着せられた知性

想像してみよう

丸の内で颯爽と歩く"エリート"サラリーマンたちが

みんな短パンでモジャモジャの足を見せて歩いていたら・・


想像してみよう

"エリート"サラリーマンたちが

上裸で 汚い毛と たるんだ腹でビジネス街を闊歩していたら・・


想像してみよう

生徒指導をしている学校の先生が

どこからどう見ても 私生活で欲望を抑えきれない 獣の体だったら・・


想像してみよう

政治家が・・
政治活動家が・・
総理が・・
大統領が・・
官僚が・・

医者が・・
弁護士が・・
評論家が・・
研究員が・・

警察官が・・
税務署員が・・


これらをちゃんと想像できたとき

全員の直感レベルでの 共通認識として脳裏に浮上するもの


「あれ・・?言ってること、説得力ねぇな」

「汚ねぇおっさん、何偉そうにしてんの?」

「嘘くせぇ。。」


こんなところが関の山だ。

これらは単に

外見至上主義だとか、ルッキズム とかいう
浅い主義主張ムーブメントによるものでは断じてなく

また、遺伝子や個性だけで片付けられる話でもない。

その人の性質、習慣、考え方
センス、感性、バランス感覚
欲望、本能、自制心

といったものが、
肉体に現れるという原理から生じているのである。


社会が高度化するにつれて

人が服をまとうようになり、

TPOやドレスコードが生じ

いつの間にか義務やルールにまでなるのは、


人の目指す"理想論"としての「知性」と

それを語り行動する主体としての「人間力」

その表出として「肉体」

の間に、埋められていないギャップがあるからであり、

これらの思考(想像)実験から明らかになるのは、

今だ獣が知性を運用しようとしているというおぞましい現実であり、

自らの知性化を棚にあげて知性を動かそうとしている滑稽な獣と、知性をそもそも嘘くさいと思いながら開き直って獣の立場で生きる者たちとの、水面下の駆け引きであり、(それらが最も端的に表れるのが下のスキャンダル)

それらの獣たちが、

知性に必要な要件を、自らに当てはめる気がなければ

着せられた偽の知性の内側で
我が獣だけを満足させようとする争いから抜け出すことはできない。

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