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お父さんには、期待しない。



むかし、母がわたしたち3人の子どもを連れて、遠い海に連れて行ってくれた。

まだ、ナビもない時代だ。
オンボロの軽自動車に、荷物と子ども3人を詰め込んで、行ったこともない海水浴場を目指す。

地図をひっくり返しながら、なんとか近くまでたどりついたが、道に迷った。
母は、窓をあけて、道ゆく人に「◯◯海水浴場はどこですかー?」とたずねながら、なんとか無事に到着した。


「もし分からんことがあったら、人に聞けばいいんよ!」

口があるんじゃけ、なんでも聞く!
アンタらも、そうしんさい!ね!

強い口調で、私たちに言い聞かせる母の声。
海水浴場で遊んだ記憶はないのに、母が大声で道をたずねるシーンは、思い出せる。

私たちのために、一生懸命聞いてくれてるんだ、という感謝や尊敬の気持ちと同時に、無理してるんやな、という複雑な思いもあった。


そもそも母が、まだ小さい子どもを3人も連れて、行ったこともない海水浴に向かうことになったのは、なぜか。

父が、約束を守らなかったからだ。

父は、休日になる前、「明日は海に連れてってやる」と言っていたのに、朝になっても起きてこなかった。


そういうことは、これまで何度もあった。

出かけると言ったのに、忘れている。
連れていく約束をしたのに、いない。
休みの日には、いつも寝ている。


母はそのことにひどく腹を立てていた。
「お父さんと約束せん方がいいよ、どうせ行ってくれんから」と嫌味のようにこぼしていた。


お父さんには、期待しない。

いつのまにか、母にそう刷り込まれ、私たちは父をそんなふうに見ていた。
母の言葉は、強かった。

守れない約束をしてまで、出かけようとしてくれなくていいのに。
お出かけできないことや、約束が守られないことよりも、このことが父の信用を落としているのが悲しかった。



父は、体力のない人だった。
すぐに横になるし、病に伏せる。
いつも調子が悪そうな父が、海水浴なんか行くわけがないじゃん。
そんなことは、子どもの私もある程度分かっていたし、だから高望みはしていなかった。

ただ、母としては、違ったようだ。
「父親というのは、休みの日に子どもたちを遊びに連れていくモン」という思いがあったようで。
理想の行動をとらない父に、いつも不満タラタラだった。

「もう!アンタが連れていかんのなら、わたしが子どもらを連れて行く!」

結局母はそう言って、私たちを海水浴に連れていってくれた。
子ども3人の面倒を見ながら、慣れない運転で海に行くのは、さぞかし大変だっただろう。
私たちのために行動してくれた母の思いも伝わってくるし、父のことは、やっぱり致し方ないような気もする。

父も、仕事が疲れていたんだろう。
子どもだったわたしは、父のそれについてあまり恨みを持っていないし、母も今ではすっかり、忘れている。
だから、この話はもうおしまいなのだ。





でも、今はわたしが母と同じ状況にいる。

夫の仕事が、いそがしい。
休みの日は、寝室にこもって出てこない。
もはや、いないようなものだ。
わたしは「いない」と思って過ごしている。


でも、子どもは純粋だ。

「お父さんは?」
「お父さんはもうご飯食べた?」
「お父さんも一緒に行く?」


知らんわ、あんな寝てばっかのヒトなんて。
と、グレた言葉が、喉の先まで出そうになる。

いや、そんなことは言うまい。
言ってはなるまい。
たとえ恨みごとがあっても、子どもにだけはこぼすまい。

わたしの中に、「お父さんに期待しないほうがいい」という母の言葉が残ったように、息子に何かを残したくない。


夫が疲れているのも、事実。
息子がお父さんと遊びたいのも、事実。
わたしが、ワンオペに疲れているのもまた、事実なのだ。

そしてそれは、恨みごとを言っても変わらない。
それで夫が元気になるわけではないし、家族みんなで出かけられるわけでもないのだ。



それなら、変わるのは、わたし。

いい意味で、過度な期待をしないこと。
「お父さんは休みの日にも子どもを連れて出かけるモンだ」という、固定観念を捨てること。

ないものねだりは、喉が渇く。
潤す方法を、考えよう。


とりあえず、わたしは家事を手放して、子どもと近所の公園に向かう。
よし、帰りには「くら寿司」に寄ろう。

なんもない日でも、寿司食べていいよね。
喉から飛び出しそうな恨み節は、寿司といっしょに、のみこんで。


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