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Kiyo to Kiyo クエスト 第7話 特別な人


 
喜代に出会う前の僕は、この世界の支配構造やお金の流れを調べながら、ピラミッド型の支配構造ではなく、人々が笑って楽しく暮らせる丸い社会にしていくにはどうしたらいいか、考えていた。でも、支配者たちについて調べれば調べるほど、どうにもできない無力感のようなものを感じていた。
 結局は、知ったところでどうにもならないのか? 神とか救世主とかヒーローなどと言うような特別な存在でも現れない限り、無理なことなのか? 支配者の言いなりになるしかないのか?
 
ところが、喜代と出会い、チャットやzoomをしていくうちに、支配者たちにその思考パターンも刷り込まれていたんだということが、段々とわかるようになってきた。喜代はよく言っていた。
「義務教育の目的を考えてみて。常識も。教えられてきたことが当たり前だと思ったら、思考停止になるよ。本当に正しいのか疑ってみて。今までの知識を疑って手放してみて。頭が(刷り込まれた)知識でいっぱいになっていたら、新しい知識(そこにこそ真実があるかもしれない)が入る隙間がないでしょ。」
 
僕たちは今までの教育や常識で、宇宙や自然と比べたら、ちっぽけな存在だとか、目上の人や権威ある人(偉い人)の言うことを聞くように、と教えられてきた。
 ちっぽけな存在と思いこまされたことで、自分に自信を持てなくなり、無力な自分に何も変えられないというような思考パターンが形成されていったように思う。
 
喜代は自分軸の大切さ、“本当の自分”とは何か? それを繰り返し教えてくれた。僕たち人類の意識は“宇宙創造の源の意識”から誕生した、そのことを思い出し、感じられるようになってくると、宇宙の中のちっぽけな存在ではなく、むしろ、“宇宙創造の源の意識”とシンクロする位置(“宇宙創造の源の意識”と同じく宇宙の中心)にいると感じられるようになってくる。
 そして宇宙も地球も“宇宙想像の源の意識”とともに創っていく“共同創造者”として僕も存在していると感じられるようになってきた。
 
仮に“宇宙創造の源の意識”を神というなら、僕たち人類も“宇宙創造の源の意識”(神)から生まれた意識ということになるから、僕も神ということになる。神が神を崇めるのか?
 そう考えると笑えてくるようになってきた。
 
選ばれた人、特別な人、権威や権力、大統領や王族貴族や皇族、救世主やヒーローや勇者、そういった人が世の中を変えてくれる、もっと暮らしやすい社会に変えてくれる、そんな淡い期待を胸に拝んだり選挙に臨んだりすがったりしてきたけど、“本当の自分”に氣づくようになると、今、こうして存在していることこそが特別であり、僕も含めて誰もが特別な存在(神でもあり救世主でもありヒーローでもある)ということが実感できる。
 神を信じるということは自分を信じるということ、支配者たちはそのことに氣づかせないように、僕たちを無力な存在のように思わせ、崇め奉る特別な存在として神とか救世主とかいう特別な存在を創り、人類を支配しやすいように偽りの信仰・宗教・神話などを創り、それが真実であるかのように刷り込んできた。
 
“宇宙創造の源の意識”と繋がる“本当の自分”(自分軸)で生きる人たちが増えてくると、支配者たちが言ってきたことや行ってきたことや教育・歴史・宗教も通用しなくなり(見え透いた嘘に氣づくから)、コントロールできない人たちが増えていくことになる。
 そのような人たちが増えてくると集合意識に影響し、“宇宙創造の源の意識”とともに望む世界の共同創造者として存在しているということが感じられるようになってくる。
 それが支配のない、愛と調和の丸い社会の現実化に繋がっていく氣がする。
 
繰り返しになるかもしれないけど、僕は思う。特別な人というものはいない。なぜなら、こうして存在していることこそが特別なことだから。この世に無駄なものなんてない、無駄だと思えることも後になって「あれも必要な経験だったんだ」と氣づくことがよくあるし、同じように、必要とされない人もいない。誰もが才能を持って産まれてきている。その才能に氣づいていないだけで、必要とされない人はいない。“宇宙創造の源の意識”は共同創造者として僕たち人類の意識を産んでくれたのだから。
 僕もみなさんも誰もが特別な人であり、“宇宙創造の源の意識”と繋がる特別な人なのだから宇宙の中のちっぽけな存在ではなく、“宇宙想像の源の意識”とシンクロする位置(“宇宙想像の源の意識”と同じく宇宙の中心)にいる共同創造者。
 だから、誰かがなんとかしてくれる、救世主とかヒーローのような人が現れてなんとかしてくれる、きっと特別な人が・・・ではなく、
『救世主は僕(あなた)』であり、『僕(あなた)の救世主は僕(あなた)』であるということ。自分軸で生きる人こそが“宇宙創造の源の意識”と繋がる共同創造者であるということ。喜代はぶれることなく、一貫してそのことを教えてくれた。何度も何度も、今思えばすごく大切なことだと感じられるから。
 
人と比べて特別なのではなく、比較対象があっての特別でもなく、存在自体に価値があり、その存在こそが特別であるということ。
 そして、僕たち人類なみならず、宇宙や地球に存在する“全ての意識”は“宇宙創造の源の意識”から産まれた“価値ある特別な存在”であり、全ての意識は平等で対等で尊い存在。“宇宙創造の源の意識”を中心とする家族であり、大切な仲間だということ。人の上にも下にも何ものも(神などの崇めるような存在も、支配する者もされる者も)存在しない、全ては対等な存在だということを喜代や喜代の守護さんは氣づかせてくれた。
 だから支配する者もされるものもない。人も動物も自然も全ては対等な存在。全ての意識は“宇宙創造の源の意識”から産まれた家族(高次元存在も含めて全てが“魂の家族”)なんだということ。これこそが宇宙の本来のあるべき姿なんだということを氣づかせてくれた。

         ~ つづく ~

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