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【創作長編小説】天風の剣 第92話

第八章 魔導師たちの国
― 第92話 闇からの招待状 ―

 月が、星が、塔を照らす。
 今までいたあたたかな広間から、廊下に出る。少し、肌にひんやりとする空気。

「おやすみなさーい」

 頬を上気させたルーイが、アマリア、ソフィア、フレヤ、ユリアナに明るく手を振る。

「ルーイ君。みなさん、おやすみなさい」

 女性陣の柔らかな笑顔、穏やかな声――。とりわけ、アマリアの微笑みを瞳に映し、キアランは深い安堵の気持ちに包まれていた。

 本当に、よかった――。少なくともここは、皆安心して眠れるのだな――。

 危険と隣り合わせの日々。強い守護の力の働くこの塔の中、完全に、とはいかないだろうが、皆の安全はある程度保証されているようだ。
 キアランの隣にぴったりくっついたルーイは、キアランを見上げ、あふれんばかりの笑みを浮かべる。キアランもルーイに笑みを返す。
 本当に傍にいるんだね、ルーイの笑顔は、キアランが傍にいることを何度も確認しているようだった。

「あ。そうだ」

 ソフィアが、なにかを思い出したのか、短い声を上げた。
 そしてソフィアは、つかつかとキアランに歩み寄る。
 ソフィアはキアランをまっすぐ見つめ――、そして、いきなり叫んだ。

「あんまり長い間いなかったから、忘れてたじゃないっ!」

「……は?」

 キアランは、なんのことかわからず、きょとんと立ち尽くす。

 どっ。

 ソフィアの右手の拳が、まっすぐキアランの胸に当たっていた。
 ソフィアがいったいどういうつもりなのか見当もつかず、キアランはただソフィアの顔を見る。
 赤紫色の美しい瞳は、微笑んでいた。

「あのとき、あたしを助けてくれて、ありがとう」

「ソフィアさん――!」

 あのとき――、それは、四天王アンバーの従者、白銀しろがねの攻撃によって気を失ったソフィアを、キアランが抱え上げ、助けたことを指していた。

「……ほんとは、いっぱい文句を言うつもりだったんだけど」

 ソフィアは、赤いルージュに彩られた唇を、ほんの少し尖らす。

「無事戻ってくれたから、許す」

 キアランに当てた拳を引っ込め、代わりにその手を自分の腰に当て、ソフィアはにっこりと笑った。

「ソフィアさん……!」

 ソフィアは次に、キアランの隣に立つライネのほうへ顔を向ける。

「……あんたも、無事でなにより」

 低い声で呟く。

「なんだっ。その言いかたの違いはっ」

 すかさずライネが食ってかかる。

「元気そうで、なにより」

 言葉は棒読みに近く、さらにソフィアの目は、すわっている。

「無事で元気で、わりーのかよっ!?」

 ダンが慌てて、ソフィアとライネの間に割って入ろうとすると――。

「おかえり」

 ソフィアは明るくそう言って、いたずらっ子のように笑った。

「……おうよ」

 ちょっと面食らいつつも、ライネも笑顔を返す。
 二人の様子に、ぷっ、とキアランは吹き出していた。ダンは、ソフィア、ライネ、それからキアランの笑顔を確認してから、少し遅れて笑顔を浮かべた。
 ダンは、キアランに耳打ちする。

「喧嘩が始まるのかと思った」

 キアランもダンに耳打ちで返す。

「私に対してもそうかと思った」

「私もそう思った」

 ダンとキアランは、ひそひそ話を続ける。
 
「やっぱり?」

「やっぱり」

「女心とは難しい」

「と、言うよりソフィアさんの心は、だと思う」

「なるほど。確かに」

 うなずき合うダンとキアランを、ソフィアが指差す。

「そこーっ! なに男同士でひそひそやってんのーっ」

「お前の悪口だろ」

 すぱーん。

 ソフィアは、さらりと言ってのけたライネの頭を豪快に叩いていた。

「じゃあ、みんな。明日ね」

「おう。また明日」

「おやすみなさい」

「ゆっくり体を休めてくださいね」

 皆、口々に挨拶を交わし合う。
 明日の朝、また笑顔で会える。その揺るがない事実が、キアランの心にあたたかな光を灯していた。
 女性陣は自分たちの寝室へと向かい、キアラン、ライネ、ダン、ルーイ、ニイロ、花紺青はなこんじょうも用意された自分たちの寝室へと廊下を進む。

「こんばんは」

 廊下の奥の暗がりに、笑顔が浮かんでいた。
 一瞬、首だけが宙に浮いているのかと思った。それは、黒衣に身を包んだ、痩せた男だった。

 誰だ……?

