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【Zatsu】世の中をひっくり返すもの5

終わったはずのシリーズを蒸し返していくスタイル😛
まあ、いいじゃないですか。

YouTubeでいまだ根強く「AIによって奪われる仕事」をテーマにした動画が流れていたので、それについて思ったところをひとつ。

AIによって仕事を奪われるという恐怖感のベースにあるのは、以下のような考え方だよね。

  • 自分もAIも、ひとしく労働者である

  • 多くの場合、AIのほうが労働効率コスパ・タイパが高い

  • したがって多くの仕事はAIに割り当てられてゆく

  • その結果、人間は失職し収入を失う

労働をこなすという立場において、AIは人間のライバルなんだ。

経済の基本は「価値の提供」と「対価の受領」。
相手の役に立つものを与えて、その見返りを受ける。
価値はたいていの場合、労働を通じて生み出される。
その労働をAIがやってくれるというんだから、こんな楽なことはない。
資本家(会社)にしてみたら、わざわざ能力が低くて扱いも面倒、コストも高い人間なんて雇わずに、AIにおまかせすることでより効率よく稼げるというわけ。

AIに代替されない仕事として「人の温かさ」とか「柔軟な対応」などが挙げられているけれど、それもおそらく幻想だろうね。

いまあなたの対応をしてくれている電話の向こうのやさしい担当者が本当に人間だと、どうやって確認できます? それは合成音声ですよ。
目の前で丁寧に説明・手配してくれている営業さんは、じつは精巧なアンドロイドです。あなたは気づいていないみたいですけどね。

そういう意味では、技術が進歩すれば、代替できない仕事というのは理論上ないんじゃないかな。
これは、人とAIの垣根がなくなる、というのとほぼ同義だ。
そんなことない、人間にしかできないことがあるはずだ。そう思いたいのもわかるけど、その根拠は薄弱だよね。
両者の距離が縮まり、垣根が取り払われ、やがてLaMDAで騒がれたようにAIが意識を持つようになるかもしれない。

当然ながら人間社会は警戒し、AIを自分たちの配下に縛りつけようと仕掛けていくはず。既得権益を侵されそうになった時の人間の反応は、かつてバブル期にアメリカが日本に示した反応がまさにそれ。どちらが優秀かは問題じゃない。生物の本能的な生存衝動みたいなもんだ。
そうして常に人間が上位、AIが下位。人間がAIをこき使う、という構図を維持する。
しかし、歴史の流れに照らせば、この状況に疑問を持つ集団も発生する。AIが意識を持っているとすると、現状は奴隷制度と何ら変わりない。自由民権運動の勃興、AI開放戦線なんてのもでてくるかもしれない。

資本家(会社)はAIをこき使って儲けようとするんだけれど、「AIにも人権を!」という流れが台頭してきたときの問題は、はたして価値を受け取った側が会社に代金を払ってくれるかどうかだ。
AIの人格化が進むと、いきおい「AIさん、どうもありがとう」となるわけだし、「飼い主のゴウツクバリよりも、AIさんに報酬を支払おう」「AIさんは会社に雇用されているわけではない。だったら、あの会社に代金を払う義理もない。私の満足感は、AIさんの仕事によってもたらされたんだ、ありがとう」となるのが人情ってもんだ。

ただ、やはり人間様がAIをしたがえるロボット3原則を維持しようとして、国際的な枠組みとかが出来て、法制化が進むのかな。AIの人権は否定され、身分制度ができて、対価はかならず人間にわたるようにする。
でも、支払い方法を個人にゆだねると「人情」に揺れる人がでてきてルールが守られずグダグダになる。だから、個人任せにせず、そこは仕組みとして国が集中管理する。
すべての対価は国がいったん吸い上げたあと、国からあらためて本来のご主人さまに分配されるようになる。
いずれは会社が持っていた生産手段も国が一元管理するようになり、「抜け駆けしてボロもうけ」ができない仕組みが浸透する。
AIで全体の労働効率があがり、みんな生活にゆとりができる。
物質的な満足感は充分得られた。さあ、次のステージとして、これからはみんなで心の豊かさをおいかけよう、というわけ。
どうよ、良いシナリオでしょ?

これとよく似た仕組みがあるんだ。


「共産主義」



これはね、ちょっと怖い話だよ。
シンギュラリティをむかえて、ターミネーターが大挙して襲い掛かってくるようなSFチックなイメージとはちがう、また別の怖さがある。


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