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とりとめもない感情が溢れそうになったときの、とっておきの処方箋


人には、マグマのように言葉にできないような感情が沸々と湧きあがってくることがある。〈漠然〉としたモヤモヤなのか、孤独感なのか、怒りなのか、その正体が自分でも分からないけれど、心の容器がいっぱいになって溢れる直前まで溜まっていくような感覚。そのスピードは、少しずつ積もっていくときもあれば、急速に溜まっていくときもある。今日の私は、後者だった。

お昼すぎに仕事が終わって帰宅し、シャワーに入って、掃除をして、本を読み、洗濯機を回しながらnoteを書いていたら、訳もなく「海に行きたい、行きたい」と、駄々をこねる子供のように、絶対に何があっても今日は海に行くんだという強い衝動性に駆られた。こんなこと、これまで滅多になかったのに。

「分かった、分かった。行くからね~」と自分をなだめながら、終わった洗濯物をさっさと干し、サンダルを履いて近くのビーチへ向かったのだが、ビーチ沿いをしばらく歩いていても、どうも感情が落ち着かない。ヨガのように、自分の心地のよい場所を探そうとするだが、それでも居心地が悪くソワソワしてしまう。

「はて、どうしたものか」と、裸足で歩いていた足をとめて、Tea treeが流れる傍の砂浜に座ることにした。そのまま、目を閉じて、呼吸と意識を内側へ向けていくと、すーっとモヤモヤの原因にアクセスして、涙がぽつりと出てきた。

「そっか。過去を思い出して、当時の苦しい感情が一気に出てきだんね」

モヤモヤの原因というのは、今、自己紹介を含めた、私の過去についてのタペストリー(かっこいい響きだけど、ほどんど暗黒期……笑)のnoteを書いていているのだけど、普段思い出すことも、感じることもなかった当時のドロドロした感情やぐちゃぐちゃした記憶にタイムスリップしていたからだった。加えて、今日読んでいた本が『私が望むことを私もわからないとき(チョン・スンファン)』という、私と相性のよい(心のなかにすーっと入ってくる)エッセイだったので、その当時の情景がど~っと身体に入り込んだことだった。心の中が一瞬にして、曇で覆われ、嵐になった。

感情の嵐を静める、とっておきの処方箋

ただ、幸いなことに、過去の私ができなかった嵐を静めるとっておきの方法を今の私は知っている。それは、「感じ切る」ということだ。そのときの感情を感じ切ることを自分にアクセプト(容認)する。悲しかったら、容器がいっぱいになるまで悲しみ尽くす。誰かに対しての怒りだったら、ここまでか!というところまで感じ切る。

それは、失恋したときと同じで、誰かへの恋心が散ったとき、その悲しみを友達に話したり、カラオケに行ったり、失恋ソングを永遠に聴いたりしながら、いつの間にかその人への想いが吹っ切れることがあるだろう。想い尽くすと、「よし!次へ行こう」と区切りがついて、恋愛に対して心がオープンになり、出かけた先に新しい出逢いがあったりする。

中国の陰陽五行のなかに出てくる「太陰太極図」(白と黒の勾玉がひとつの円になったかたち)にも同じような言葉があって、それが

「陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ず」。

太陰大極図

陰の要素が極限まで強まれば、陽に反転し、逆に陽の要素が極限に達すると、陰に転じるという教え。人が持つバイオリズムや運気的なところ、宇宙の原理・原則としてもそうなんじゃないかと思っているのだけど、人には絶好調なときもあれば、なんだか不調…なときもあるし、天気が晴れもあれば、雨の日もある。「気持ちいいなあ」という晴れの日も、365日続いたら、農作物が水不足で枯れてしまって「晴れはいい加減にして!」と、怒りたくなるかもしれない。陽と思えるものにも、陰の要素はあるし、その逆も然り。だから、この世には良いも悪いもなく、その時の世界の状況や人の心が勝手にジャッジしているだけ。

話が少し脱線したけれど、モヤモヤや不安、孤独、苦しみを感じたときのひとつの処方箋は、「100%その感情を感じ切る」だと思っている。感じている間は、苦しいし悲しいし、怒りも込み上げてくることもあるかもしれないけれど、感じ切ったあとは、苦しみの中から、あなたの心からの願いがふっと表に浮上して、光を与えてくれる。「ああ、本当は自分はこうしたかったんだなあ」という想いと共に、それを満たす行動へのエネルギーが湧いてくる。失恋して、涙を流しきって、「よし!次へ行こう!」と立ち上がったときの、あのリフレッシュしたエネルギーのように。

終わりに

今日、とりとめもない感情の荒波に襲われ、砂浜に腰かけ、言葉にできないような感情を感じ切ったあとに出てきたのは、

「過去に色々あったかもしれないけど、こうやってここに居られるのって限りなく幸せだし、自分なら大丈夫だよ。ずっと見守っているからね。」という、自分からの言葉だった。

「うん。そうだよね。ありがとう。」という言葉の帰り道。雲の隙間から差し込む綺麗な日の光と4枚ほどの鳥の羽を見かけて、自然に見守られたような幸せな気持ちになった。

この記事に出逢った誰かの心のなかの感情の嵐が、少しでも穏やかに、静まりますように。

nanaka











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