アレテー2(2023年の自由291)

さてさて、今日はアレテーいくかな?
「アレテーですか」
アレテーとは徳の事を言う
善悪の判断が難しいなら、これからいこうか

アレテーをググッてウィキペディアで開くと
カトリックでは七元徳という物が出てくる
カトリックの七つの美徳である

知恵、勇気、節制、正義、信仰、希望 愛

まあ、見た目はいいのでこれはほっとく。説明するまでもないだろう
善とされる美徳はこのように存在するのだ

翻って儒教における五常の徳は

仁 義 礼 智 信となっている

カトリックの七つの美徳と被るね

仁は一般的に博愛とされる
義は正義
礼は礼節(カトリックで言うと節制)
智は知恵
信は真実で偽りのない事(カトリックで言うと信仰だろうか)

これ、実は上から順に並んでると僕は思う訳だ

仁なかずんば義成り立たず
義なければ礼に足らず
礼なければ智磨かれず
智なかずんば信に足りず

どういう意味かと言うと、

仁がなければ正義とは言えず(愛がなければ正義と呼べない)
正義がなければ礼は本物ではない(形だけを整えても礼節とは言えない)
礼がなければ本当の知恵は身に着かず(礼節の無い知恵は美徳としての知恵にはならない。悪知恵である)
智なければ信用には足りない(騙されて信じるとかあるからね。智がなければ信用には足りないんだ)

良く纏まっている善の徳目

翻って悪はなんだろう。観念的な物を取り除いて僕流の七つの大罪を作ってみる

強盗、強姦、殺人、偽証(これはイエスが答える最も重い罪)、放火、略奪、侵略

これを僕は悪として見てる。まあ、誰が見たって悪だろうけど

ちなみに一般に言われる七つの大罪は
傲慢、嫉妬、怒り、強欲、怠惰、暴食、色欲

こういう具合に、善悪ってうまく纏めてあるんだ。アノミー化アパシー化があり、善悪の基準が緩むと、善悪など都合という言葉がよく口にされる。だけど、ちゃんと昔の人は纏めてるんだよ

善悪ってないって思ってる人もよく考えてみて、善の道は開かれ、悪の道は閉じる

人の思いはそれらを越えて存在するのも事実だ。浴びる程の議論を続けて、「それでも!」ってなった時に、初めて一つ自分のアイデンティティが出来るんだ。そういうモノを積み上げていくには、善悪をある程度知って置く事

昔の人はちゃんと纏めてるよ

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