【創作長編小説】天風の剣 第56話
第六章 渦巻きの旋律
― 第56話 異変 ―
遠い海は、不吉な黒い雲に覆われていた。
「四天王と高次の存在……!」
キアランは息をのむ。
もしかして――! それは、黒髪の四天王と、カナフさん……!?
他の高次の存在たちの追跡から逃げていたカナフ。姿を消した黒髪の四天王。彼らがどのくらい移動したのか、あのあと黒髪の四天王がカナフの追跡をしていたのかどうかわからないが、四天王と高次の存在が対峙しているとしたら、もしかしたら、彼らなのではないかとキアランは危惧する。
「危ないなあー。なんか……、すっごい危険な感じ?」
シトリンが、水平線をじっと見つめながら呟く。のんびりした口調、愛らしい顔立ちとは裏腹に、その表情は厳しいものがあった。
「シトリン! 魔の者と高次の存在の戦いは、あり得ないんだろう?」
キアランは、思わず尋ねる。それが、掟なのだと今まで聞いていた。
「それが……、普通と違うような気がする」
「普通と、違う……?」
「…………」
シトリンは真剣な表情のまま、ただ海を見続けている。
「ん」
急に、シトリンが首を動かし、今まで見ていたところとは違うほうを見た。キアランの瞳は、シトリンの視線の先を追う。
そこには、空に広がる金の光があった。そしてその光は、こちらのほうに、近付いてきている。
「これは、高次の存在……!」
高次の存在の一団が、ふたたび飛来しつつあった。
キアランたちが目を見張っていると、高次の存在の一団は、まっすぐ黒い雲の下のほうへと向かっていく。
すべてがそちらのほうへと飛んで行くのかと思われたが、その中の二つの光が、キアランたちのほうへ向かってきた。
「また、あなたですか……!」
キアランの姿を見て、そう口を開いたのは、天風の剣を持ち去った、黒髪の高次の存在だった。
「いったい、なにが――?」
驚いた表情のもう片方の高次の存在。それは暁色の髪をした、ヴァロだった。
「あ! 違うんです! 私たちは、四天王たちに囚われているのではなく、他の四天王に襲われていたところを助けてもらったのです!」
黒髪の高次の存在とヴァロの怪訝そうな顔つきを見て、キアランは急いでシトリンたちが敵ではないことを説明した。
「なにー? あなたたち、キアランおにーちゃんの知り合いー?」
シトリンが小首をかしげつつ、黒髪の高次の存在とヴァロを不思議そうに見比べる。
あどけない面差し、おっとりとした口調のシトリンに、黒髪の高次の存在とヴァロはあきらかに戸惑っているようだった。
「他の四天王……? あの、遠い海に感じられるエネルギーの持ち主のことですか?」
ヴァロは、シトリンに問いかけていた。
黒髪の高次の存在は、呆気に取られているようだった。ほとんどためらわず、四天王に話しかけるヴァロの姿に驚きの色を禁じ得ない、といったところだろうか。
「違うよー。あの四天王のおじさんとは違うと思うー。あれはたぶん別のひとー」
ヴァロと黒髪の高次の存在は顔を見合わす。
風が強くなってきた。足元の海のうねりが、大きくなっている。
「ヴァロさん!」
キアランが尋ねる。黒髪の高次の存在は、目を大きく見開いた。
「ヴァロ……! あなたは、自分の名を……!」
「明かしては、いけませんか?」
「ヴァロ……!」
異質な存在であるキアランに対し、自分の名を明かしたヴァロを、信じられないといった面持ちで黒髪の高次の存在は首を振る。
いつの間にか黒雲が辺りをおおい、雨が降り始めていた。
「……とりあえず、四聖は無事のようですし、こちらよりあちらのほうが事態は深刻……! ヴァロ! 私たちもあちらへ急ぎますよ……!」
黒髪の高次の存在は、そう早口で告げると、あっという間に他の高次の存在の群れを追って飛び立っていった。
ヴァロは、小さくなっていく黒髪の高次の存在をただ見送る。
雨足が強くなり、体中を打ち付ける。
「ヴァロさん……!」
「いいんですよ。キアラン。それより、聞きたいことはなんです?」
「あちらで、四天王と高次の存在が対峙しているように感じると聞きました! あちらにいる高次の存在は、カナフさんなのですか!?」
暴風と波の音に声をかき消されそうになりながら、キアランは叫んだ。
「いいえ――」
ヴァロはキアランの瞳をまっすぐ見つめ、首を振った。
「彼ではありません。おそらく、あそこにいるのは、あの地区を担当する者です」
「カナフさんじゃ、ない……!」
キアランは、安堵のため息をもらす。と、同時に――、新たな不安が生まれる。
ヴァロさんが、はっきり違うと言い切ったのは、カナフさんがすでに囚われているから……、なのではないか……?
