【創作長編小説】天風の剣 第115話
第九章 海の王
― 第115話 ぼろぼろの翼 ―
まさか――。
朝もやに包まれた森の中、キアランたちは時を見失う。
シルガーは、呆然とする皆に構わず言葉を続ける。
「王都は壊滅状態だ。それより――」
壊滅状態……! と、いうことは――!
キアランは思わず、シルガーの言葉を遮るようにして尋ねていた。
「白の塔は……! 白の塔は、どうなって……!」
シルガーは、首を左右に振った。
「特殊な環境が、かえってやつの関心を引いたのだろうな。私が活動を再開したときには、もう――」
白の搭が――。
「オリヴィアさんっ」
頭が真っ白になるキアランの耳に、ライネの叫び声が飛び込んできた。
ライネは、強いショックを受け倒れそうになる魔導師オリヴィアを支えていた。オリヴィアは顔を両手で覆い、ライネの腕の中で肩を震わせ泣いているようだった。
あの、白の塔の人々まで――。
町を丁寧に案内してくれた人、おいしい朝食を提供してくれた人々、搭で働く一人一人の、あたたかな笑顔が浮かぶ。
皆、言葉を失った。深い悲しみと衝撃、大きな喪失感――。
キアランは、今にも倒れそうなアマリアを抱き寄せた。キアランの胸で、アマリアは声を殺して涙を流す。
シルガーは、追い打ちをかけるように残酷な事実を知らせる。
「四天王アンバーも死んだ」
「なんだって……! アンバーさんが……!」
キアランは、驚きのあまり叫んでいた。
四天王パールは、王都を壊滅状態にし、四天王アンバーをも死に至らしめてしまったというのか――、キアランは固く握りしめた己の拳を震わせる。
「カナフと白銀、黒羽は生きている。でも、彼らも負傷し激しく疲弊している。今どこにいるのかわからないが、しばらく休眠が必要だ」
淡々と、シルガーは状況を報告した。シルガーの表情は、氷のように冷たく閉ざされていた。それは一見、新しく付けた鋭い光を放つ刃のようなシルガーの右足と同じように、非情で、無機質に見えた。
しかし――。冷たい氷のような銀の瞳、その奥に静かな炎が見えた。凛とした佇まいに、見えない炎のような闘気が隠れている。
これは、怒りだ――。
シルガーの悲しみと怒りの深さ、激しさが、ひしひしと伝わってくる。
「キアラン」
シルガーは、キアランをまっすぐ見据えた。
「やつが四聖のところへ向かうのは、時間の問題だ。空の窓の開くときも近い。こうなったらもう、四聖の守りを固めることを優先すべきだ。お前とフェリックス、そしてもう一人くらいなら、私の空間を使って速く移動できる。一緒に――」
「ありがとう……! シルガー! 頼む! 連れて行ってくれ!」
シルガーがすべてを言い終える前に、キアランが叫んでいた。
「一人!? じゃあ、シルガー! 僕を連れてって!」
花紺青が、シルガーに飛びつかんばかりの勢いで挙手していた。
「ああ。花紺青。魔の者のお前だと、空間維持の力の消耗も少なく私も助かる。まだまだ、私自身も完全ではないからな」
「シルガー、お前、大丈夫なのか!?」
キアランは、シルガーの正直な告白にハッとし、シルガーの身を案じた。
強く堂々とした姿勢を崩さないシルガーだが、右足を失くしていることといい、見せないようにしているだけで、ひどく消耗しているに違いないと、キアランはそこで初めて気が付く。
「ああ。本音を言えば、戦闘はもうしばらく避けたいところだが、移動だけならなんとかなる。よし、キアラン。花紺青。早速行くぞ」
キアランが乗ろうとする前に、キアランの愛馬フェリックスが、シルガーに近付こうとしていた。
「フェリックス」
フェリックスは、シルガーの新しい右足に鼻先を付け、それからたてがみを震わせ一声いななくと顔を上げ、濡れたような大きな瞳で、じっとシルガーを見つめていた。
「そうか。フェリックス。足が違うと言いたいのか。あの蹄のついた足、私も気に入っていた。心配してくれて、ありがとう。でも、これはこれで機能的だし男前だ」
シルガーはそこで初めて笑顔を見せ、フェリックスの首元を撫でた。それはこの前よりは、いくぶん自然な動作だった。
「アマリアさん。みんな。ごめん。先に行く。皆もどうか、くれぐれも気を付けてくれ……!」
陸路を戻る皆が、四天王パールに目を付けられる可能性がないとは言い切れなかった。四天王オニキスの動向もわからない。とはいえ、一刻も早く四聖の元へ行かなければならない。キアランは後ろ髪を引かれつつ、フェリックスの背に乗る。
「キアランさん……! シルガーさん、花紺青君、フェリックスも、どうか、気を付けて……!」
悲しみに打ちひしがれている時間もなかった。シルガーの空間、陸路、二つの方法でそれぞれ出発する。
ルーイ……! 今、戻るからな……!
