉の意味が理解できなかった。
「え……?」
信じられないほどの快晴。あまりに、平和な光景。なのに――。
「なんだか、爆発前のエネルギーの流れが、ずっと一方的だった。きっと、その高次の存在は、世界を守るために自分を律して力を出さないようにしてたんだよ」
「世界を守るために……!」
「最後の最期まで」
キアランの、心が震えた。どういういきさつで四天王と高次の存在が対峙したのかわからない。その高次の存在がどんな名でどんな顔かもわからない。しかし――、世界のために最期まで懸命に自分の力を抑えていた、その事実がキアランの胸に迫る。
キアランの頬を、流れる一滴。それは、先ほどの雨ではなかった――。
「生きてて、よかったねえ!」
シトリンが、あらん限りの大声を張り上げる。
「海も、空も、きれい! よかったねえー!」
波音が、シトリンの叫びに応える。
シトリンにとっての高次の存在は、さほど心を動かすものではないのだろう。
シトリンの反応は、ただ、自分や自分にとって宝物のように感じる存在たちの無事を喜んでいる、一見そんなふうに見えるものだった。
「やっぱ、世界は、いいねえー!」
しかし――。シトリンはただ無邪気に謳歌しているだけではなかった。
その声色の響きには、悲しみがまったくない、キアランには決してそうは思えなかった。
高次の存在の最期は、シトリンたちにとっては、感じたとしても伝える必要のない情報だった。それをキアランに伝えた。それはつまり、シトリンにとっても引っかかるものがある、大切な情報と感じた証拠――。
シトリンも、きっと犠牲になってしまった高次の存在のことを――。
キアランは、遠い海に黙とうを捧げた。
あたたかな風が、濡れた頬をなでて通り過ぎていく。
「シトリン! それで、ヴァロさんは……! 他の高次の存在たちは……!」
ハッとし顔を上げ、キアランは尋ねた。
「無事みたいよ」
キアランの口から、思わず安堵のため息がもれる。
「あれから変化はないみたい。たぶん、距離を取ってる」
キアランを支えるシトリンの小さな手。改めてぎゅっとキアランを抱きしめる。
「キアラン」
シトリンの声が、ふだんより低くなっていた。
「あれに、世界を壊させちゃあ、だめ」
「あれ……?」
「禁忌を破る、四天王。そんなことができるってことは、自分以外の魔の者も、高次の存在も、人間も、そして周りの生き物も自然も、みんな、関係ないと思ってる――」
「関係、ない、と――」
キアランは拳を握りしめた。自分の同族だけでなく、他の存在、さらにはこの世界全体に対する恐ろしいまでの無関心――。
力の限り握りしめた拳が震える。キアランの中で、熱い血がたぎっていた。
「あれは、この世界全体にとって敵よ……!」
キアランは、うなずいた。キアランの瞳には一層強い光が宿る。
それから、シトリンの先ほどの言葉を思い出す。
「シトリン! さっき、その四天王は、変わった、って言ってたが……! いったい、なにがどう変わってしまったんだ……!?」
「でっかくなっちゃった」
「でっかく……!?」
「うん! とにかく、大きいみたいなの!」
高次の存在を吸収し、巨大化したようだとシトリンは話す。
黒髪の四天王やアンバー、そしてシトリンよりも手ごわくなった――。そういうことなのか――。
「……あの、おじちゃんの力なら対抗できるかなー」
ぼそっと、独り言のようにシトリンが呟く。
「え」
キアランは思わず聞き返した。が、シトリンはそれからなにかを考え込んでいるようで、黙ってしまった。
「あ」
たくさんの金の光が飛んでくるのが見えた。高次の存在たちのようだった。
「ヴァロさん……!」
高次の存在の一団は、キアランたちの近くに来ることはなく、そのまま元来たほうへと飛んで行く。
「あらー。これ以上の接触は、逆に世界にとって危険だと判断したみたいね」
高次の存在たちは、いったん退却することに決めたようだった。
「シトリン……!」
キアランは、意を決したように呼びかけた。
「ルーイたちを、みんなのもとでも、ユリアナさんたちのもとでも、どちらでもいいから、人間たちのもとへ連れて行ってくれないか……?」
シトリンは、キアランの言葉にうなずく。
「翠! 蒼井!」
それからシトリンは、翠と蒼井のほうを振り返り、彼らに命ずる。
「四聖たちを、人間たちのもとへ連れてってあげて!」
キアランの顔に思わず笑みが広がる。
「ありがとう! シトリン……! それじゃ、私たちは……!」
キアランは、四天王のもとへ行くつもりでいた。
自分が巨大化した四天王のところへ行って、戦えるかどうかわからない。しかし、その恐ろしく凶暴な四天王を野放しにしてはおけないと、キアランは思った。
魔の者の中の禁忌すら破る四天王……! きっと、大勢の人々の命を奪ってしまうに違いない……! シトリンの助力はいらない……! ただ、その場に連れて行ってもらえれば……!
「おじちゃんを、探そうー!」
え。
「シ、シトリン……? なにを――」
「アンバーのおじちゃん、話聞いてくれるかなー」
ア、アンバーだって……!?
キアランがぎょっとし、シトリンの真意を聞こうと思ったときにはすでに、シトリンは全力で青空を飛んでいた。
◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?