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【創作長編小説】謎姫、世界を救うっ! 第4話

第4話 芋虫

 またしても、森。

「イヌクマ、地上へ」

 九郎の命令を聞き、不思議な獣――イヌクマ――は、森の中へと下降する。
 そこは、先ほどいた森より、だいぶ離れたところにあった。

 ひええ。下降、早いよ!

 ジェットコースターみたいだ、苦手なのに、と陽菜は、イヌクマのもふもふした毛に顔をうずめた。
 獣、というよりお日様の匂い。ちょっとだけホッとする。

「ここは、磁場が強い。さきほどの森より、安全だ」

 九郎が先にイヌクマの背を降り、それから抱えるようにして、陽菜をイヌクマの背から地上に降ろす。

「あ、ごめ……」

 突然めまいが、陽菜を襲う。獣に乗って空を移動するという、ありえない体験のせいだった。

「すまない、大丈夫か」

 倒れそうな陽菜を九郎が抱き支え、座らせてくれた。ぐにゃり、とした奇妙な物体の上へ。
 陽菜は、まだ少し目が回る感じがしていた。

「ありがと――」

 あ。ほんとは、お礼の言葉なんか必要ないか。めまいがしたのは、九郎のせいなんだから!

 お礼の言葉を撤回しようと、顔を上げた陽菜は、思わず自分の目を疑った。
 
 え!

 一瞬にして血の気が引き、あまりのショックで心臓が止まってしまいそうだった。

「刀! 刀ーっ!」

 陽菜が持たされていた刀。それが、心配そうに陽菜をのぞきこむ九郎の胸の辺りを、思いっきり貫通していた。
 陽菜は、悲鳴を上げた。

 そんな、そんな……! いくら理不尽でもムカついても、私、危害を加える気なんて――!

 今まで、どうやって刀を持ちつつイヌクマの背に乗っていたか、覚えていない。今も、刀などを持っているという実感がなかった。だから、だから九郎を傷つけてしまった、あまりのことに、涙があふれる。

 九郎!

 自分史上最速の腕の動きと渾身の力で、刀を引き抜く。

 あれ。

 不思議なくらい、手ごたえがなかった。全力で引き抜いた勢いで、ころん、と陽菜はひっくり返ってしまっていた。
 仰向けになった自分の顔の上にきた刀には、血がまったくついていなかった。汚れ一つない、ぴかぴかの、金属。

「ああ。これは大丈夫。魔族を斬るためだけの特別な刀。魔族以外のものなら、貫通したとしても、ゆるやかに融合しているだけで、無害だ」

 は?

 え? まぞく? そして、融合、とな? 陽菜の頭に疑問符が並ぶ。

「つまり、私は、平気だ。姫は、なにも恐ろしいことはしていない」

 お、お。

 ぱくぱく、と口を動かせ、九郎を指さす陽菜。確かに、九郎に傷はなく、服も破けていない。
 一気に押し寄せる安堵と、喜び。

 よかった……! 九郎、なんでもなかった――!

 輝く笑顔が広がりそうになったが、素直に喜びを表現するのもしゃくなので、前面に出ようとする笑みを無理やり抑え込み、ここは怒っておかねばと抗議することにした。

「お! おどかさないでよーっ! 九郎が、こんなぶっそうなもの、なんの説明もなしに渡すから――」

 びよん、陽菜が叫ぶと奇妙に体が揺れる。座っている物体、そのせいだと視線を落とす。緑色。自分が座っているのは、苔むした岩なのだろうか、と陽菜は思う。

「ところで、さっきから座ってるこれ、変な感触なんだけど――」

 気が付けば、座っている物体が、緩やかに上下している、気がする。
 しれっと、九郎は物体の正体を明かした。

「芋虫だ。熟睡中の」

 ひっ。

 見渡せば、長く続く、緑色。巨大な芋虫の、頭らしきほうから四つ目くらいの、節の上。

「そんなとこに座らすなーっ!」

 芋虫にまで迷惑をかけるんじゃない、陽菜は平和に昼寝し続ける芋虫の分まで、上乗せして怒ってやることにした。
 そのときだった。九郎が素早く、視線を右方向の茂みに向けていた。

「ちょ、九郎! なに聞いてないふりして――」

 茂みが揺れた。九郎が、見つめ続けているほう。

「陽菜、陽菜さん?」

 草葉が揺れ、声がする。

 え。私を知っている――? その声、まさか――。

「陽菜! だめだ――!」

 九郎が声を上げる。茂みの向こうから、誰かが現れる。それは、意外なことに、陽菜も知っている――。

「陽菜さんじゃないか!」

「前田さん!」

 陽菜は、まさか、と驚く。
 まさか、この「異世界」と説明された奇妙な森で、自分がよく知る人物と遭遇するとは。
 
 どうして、前田さんがここに……?