四聖たちの待つ、ノースストルム峡谷へ向け――。
「キアラン。ちょっと、ここでいったん降りるぞ」
シルガーの作った白の空間を移動していたキアランとフェリックス、花紺青だったが、シルガーの一言で立ち止まる。
「シルガー! なにか、あったのか!?」
「翠と蒼井の気配を感じる。ということはたぶん、シトリンもいる」
シトリンたちが――?
「しかも、気配が微弱だ。負傷しているのかもしれない」
なんだって……!?
そこは、ノースストルム峡谷を目前とした針葉樹林だった。
雪が、静かに降っている。鋭く尖った葉、高く空まで伸びるような木に囲まれ、キアランは落ち着かない気分になる。
「シトリン! 翠! 蒼井!」
「こっちだ!」
凍り付いた大地を駆け、シルガーの指さすほうへと急ぐ。
小さな洞窟があった。その中に、シトリンたちがいる――。
「あ……。シルガー。キアランおにーちゃん、花紺青おにーちゃん……」
そこには、全身に傷を負った様子のシトリンと、奥に横たわったままこちらを見つめる翠、蒼井がいた。
シトリンに比べ、翠と蒼井のほうが怪我の程度がひどいようだ。
「キアランおにーちゃん。安心して。四聖のみんなは無事だよ」
微笑みを浮かべるシトリン。四枚の漆黒の翼のあちこちに穴が開いており、愛らしい頬にも無数の傷跡がある。戦いが激しかったことを物語っていた。
「シトリン……! いったい、これは……」
「四天王オニキスだよ。ちょっと派手にやられちゃったけど、あいつに深手を負わせたよ。それで、撃退した」
「大丈夫か……。シトリン……。すまない……。ひどい目に合わせて――」
キアランは、シトリンの小さな手を取った。手にも腕にも、生々しい傷跡がある。
「ううん。それより、ごめんね。キアランおにーちゃん。私たちも、謝らなくちゃ――」
シトリンは、瞳を伏せた。長いまつ毛が、悲し気に震える。
「結構、人間、死なせちゃった」
シトリンの思いがけない告白に、キアランは一瞬凍り付く。
「え。な、なんだって」
「あのね」
シトリンは正直に話そうかどうか迷っているようだったが、顔を上げ、キアランをまっすぐ見つめる。
「オニキスをノースストルム峡谷に入らせないよう、手前で頑張ってたの。あれは、オニキスと戦ってて二日目のことかな、戦ってるうちについ、私たちもオニキスも、ノースストルム峡谷内に入っちゃったの。そしたらね――」
「人間側が、攻撃してきたのだ。オニキスだけでなく、私たちにも」
シトリンの言葉を、翠が継いだ。
シトリンは、キアランの胸にしがみつくようにして訴えた。
「翠とね、蒼井をね、人間たちが、ひどく攻撃してきたの――!」
「シトリン様も、私たちも、人間に攻撃しないよう耐えていた。でも、人間たちの私たちへの攻撃は、あきらかに戦闘の邪魔になっていた」
蒼井の冷静な声が、シトリンの言葉に割って入る。
シトリンが、澄んだ瞳で訴える。
「頑張ったんだよ、私たち――! 結局、オニキスを追いやることができたけど、人間全員を守ることまでは、できなかった……!」
「シトリン……!」
「いっぱい、死んじゃった――」
キアランは、シトリンを抱きしめた。自分たちが傷を負っても、耐えて戦い抜いてくれた――。以前、確かにシトリンたちは大勢の人間を殺してきた。しかし、今度は人間を守ろうと、身を挺して戦ってくれたのだ――。
「ありがとう……。シトリン。翠、蒼井――」
シトリン、翠、蒼井は笑顔を見せた。
シトリンが呟く。
「人間を殺してきた事実は変わらないし、これからも人間には許してもらえないと思うけど――」
シトリンの背には、ぼろぼろの漆黒の翼。四天王の、誇りの翼――。
「今こうしてキアランおにーちゃんと話せて、よかったってホッとしてるんだ。私たち、頑張ってみてよかったんだなって」
シトリンの顔は、輝いていた。その瞬間、幼い少女の顔が、ほんの少し大人びて見えた。
「本当に、ありがとう――」
キアランは、胸がいっぱいになっていた。人間を襲う魔の者、人間を食らう魔の者。魔の者と人間、わかり合うことは不可能に近いのかもしれない。しかし、絆は生まれていた。関わり合うことで、互いに変わることもできる。キアランの、父と母のように。父が理想としていた世界、実現はできないとしても、近付くことは可能なのかもしれない――。
『生きるとは変わり続けることなのだな』
空の窓が開くまで、あと一週間となっていた。
四天王パール。四天王オニキス。恐らく、それぞれの傷の癒えるころ――。
◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆
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