アナログゲームを「楽しめる」家族でありたいから
最近、夜寝る前に、みんなで「ナンジャモンジャ」をする。
「ナンジャモンジャ」は、かの有名なカードゲーム。
カードを引いて出てきた「なぞの生物」に名前をつけ、次出てくるたびにその名前を早く呼んだ者が勝ちとなる、超シンプルなゲームだ。
うちの「ナンジャモンジャ」は、ちょっと前にマクドナルドのハッピーセットでもらって、このインフルエンザ期間中に開封した。
長男にはまだ難しいかなあ、と機をうかがっていたのだが、案外楽しそうに遊ぶことができたので、夫も巻き込んで、ゲーム大会をするようになった。
とはいっても、まだ忖度しまくりだ。
4歳になりたての繊細ボーイである長男、まだゲームで「負け」をあまり経験していない。
「ナンジャモンジャ」は、名前を正しく早く言うことができると、溜まっていたカードがすべてもらえるルールなので、終了時の手持ちの多さで勝敗が決まる。
こちらは、長男のカード枚数を窺いつつ、手抜きしすぎない程度に遊ぶ。
長男はそれに薄々気づいているものの、自分が勝つ方が気持ちよく遊べるのか、特に何も言ってこない。
「〇〇ちゃんのカードが多いねえ!ふふふ^^」
と喜んでいる。かわいいもんである。
だが、そろそろ大人も本気を出さねば。
「ゲームは必ずしも自分が勝つわけではない」ということを体験させていこう、と夫はやる気満々である。
こんなふうに、みんなでアナログゲームを楽しめるような家族になりたいとおもっていた。
というのも、わたし自身、幼少期には、兄弟や近所の友人家族といっしょに、よくトランプやカードゲームをした記憶がある。
家族みんなを巻き込んで、わいわい遊ぶ感じが、すごく楽しかった。
だから、私たちもそんなふうに、夜寝る前とかに「カードゲームでもしよか」と自然にリビングに集まれる家族でありたいとおもってきた。
これから、子どもたちが大きくなるにつれて、テレビゲームや漫画やネットなど、アナログゲームよりおもしろいものがいっぱい家にやってきて、子どもたちはそちらの世界にのめり込んでいくだろう。
それもいいけど。
それでも、たまにでいいから、「今日はみんなで人生ゲームでやろうよ!」なーんて言える家族だったら、最高だなあ。
全員ではなくとも、オセロや将棋を父と子で勝負したりとか、息子二人が戦略ゲームで遊んでいたりとか、そういう光景が見られる家でありたい。
そのためにも、今のうちから「アナログゲームっておもしろい!」という体験をいっぱいさせてやりたい。
今は種類も豊富で、小さい子も楽しめるボードゲームやカードゲームがたくさんあるので、どれも欲しくなる。
おもえばコロナ禍のあたりから、家で楽しい時間を過ごせるようにするためなのか、たくさんのカードゲームやボードゲームが店頭で目につくようになった。
TSUTAYAに行けば、触って遊べる知育玩具やボードゲームのコーナーがあるし、長男はそのコーナーが大好きだ。
そういえば、長男が過去一番ハマッたのは、「RUSH HOUR」というボードゲームだった。
幼児用や大人用など、いくつか種類があるが、長男は対象年齢が5歳程度のセットを購入した。
決められた枠内を縦横にしか進めない車を動かして、特定の車を枠外に出すゲームだ。5歳用のは、アイスクリーム屋さんやパトカーなど、車の種類も子供向けになっていてかわいらしい。難易度別の問題カードが40枚ついていて、レベル的には大人でも十分楽しめる。
これが大ヒットで、いつも一人で盤面に向き合って、カチャカチャと車を動かして遊んでいた。
夫を誘って、一緒に考えることもあったし、自分で問題をつくって夫にやらせたりもしていた。
こういうボードゲームも、集中して遊べるので楽しい。
どんどん家にそろえていって、暇なときに手に取れるようにしてやりたい。
ただ、アナログゲームをいくつかやってきた中で、思うことがある。
それは、長男が楽しんでくれるかどうかは、「誰と楽しく遊んだか」が鍵になるということだ。
どんなに新しくておもしろいアナログゲームを用意しても、それを一人で楽しめることはほとんどなかった。
わたしや夫がそのゲームで一緒に遊び、その時間を楽しみ、いい思い出として心に残れば残るほど、長男は「〇〇ちゃん、このゲーム好きねん!」と言ってくれた。
いちど、「すごろく」で失敗をした。
ある朝、とても忙しい時間帯に「かか、すごろくしよー」と誘われた。
「今かよ!?」と内心思ったが、次男の相手でなかなか遊んでやれない長男を不憫に思って、「一回だけだよ」と付き合うことにした。
ところが、「すごろく」というのは時間がかかる。
私は次第にイライラしはじめ、さらにはルールを無視して何度もサイコロを振る長男に「サイコロ何回も降ったらズルになっちゃうよ、そういうことをしたら楽しくないんだよ」と注意をした。
いつもならスルーしたり、やんわりと言えることなのだが、そのときはイライラしつつの注意。
当然、長男の顔は曇った。
結局、長男が勝って「すごろく」は終わったのだが、そのときの空気たるや。
どんよりとした、気まずい沈黙。
「一緒にゲームをして遊び、長男が勝つ」という、一見喜びそうな条件がそろっていたにもかかわらず、長男はぜんぜん喜ばなかった。
わたしが楽しく遊んでいなかったからだ。
一緒に楽しんでくれないと、長男も楽しくない。
当たり前だ。
この時の思い出のせいか、いまでも長男は、「すごろく」にあまり乗り気にならない。
何が言いたいかというと。
これから先、たくさんアナログゲームを買って、家でするだろう。
そのとき、何を買い与えるかではなく、いかに家族みんなで楽しんで遊んだかを大切にしていきたいという話だ。
そんな「楽しい思い出」が増えていけば、大きくなっていっても、「みんなでアナログゲームをしようよ」といえるあったかい雰囲気ができあがるだろうし、そういうことを言い合える家族になれるんじゃないかと思っている。
これから寒くなり、家にこもる日が増えそうだ。
家族みんなで、トランプとか、ジェンガとか、はたまたまだ知らぬボードゲームとか。
そんな楽しいアナログゲームを、ゆっくりのんびり楽しめたらいいなあと、ひとりわくわくしている。
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