 陽菜の勤める会社の、三つくらい上の先輩男性だった。とはいえ、違う部署ということもあって、あまり話したことはなかった。会社には、陽菜と同じ苗字の人がいるので、皆陽菜のことを苗字ではなく名前で呼んでいる。そういうわけで、前田も陽菜のことを「陽菜さん」と呼んでいた。

「陽菜さん、こっちへ!」

 なにがどうなっているかさっぱりわからないが、陽菜はうなずき、前田のほうへ駆け出す。

「前田さん、前田さんもこっちに来ちゃったんですか?」

「陽、菜……」

 背後で、九郎の声がする。陽菜は、足を止め振り返る。九郎の声が、苦し気にかすれているような気がしたから。
 腕を掴まれ、ぐいっ、と引っ張られる。
 前田が、陽菜の手を引いていた。

「陽菜さん、早く、元の世界へ戻るんだ!」

「え? 戻れる? 戻れるんですか?」

「ああ、戻れる道を、見つけた!」

 陽菜は、もう一度九郎のほうを振り返る。九郎は――、苦しそうに右手を胸元にあて、左手を陽菜のほうへ向かって伸ばしていた。傍らのイヌクマも、まるで動こうとするのをなにかの力で抑えられているかのように、やや前のめりになりながら、巨大な体を震わせていた。

「九郎!? イヌクマ!? どうしたの――」

 叫び戻ろうとする陽菜を、前田が制する。

「早く! 戻れなくなるかもしれないぞ!」

「え?」

「世界と世界の境界の入り口が、狭くなってきているんだ」

「世界と世界の境界の入り口!?」

「ああ! 僕が見つけた!」

 帰れるんだ、息をのみ、陽菜は大きく目を見開く。

 戻れる……、の……?

 湯気の立つココア、狭いけれど、明るい日差しの入る部屋。段取りを考えた明日の仕事。

 刀に占領されてた、ミニトマト。ミニトマトは、どうなってるかわかんないけど、ラディッシュの鉢には水をやらなくちゃ。

 待っているはずの日常。日常はきっと両手を広げ、変わらず陽菜を待っていてくれている。
 でも、と陽菜は思う。でも――。

「九郎が! イヌクマが! なんか、苦しそうにしてる!」

「彼らは、あちら側の生き物だ! 僕らには、関係ない。僕らは、僕らの世界へ戻らなくては!」

「でも……」

 陽菜の肩を抱くようにして、前田は急いで陽菜を茂みの向こうに連れて行こうとした。陽菜はまだ、後ろを見続ける。
 芋虫が、動き始めた。この騒ぎで、目が覚めたのだろうか。

 あ、芋虫……。

 不思議な世界。変な生き物、変なひとたち。理不尽に、引っ張り回された。時雨しぐれも、こちらに来るはずだという。九郎もイヌクマも、時雨が来ればなんとかなるはず。自分は――。普通に考えれば、選択は、元の世界に戻ること一択。でも、と陽菜は思う。

 九郎が、イヌクマが、苦しそう――。

 陽菜は、九郎とイヌクマのほうを見つめ続けた。
 蠢く芋虫の無数の足。ゆっくりと、動き出す。陽菜と前田から、さらに遠くへ離れるように。
 
「陽菜さん、早く――」

 深い森。差し込む光が、わずかに暗くなる。雲の流れが変わったのかもしれない。
 陽菜の頭に、ふと疑問が湧き上がる。

 前田さんは、私がここにいること、疑問に思わないのかな――。

「行こう! その刀を持って、早く――!」

 前田さん――?

 ベキベキと、枝を折るような音がする。芋虫が、落ちている小枝や生えている草を踏みしめながら逃げていく。体が大きいから、緩慢な動きに見える。しかし、少しずつ、確実に遠ざかる。まるで危険を察知したかのように――。
 陽菜は、改めて前田を見た。唐突に、ばかげていると思えるような考えが浮かぶ。

 このひとは、本当に私の知っている前田さんなのだろうか――。

「陽菜さん……? どうしたの? どうして、立ち止まっているの?」

 前田の顔に、仮面のような笑顔が張り付いていた。


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