【創作長編小説】天風の剣 第85話
第七章 襲撃
― 第85話 首 ―
「こんなにたくさん……!」
キアランは花紺青が操る板の上に乗りながら、眼下に広がる光景、そしてそこから発せられる強烈なエネルギーに圧倒されていた。
打ち付ける雨の中、押し寄せる黒い巨大な群れ。
前を飛ぶシトリンたちが群れの中心部に近付いたと思われるとき、漂う空気が、そして獣たちの動きが変わった。
「なんだ……! あれは……!」
黒雲が湧き上がるかのように、群れの中から黒い塊が隆起し始めた。
それは、なにかに吸い上げられているかのように空へと高く伸び上がり、不気味に蠢きながら一つの形をとりつつあった。
それは――。
「巨大な……、犬……!?」
あまたの走る獣たちの群れの中央部分に、とてつもなく大きな犬の姿があった。
その輪郭は不自然で、遠目からも刻一刻と微妙に形を変えているのがわかる。
「生き物を操る力――。僕と似た能力の魔の者……! でも、僕より強力だし、これは……、異質な力だ!」
キアランの前に立つ花紺青が叫ぶ。
「異質? いったい、獣たちはどうなってるんだ……?」
ドンッ!
シトリンが、走り続ける巨大な犬のような物体に、破壊のエネルギーをぶつける。
それは、まるで稲妻のような一撃だった。巨大な犬の形をとった物体の、攻撃がぶつかった部分は大きく欠け、即座に飛び散って消えた。
シトリンの攻撃が強力だったため、煙を上げながら一瞬で雨に洗い流されるように消えてなくなったが、その飛び散った破片のひとつひとつは、息絶えた獣だった。
「生きている獣を、くっつけたんだ! そして、それを一匹の巨大な犬として走らせているんだ……!」
「なんだって……! なんてことを……!」
シトリンの攻撃により、犬の形が崩れたが、また群れから吸い上げるようにして新たに犬の形を構成し始める。そして、あっという間に先ほどと変わらぬ形が再構築された。
あの獣たちを操る魔の者は、どこに……!
キアランは集中し、群れの核となる魔の者を探る。
一匹一匹それぞれの、命の発するエネルギーと、覆いかぶさるようにして魔のエネルギーが渦巻いていた。キアランは、そのほとばしるようなエネルギーの潮流の中、一番強烈な魔の気配を見つけた。
「あの巨大な犬の中、中心にいるのか……!」
翠と蒼井も、巨大な犬の形をしたものに光線のようなエネルギーを放つ。またしても、巨大な犬の輪郭は大きく崩れる。
しかし、それもほんのつかの間、また大地を走る群れから、新たに構成される細胞として、命が吸い上げられていく――。
巨大な犬は、走り続けていた。そして走りながら、ぶるっ、と、体――体に見える輪郭――を震わせた。
「シトリン! 翠! 蒼井!」
キアランと花紺青のもとに追いついたシルガーが、叫ぶ。
「あまり近付くな! なにか、やつは奇妙な攻撃を――」
ガアアアア……!
獣たちの集合体、巨大な犬が吠えた。
いや、巨大な犬が吠えたのではない。実際は、核となる魔の者――赤目――が、勢いよく魔の波動を出し、獣たちの体を使って増幅させ、それぞれの獣が一斉に発したものだった。
「うっ……!」
耳をつんざくような轟音だった。それは圧倒するような音の破壊力だけではなく、音として乗せられた魔のエネルギーが、直接脳に衝撃を与えるような波動の攻撃だった。
光線が放たれる。
「蒼井!?」
シトリンが驚きの声を上げた。それは、無理もない話だった。蒼井が、翠に向け、光線の攻撃をしかけていたのだ。
光が走る。
今度は翠が光線のようなエネルギー、衝撃波を放つ。それは、巨大な犬に向けてではなく、蒼井に向けて、だった。
「蒼井! 翠! やめなさい!」
シトリンが叫んだ。しかし、彼らは空中でお互いを攻撃し合う。
蒼井の爪が鋭く翠の胸の辺りを切り裂き、翠の繰り出した右足が蒼井の腹を蹴り上げる。二体の鮮血が、雨に交じって大地に降り注ぐ。
「やめてーっ!」
シトリンが絶叫した。シトリンの持つ魔の力が爆発する。それは、以前シルガーを瀕死の状態にまで追い込んだあのときとは違って、破壊を目的としたものではなかった。
目的や意図。それらは明確に、その魔の者の放つエネルギーの方向性や質に影響を与える。今のシトリンの放ったエネルギーは、翠と蒼井に向けられた、守りを目的としたエネルギーだった。
とはいえ、やはり四天王シトリンによる強い感情から発せられた強烈なエネルギーの波動である。
蒼井と翠は弾き飛ばされ失神し、キアランと花紺青、そしてシルガーも、衝撃に吹き飛ばされていた。
「蒼井! 翠!」
シトリンは、落下し始める蒼井と翠を追って下降し、それから長くうねる髪を使って彼らを抱きとめるようにした。
今のシトリンには、蒼井と翠しか見えていなかった。
蒼井、翠……。よかった――。もう、大丈夫、大丈夫だよ。
従者同士が本気で戦う。他の従者なら驚くようなことではないが、蒼井と翠に関しては、絶対にありえないこと、そうシトリンは思う。きっと、魔の者の術のせいだ、シトリンにはわかっていた。
ふう、と安堵のためいきをつく。
蒼井と翠は、シトリンにとって大切な「ともだち」だった。四天王としての優れた能力を曇らすほどの――。
空気の流れが変わった。
下界から、黒いなにかが空へと飛び上がる。
シトリンの意識から、雨音が消えた。
え。
シトリンはようやく気配を察し、振り返る。
そこには、赤い三つの目を持ち、犬の頭、そして体は人間の姿の魔の者――。
赤目だった。
赤目は、寄せ集めてつけた獣たちの中を素早く移動し、その巨大な犬のてっぺんまでくると、そこからシトリン目がけ、高く飛び上がっていたのだ。
シトリンは、息をのむ。
「あんたが……!」
ザッ……!
