わが子の「夏休みの日記」を、つけることにした。
この夏、やりたいことをおもいついた。
「なつやすみのえにっき」をつけることだ。
ただし、わたしの分ではなくて、主人公は「息子」である。
「絵日記」と書いたが、絵日記にはならない。
せいぜい、写真つきのただの「日記」だろう。
息子が描いてくれた絵があれば、ときどき載せるかもしれない。
とにかく大切なのは、「わたし」の夏休み日記ではなく、「息子」の夏休みの記録ということだ。
◇◇◇
子どもの頃、「夏休み」の宿題には、かならず日記が出た。
夏のワークに添えられている一行日記、3日分の絵日記、ノートに書くタイプの作文。
種類は、いろいろだ。
どれもけっこう、好きだった。
教師になってからも、「夏休みの宿題」として日記をよく出した。
われながら「めんどくさい宿題だろうな」とおもってはいたが、提出された日記や作文を読むのは、その子らしさが出ていて、おもしろかった。
たいてい、日記は2パターンある。
ひとつは、ほぼ毎日「学童」と「習い事」と「ゲーム」で埋め尽くされているもの。
「べつに、夏休みだからって、楽しいことなんてないで」という子ども。
それでいいよ。
それを書いてくれただけでも、じゅうぶん。
それが君の「夏休みの日記」だもの。
一方で、昔ながらの「夏休み」らしい日記を過ごす子もいる。
「スイカを食べた」、「かきごおりをつくった」、「地域のおまつりへ行った」。
そんな日記を見ていると、「おお、夏満喫してるなあ」とおもう。
ディズニーや海外旅行などの、豪華な夏休みをおくる子もいる。
どんな日記だっていい。
教師としては、子どもたちが、どんな夏休みを過ごしていてもいいし、日記がおざなりでもかまわない。
ただ、親になった身としては、我が子に「夏らしい夏」を味わわせてやりたいなあ、とおもう今日このごろである。
そんな思いでむかえる、わが子の「夏休み」。
せっかくだから、記録に残したい。
たぶん、「夏休みの日記」なんて書けるのは、今年が最初で、最後だろう。
仕事に復帰すれば、40日も我が子と過ごせる夏は、二度と来ない。
子どもたちは、園にいく。
わたしも、毎日仕事になる。
息子にとっても、毎日お母さんの居る「夏休み」は、もう来ない。
それなら。
毎日、息子は何をして、何をしゃべって、何をかんじたのか。
息子の視点になって「記録」してみたい。
きっと、いい思い出になる。
それに。
ダラダラと不満がたまりそうな「夏休み」。
わが子の言動を「記録にのこす」と決めておけば、きっと子どもたちへの目線も、前向きなものになるはずだから。
月末に投稿する、自分の日記とは区別する。
そちらの日記の主役は、わたし。
息子の日記は、週末にまとめて投稿したいと考えている。
その方が、私の振り返りになる。
さてさて。
息子たちは、どんな「夏休み」をおくるだろうか。
どんな毎日に、なるのだろうか。
書くと決めてしまえば、息子たちのささやかな言動のひとつひとつが、宝石のように見えてくるから、愛おしい。
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