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1歳の息子が生と死の間で母に教えてくれたこと

生と死、と言ったら大げさかもしれないけど。
我が家にとっては大事件だった4/22のことをnoteに記していく。家族みんなの気持ちが昇華されますように。




4月の下旬、外は雨が降っていたあの日。我が家の1歳2ヵ月の息子は死にかけた。


生後8ヵ月で小麦粉アレルギー、生後11ヵ月で卵アレルギーを発症した息子は体が弱い。まだ1歳と少ししか経っていないのに、これまでに救急車のお世話になったこと、入院の経験もある。


4/22の朝食がもうすぐ終わるくらいの時。息子は激しく嘔吐した。
2回か3回。結構な量を吐いた。

それまでに何度か息子のアレルギー発作を目にしている私も旦那さんも、すぐに今の症状がアレルギーによるものと予想がついた。

慣れたように旦那さんは息子を着替えさせ、私はアレルギーの頓服薬を服薬させる準備をした。1包にお水を2滴たらして、粉薬をお団子状に練る。そして息子のほっぺたの裏側にはり付けた。

これで一安心だと思っていた。
いつもはこれで大丈夫だった。
通常はアレルギー発作があって全身症状があるものの元気な(といっても不機嫌でずっと泣いているが)息子がこの日は異なっていた。



大人しい。すごく大人しい。



私と旦那さんの違和感はすぐに症状となって表れた。
息子の呼吸が明らかにおかしくなった。
変な音がする。そして顔色が悪い。土みたいな痣みたいな色。



その後のことは記憶が曖昧。
秒で病院への支度を済ませて、ぐったりした息子を抱っこ紐で抱っこする。外は雨が降っているので抱っこ紐の上から雨具を身に着け、走った。自転車に乗って、また走った。


その間に息子は意識がなくなった。






かかりつけの病院に到着したのは、病院の開院時間より15分ほど前だった。まだ受付に電気がついていないのにもかかわらず、私は受付で「アレルギー発作です。意識なし。お願い。診察をお願いします。」と叫んだ。


対応してくれた看護師さんが、息子を抱っこすると、意識がなくなっていた息子はようやく、小さく泣いた。


そのまま酸素濃度を計測するパルスオキシメーターを取り付けられ、他にも何かつけられていた気がするけど、私は気が動転してしまって覚えていない。

まだ私服のままのお医者さんが息子を取り上げ、そのまま診察をしてくれた。

「アナフィラキシーショック」

そう言われた。


他の大きな病院に移送する可能性を説明されながら、すぐ服薬させたい薬の処方箋を出してくれた。息子は泣くこともできず、ただ大人しく横たわっていただけだった。私は隣の薬局に走った。足がもつれて1度だけ転んだ。


薬局は病院から連絡が行っていたようで、すぐに薬をだしてくれた。受け取って、診察室に入る。すでに通常診察が始まった時間だったけど、お医者さんは予約していない息子の対応を優先してくれた。


「とりあえず、これ以上症状が進行することはないでしょう。でも、念のため、病院で待機。異変があったらすぐに移送します。」


とのことで、ぐったりした息子と病院の診察室で数時間待機することになった。





ここで私は自分の保育士の仕事を思い出す。
出勤時間まであと30分程度。でも、どう考えても出勤できる状況ではなく、欠勤の電話をした。

育休から復帰して2週間のことだった。

1週目もほとんど出勤できなかった状況で、欠勤の電話はつらかった。案の定勤務先の園長先生から、

「どうにかして出勤できない?休む前提じゃなくて、出勤する前提で考えてくれない?」

と言葉をもらった。

やっぱりそう言われるよな、と思う気持ちと、子どもと関わる職業なんだから理解してよという気持ちが混在して、気持ち悪くなった。

私はもうここでは仕事ができないかもしれない。少なくとも居場所はないな、そう思った。




診察が一区切りしたのか、お医者さんが様子を見に来てくれた。そして言った。

「お母さん、これは救急車案件だったよ。」

「お母さんがすぐに頓服薬を飲ませてくれて、それを奇跡的に吐かなかったから息子くんは生きている。」

逆に言えば、頓服薬を吐いてしまった場合、息子は生きていなかった可能性があるということ。めまいがした。

その後も何かいろいろ言われた気がするけど、覚えていない。人間、キャパオーバーになると本当に記憶が飛ぶらしい。




どうやって家に帰ってきたのか、職場にはなんて言って欠勤したのか、全然思い出せない。


ただひとつ、はっきりと思ったことが、私はこれから保育士として仕事をすることが怖くなったということ。


私の仕事は保育士。もし、息子が保育園に行っている間に誤食などがあったとしてもスマホの電話は取れないし、勤務先の園に電話がかかってきてもすぐに対応できるとは限らない。

3歳児の副担任をしているので、人数的に抜けられないこともあるかもしれない。

でも、その間にもアレルギー発作は悪化していく。手遅れは死を意味する。


そうして私は心の中で、そっと、仕事を辞める決意をした。





保育士の仕事は好きだった。でも、辞めたい気持ちもずっとあった。

時間固定勤務で復帰しても、子どもが3歳になればシフト勤務のフルタイム。自分の家族を犠牲にしないと成り立たない職業だった。

私は家族が何より好き。
そんな中で、1日8時間仕事をすることが疑問だった。子どもと過ごす時間は平日は1日に3時間しかないのに、1日のうちの3分の1も仕事に使うの?仕事ってそんなに大事なの?



たぶん、息子は身を持って私に教えてくれたんだと思っている。

「ママが大事にしたいものはそっちじゃないよ。」

と。



私は「保育士」という仕事を辞めた。

育休復帰後2ヵ月での退職。私の耳までは入ってこなかったけど、周りから非難されているだろう。
でも、私は息子の命が何より大事なんだ。仕事よりも大事だ。


子どもが好き。
家族が好き。
これからは、この気持ちを大事にできる仕事をする。



6月1日から、私は保育士から元保育士になった。

この決断をさせてくれた、息子に感謝をしている。



#創作大賞 #エッセイ部門

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