赤目の長く筋肉質の腕が、シトリンの細い首めがけ、横一文字に――。
ドン……!
首が、飛んだ。
胴体が、落ちていく。それは、巨大な犬の上に落ち、大きく弾んでから見えなくなった。
跳ね飛ばされた首は弧を描き、獣の群れの中、どこかに吸い込まれるように消えていった。
蒼井と翠は目を覚まさない。主の小さくか細い腕に、しっかりと包まれたまま――。
「……奇妙な男だったな」
シルガーがいた。
「うん。ありがとー! シルガー」
にっこりと、微笑むシトリン。
首を飛ばされたのは、赤目のほうだった。シルガーが寸前に駆け付け、炎の剣で赤目の首を跳ね飛ばしたのだ。
「大丈夫かっ!? シトリン! 蒼井! 翠!」
シルガーに遅れて、キアランと花紺青がシトリンのそばに来た。
「うんっ。たぶん、蒼井と翠はもうだいじょーぶ」
シトリン、蒼井、翠の無事を知り、キアランは安堵する。
「なぜ、あんな……」
「あの魔の者の術の影響だね。キアランおにーちゃんたちは、距離があったし、力も強いから、影響を受けなかったんだろうけど」
シトリンはいたわるように蒼井と翠を見つめてから、地上に目を落とす。
「群れ、止まらないね」
巨大な犬は走り続けており、その周りを走る獣たちの動きも速度もそのままだった。
シルガーが、口を開く。炎の剣は、体にしまったようだ。
「もちろん、急所じゃなかったのだろう。ただし、体を修復しながら獣を操り続ける、かなりのエネルギーの消耗だろう。やつ自体が攻撃をしかけるのは、しばらくは困難なはず」
「そうだねー。操られてる獣たちは独自に攻撃できるだろうけど、あいつはしばらく出てこないだろうねー」
シトリンは、ふう、とため息をつき、小さな胸に手を当てる。
「私は、首が急所なんだー。ほんと、危なかったよー」
え。
シトリンの、爆弾発言。無邪気な笑顔が、目に眩しい。
えーと。
一同呆気にとられ、目が点になっていた。
シルガーが、絞り出すようにして呟く。
「……そーゆー話は、しないほうがいいと思うぞ。特に、私には」
「あ。じゃあ、忘れて」
「忘れるか」
しかし、シルガーが炎の剣をふたたび構える様子はない。
「あの魔の者の首と胴体、探すか」
気を取り直したシルガーが、獣の群れに視線を向ける。
キアランもシトリンも花紺青も、獣の群れの中の魔の者に、意識を集中した。
「……見当たらない」
「負傷して、魔の気配が弱まっているんだろうか」
キアランが皆に尋ねる。
「いや……、そんなことはない。弱っているならば、ガードを張れない状態ということ、逆に見つけやすいはずだ」
「ここから姿を消したんだろうか?」
「さすがに遠隔からこれほどの数の獣の操作はできないだろう。それに、強い魔の気配は相変わらず漂い続けている」
確かに、魔の気配は変わらず感じられた。どこかに、魔の者がいるはずだった。
花紺青が、大きな目をさらに大きくし、声を張り上げた。
「わかった……! やつはたぶん、操る獣一匹一匹の中に、完全に溶け込んでいるんだ……!」
「なに……!?」
「外側、他者から体を分断されるのはダメージになる。でも、自分自身の力できっと、体を小さく細かくして、操る対象の中に溶け込ませることができるんだ……!」
「そんなことが……!」
花紺青の言葉に、キアランは絶句する。
もし花紺青の考えの通りなら、もしかして、この獣たちをすべて倒さなければならない、そういうことなのか……?
見渡すように全体を眺め、シルガーが呟く。
「この群れ全体が、あの魔の者になっている、そういうことか――」
疾走し続ける黒い群れ。それ自体がすべて、赤目となっていた。
◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆
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