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【創作長編小説】天風の剣 第69話

第六章 渦巻きの旋律
― 第69話 異なる魂、異なる心 ―

 生き物の気配が、漂い始めた。
 深海にも無数の生物が存在する。今までそれらは、四天王たちの破壊的なエネルギーを感じ、どこかへ身を隠していたのだ。
 半透明な体を明滅させるクラゲのような生き物が、キアランたちの目の前を通り過ぎる。

「ヴァロ……」

 シトリンの作った淡い虹色の泡の中、カナフは膝から崩れ落ち、涙を流した。

「カナフさん――」

 一緒に泡の中にいるアマリアも泣きながら、カナフの背にそっと手を添え、必死にカナフの心を支えようとした。
 キアランとライネも、深い悲しみの中にいた。

「シルガーさん」

 アンバーが、シルガーの前に立つ。
 シルガーは、首を少し傾けアンバーを見る。
 アンバーは、笑っていた。深紅の瞳に、強い光を宿しつつ。
 そして、唐突に言い放った。

「あなたは、私が欲しいのではないですか?」

「!」

 漂い始めた異様な空気に、キアランはアンバーとシルガーのほうを振り返る。

「私、というより、私の座が――!」
 
 アンバーの燃えるような目が不気味に光る。
 アンバーは、挑発するような笑みを浮かべていた。

「……なにが言いたい」

 シルガーは、アンバーを見据えた。
 それから、シルガーも笑みを返す。毒々しい、挑戦的な笑みを。

「アンバーさん!?」

 アンバーとシルガーの間に、強烈な闘気のような波動を感じる。突然のことに、キアランは戸惑う。

「急に、なぜ……!」

 動揺するキアランたちを気にも留めず、シルガーを睨みつけたまま、アンバーは続ける。

「あなたは若い。そして、強い力を持っている――。私は――」

 シルガーは、ニヤリ、と笑った。
 
「傷を負い、激しく疲弊している。今が、チャンスということか」

「シルガー! なにを……!」

 思わずキアランは、アンバーとシルガーの間に割って入った。
 アンバーは、なんとか落ち着かせようとするキアランを無視して叫んだ。

「その通りです……! あなたの力、試させてあげましょう……!」

 ザッ……!

 アンバーが素早く体を浮上させ、シルガーの真上へ移動する。
 そして、アンバーは拳を振り上げる。自分を見上げる、シルガーに向かって――。

「四天王アンバー!」

 シルガーが、一喝した。

 だめだ! なぜお前らが戦う必要が……!

 キアランがふたりの動きを止めようとした、その瞬間――。
 シルガーは、そこにはいなかった。
 海底に大きな穴が開き、大量の砂が舞い上がる。
 アンバーの拳は、海底を激しく打ち付けていた。
 
「もう、打撃しか出せないのか」

 シルガーは、数歩下がったところにいた。竜の姿になって。

「な……! なぜ真の姿を……!」

 銀の竜の姿。シルガーが本来の姿をとっていた。魔の者にとって、真の姿とは力の性質や大きさを相手に悟られてしまいやすいものであるため、その状態をさらすことは、通常ありえない。
 シルガーはアンバーを見下ろし、ゆっくりと口を開く。

「急所付近をやられたのか」

 アンバーの肩が、かすかに震えた。図星のようだった。
 アンバーの口から、乾いた笑い声がもれる。

「アンバーさん……」

 異様な闘気は、消失していた。
 キアランやライネ、カナフ、アマリアは、息をのんでアンバーと竜の姿のシルガーの様子を見守る。
 アンバーは立ち上がり、シルガーに向かって姿勢を正す。凛としたその立ち姿は、王者としての風格があった。深手を負っている、そのような状態とは到底思えない――。

「……前に一度。そして、先ほどのパールの尾の一撃で」

『前』とは、キアランとシトリンの攻撃によって負傷したときのことである。

「平気そうに振る舞っていたようだったが?」

「私は、長く四天王であり続けています。それくらいは、まあ」

「あのさっきの『攻撃の質を変えてみた』というやつ、命を削ったな……?」

 アンバーは、笑う。

「あなたには、やはり隠せませんか」

「……なぜだ。なぜ私を挑発した……?」

 シルガーの銀の瞳は、アンバーを射るように見つめる。
 アンバーは、微笑むだけで答えない。

「……後進に道を譲る。疲弊した自分より、まだまだ戦える私を四天王にして、パールを倒す確率を高めようとした、まさかそんな理由なのか?」

「アンバーさん!」

 シルガーの推測通りなのか、思わずキアランはアンバーの深紅の目を見つめた。

 ヴァロさんに続き、アンバーさんまでも自分の身を犠牲にしようと……!