 キアランの金の瞳が、血が、かすかにざわめく。
 
 人ではある――、しかし――。

 キアランは暗闇を感じていた。
 男が、口を開く。白い顔に、ぽっかりと黒い闇が広がる。

「まだ、ご挨拶をしていなかったもので――。夜分に失礼かと存じますが――」

 男の目は、笑っていなかった。

「私の名はヴィーリヤミ。ここに住む魔導師の一人です。どうぞお見知りおきを」

 ヴィーリヤミは、キアランに向かって握手を求め、右手を差し出した。
 闇からの招待状のような手。
 キアランの本能が、キアランの足を止めようとする。
 しかし、塔で世話になる身、拒否することは非礼に当たる、キアランは警戒しつつも一歩踏み出そうとした。

「おっとー!」

 ライネが、すかさずキアランの前に出ていた。

 ライネ……!?

 キアランが目を丸くする前で、ライネはなかば強引にヴィーリヤミと握手をしていた。

「俺は、ライネ。魔法使いだ。魔導師なんつーお偉いさんに、短期間に二人も出会えて、すごい幸運、光栄だなあー」

 ヴィーリヤミが言葉を発するタイミングを取らせまいとするように、早口でライネはまくし立て、おまけにヴィーリヤミの手を握りしめたまま、手をぶんぶん振った。

「ここでお世話になりますねー! よろしくお願いしまーす。では、俺らは休みますんで、また後日―」

 ライネは、ヴィーリヤミからぱっと手を離すやいなや、今度はキアランの肩を掴み、強引に自分の側に引き寄せ、ヴィーリヤミから距離を取るようにした。そして、そのまま振り返ることなく歩き出した。
 ヴィーリヤミがふたたび口を開こうとした。すると今度はダンが、

「今日到着した彼らは、長旅と戦いで大変疲れているようです。どうかお気を悪くなさらないでください。もう私どものことはご存知かと思いますが、私の名はダンです。今後ともよろしくお願いいたします」

 そう述べて、ヴィーリヤミに深々と頭を下げた。それからダンは、花紺青はなこんじょうの手を引き、さりげなくヴィーリヤミから遠ざける。ライネとダンの少し不自然な行動を見たニイロも、なにかを察したのかルーイの手を引き、ヴィーリヤミに一礼したのち、そのままルーイを連れて足早に歩き出す。
 ヴィーリヤミの絡みつくような鋭い視線を背に感じつつ、キアランはライネに促されるまま廊下を曲がり、そのまま歩き続け、そして寝室に入った。

「扉よ、四方の壁よ、この空間の安らぎ、閉ざしたまえ。漏らすことなく、守り給え」

 ライネは扉に向かって、素早く呪文を唱えていた。ダンも、ライネの魔法をより強固にすべく、ライネの呪文に重ねるように呪文を唱える。

「いったい、今のは――」

「ただ者じゃねえ。気を付けたほうがいい」

 ライネが真剣な表情で振り向き、キアランに告げた。

「目的はわからないが、なにか探りに来たようだ。警戒するに越したことはない」

 ダンもライネと同じ意見だった。

「今の呪文は――」

「盗聴や、魔法による探りを入れさせないためのものさ」

「……敵なのだろうか」

「あるいは」

 ダンもライネも、キアランの問いにうなずいていた。

「彼は、なんだ? 俺やルーイではなく、キアランを探ろうとしていたようだったが――」

 ニイロが、尋ねる。キアランと花紺青はなこんじょうが、揃って皆にニイロの言葉を通訳をした。キアランと花紺青はなこんじょうの通訳がほぼ同時だったので、皆顔を見合わせて思わず笑ってしまったが。
 キアランの疑問に、ダンが答えた。

四聖よんせいというより、意識の的はキアランと花紺青はなこんじょう。ふたりに強く意識を飛ばしていたようだった」

「え。やっぱり僕も?」

 戸惑う花紺青はなこんじょうに、ライネがうなずく。

「ああ。たぶん、やつはもう見抜いているな」

 長いとび色の髪の、鋭いつり目の男――、ヴィーリヤミ。
 人間の中にも、敵がいる。魔の者たちとの戦いばかりの日々、知らず知らずのうちに忘れていた事実を、キアランは改めて深く心に留めた。

◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆

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