「ヴァロさ……!」
黒い雲の中、走る金色。それは、高次の存在の発する光ではなく、雷だった。
「キアラン。話は後です」
ヴァロは硬い表情で高次の存在たちの金の光の痕跡を見つめる。
雷鳴が轟く。
「非常に危険な状態のようです。私も行かねば――」
「ヴァロさん……!」
稲妻の明かりに、ヴァロの顔が一瞬照らされる。ヴァロは、微笑んでいた。
吹き飛ばされそうになる暴風と打ち付ける雨、耳をつんざくような雷鳴の中、飛び立とうとしていたヴァロだったが、キアランを振り返り、大声で叫んだ。
「キアラン。四天王のエネルギーの性質が、あの四天王とは違うようです。どうやら、別の者です!」
それだけキアランに告げると、ヴァロは黒髪の高次の存在同様、金の光の群れを追って飛んで行った。
あの四天王とは違う――!
黒髪の四天王、シトリン、アンバー、そして――。四体目の四天王が出現したことを、キアランは知った。
「おっきなエネルギーが衝突しそうになるたび、全員駆け付けなきゃいけないだなんて、高次の存在も大変だねー」
打ち付ける雨粒に目をぎゅっと閉じながら、シトリンが呟く。
のんきなことを、とキアランが思ったとき、自分を支えるシトリンの腕に、力がこもっていた。
え。
シトリンのはちみつ色の長い髪が、キアランの視界一杯に広がる。
「シトリン……?」
どくん。
キアランの全身を流れる血液が、エネルギーの異変を察知した。
シトリンの様子が一変した、そうキアランが思った次の瞬間。
ドーンッ!
聞いたこともないようなすさまじい音が、キアランの耳を襲う。
「なっ……!?」
真っ白になった。
すべてが、時間が、止まってしまったのかと思った。
そして、全身に衝撃が伝わる。
なにが起こって……?
体の感覚が、上も下もわからなくなる。どうやら、シトリンごと吹き飛ばされているらしい。
打ち付ける雨、風、激しい波の音、明滅する空――。
いったい、なにが起こった――!?
体に電流が流れているようだった。それは、衝撃による人体の反応、痛みなどではなく、異常なエネルギーを捉えているためだ、キアランの血が、本能が、そう告げていた。
なにか、とてつもなく大変なことが起こったのだ……!
「翠―! 蒼井―! だいじょーぶー?」
ほどなく、耳に入るシトリンののんびりした声。
え……?
キアランは、呆然としていた。
あれ……?
キアランは、なにが起きているのかまったく理解できないでいた。
ザーン。ザザーン。
リズミカルな、波の音。
いつの間にか、辺りは先ほどまでの異変が嘘のように静まり返っていた。
「大丈夫です! シトリン様! ニイロも無事です!」
翠が答えた。
「こちらも、大丈夫です! シトリン様! ルーイも、フレヤも無事です!」
蒼井も答えた。
雨も止んでいた。黒い雲はどこにもない。明るい日差しがすべてを包み込む。
不自然過ぎる、天候の激変だった。
すっかり濡れそぼった髪、キアランの頬を伝う雨のひとしずくが、先ほどの嵐が夢ではないことを証明していた。
「シトリン! 今のは、いったい!?」
「……ついに、やっちゃったんだなあー」
シトリンが、遠い海を見やりながら呟く。
「え? なに? なにがどうなったんだ!?」
胸騒ぎがする。とても、悪い予感――。
シトリンの小さく細い腕は、キアランをしっかりと抱きしめたままだ。
夢の中のように、シトリンの声が響く。
「四天王が、高次の存在をひとつ、食べちゃったみたい」
波の音が、止んでしまったような気がした。
実際は、そんなわけはないのだけれど。
シトリンの言葉が、確かに耳に入ったはずなのに、脳でうまく処理できない。
なんだって……?
口の中が乾ききってしまったようで、うまく声が出ない。
「史上初、なんだろうね」
風が、濡れた髪を優しく揺らす。
四天王が……、高次の存在を……?
「ふうん……。そうすると、四天王もまた変わるんだねえ」
あたたかな日差し、純白の雲、規則正しく波を刻む海が、かえって恐ろしい事態の幕開けのようで、キアランの心を激しく波立たせていた――。
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