「……醜いと、思ったのですよ」

 思いがけないアンバーの告白だった。
 アンバーは、遠い海面を見上げるようにした。その目は、海を通り越し、空を、天を目指しているようでもあった。

「私は、高みに昇ろうとしていた。魔の者の頂点、四天王であっても、さらにその上を目指そうとしていた――」

 アンバーは、ため息をつく。ひとつの泡が、上る。海面を、出口を目指して。

「そのために、四聖よんせいの力を取り込もうと考えておりました。そして、実際その寸前まで行動しました。でも――」

 アンバーの瞳は、シルガーを、キアランを、皆を見つめる。

「見せつけられたのですよ。その現実を」

 アンバーは、力なく笑う。そこには、強い疲労がにじみ出ていた。

「現実……?」

 キアランが、尋ねた。

「あの化け物、あの巨大な四天王です」

 アンバーは、吐き捨てるように呟く。

「あれと、私は同じなのか……! あの際限なく力を吸収する醜悪な化け物と……! そう思うと、なんだか虚しくなってきましてね――」

 アンバーは、自分の両手のひらに目を落とす。

「他の力を取り入れる。その強さは本当に自分のものなのか。それは、本当に自分の目指していた力なのか。高みなのか。ばかばかしいほど強くなって、いったいその先になにがあるのか――」

 アンバーは、シルガーの銀の瞳をまっすぐ見つめる。

「その先には、滅びしかない……!」

 アンバーの横を、目のない魚が泳いでいく。アンバーは、それを目で追った。
 その瞳には、慈しむような光があった。なにごともなかったように、なにも見ないように泳ぎ去る目の退化した魚を、まるで無事を祈るかのように、アンバーは見送った。

『やっぱ、世界は、いいねえー!』

 キアランの耳に、シトリンの声が聞こえたような気がした。
 シルガーは、静かに、残酷なほど冷静な声で答えた。 

「……あいつは、アンバー、あなたであり、そして私だ」

「シルガー……!」

 キアランは、シルガーを見上げる。恐ろしい竜の姿のままの、凶暴な目がそこにあるのかと思った。荒々しい牙が、突き刺さるように見えるのかと思った。しかし、シルガーはシルガーだった。銀の鱗は冷たい光を放ってはいたけれど、そのたてがみは、穏やかな流れのままに揺れていた。

「私も、あなたも、あいつも、言ってみれば同じようなものだ。私も、あいつや、かつてのあなたと同様に、他者の力を取り込むことをいとわない。しかし、だからどうだというのだ? それぞれ、異なる魂、異なる心を持つ。歩む道はそれぞれ違う。それは確かな真実だ」

「異なる魂、異なる心――」

 シルガーの裂けたような口が、笑う。それは不思議と、優しい笑顔に見えた。

「養生、するんだな」

 ザア……。

 たちまち、シルガーは元の姿に戻る。銀の長い髪を、揺らしつつ。

「私の真の姿も見た。満足だろう? これで、私の力を試すまでもない。四天王」

「……シルガーさん、あなたは、早く四天王になりたいのではないのですか……?」

「キアランにも以前言ったことがあるが――。私は、気が長いほうでね――!」

 シルガーは、右手を自分の腰に当て、片頬で笑う。

「まあ、気分次第……。あなたが元気なとき、そのときはあなたの座を狙うこともあるかもしれないがな……!」

 ふっ、とアンバーも笑った。

「そうですか――。では、次にあなたとお会いするときは、気を付けるようにしましょう」

「そのときは、容赦しない」

「ええ。私も」

「打撃だけ、そんなものは許さんぞ」

「ええ。当然です」
 
 シルガーはうなずき、アンバーもうなずいた。
 アンバーは、もう一度海上を見上げた。

「高次の存在が、うようよいるようですね」

 そう述べてから、ちらりとカナフに視線を合わせる。

「私は、すぐ邪魔に入る高次の存在が面倒で苦手でしてね――。四天王に無抵抗を貫いた高潔な高次の存在、そして、続いてうっかり囚われてしまったあなた、それから――、ヴァロさんのような例外を除いては――!」

 カナフは一瞬、目を丸くした。アンバーの流れるような口調の印象から、犠牲となった高次の存在はよしとして、まるで自分が二回も囚われてしまったドジな男、そう言われているような気がしたのだ。

「おや。気を悪くなさらないでくださいね。私は、褒めているのですよ? 褒める――、というより――」

 そこで、アンバーは真剣な表情になる。

「たたえているのです……! 今回の件で初めて、あなたがたを見る目が変わりました……!」

「アンバーさん……!」

 アンバーは、胸の辺りに右手のひらを添え、皆に向かって一礼した。

「私は、面倒な彼らと会わないよう、ここで失礼します。では――!」

 ここから消え去ろうとするアンバーに向かい、シルガーが声をかけた。

「次に会うとき……」

 アンバーは、シルガーに視線を向ける。

「それは、あいつとの決戦のとき、だろうな……!」

 アンバーの口の端が、吊り上がる。静かな迫力を持って――。

「ええ……! きっと……! 楽しみにしていてください……!」

 サア……!

 水の流れが、アンバーを包む。
 
「アンバーさん……!」

 紳士然と、アンバーは退場した。

 波は、穏やかだった。
 主の行動を感知し、海上にいた白銀しろがね黒羽くろはも姿を消していた。

◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆

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