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知覧特攻平和会館をゆく(鹿児島)

知覧といえばお茶で有名ですが、もうひとつ、国内有数の特攻隊基地があったことでも知られています。仕事の関係で去年まで鹿児島に数年間いたんですけど、そのあいだに何度もいった。
太平洋戦争の是非については人それぞれに見解があると思うけれど、そんなアカデミックな議論とはまったく別の次元で、「あした自分がどうやって死ぬか」という、極めてリアルな、選択肢も何もない、ただ決意だけを求められる時代があったということ。しかもそれが高校生や大学生くらいの年齢という。
いまは平和な時代だから、こんな昔のこと知らなくても生きていくのに支障はないだろうけど、でも当時の彼ら彼女らが何を感じ考えたのかは、知っておくべきだと思うんだよね。ウチらは「たまたま」現代に生きているだけだと思うんです。
ということで、今回はマジメな回です。

鹿児島のシンボル桜島。噴火は日常茶飯事なので、鹿児島人は噴火の事実よりも風向きを気にしています。こっちに灰が飛んでくるかどうかが問題なので、天気予報でも降灰エリア予測がある


車をもってきておらず、市内からバスに乗り知覧を目指します。これは近くにあった看板。まずこの社名を覚えていないと電話番号が思い出せないというね、本末転倒な仕様です


鹿児島市内から知覧まで1時間以上かけて到着。本数が少ないからね、かえりの時刻表をチェックしておかないと、あとあと絶望を禁じ得ないことに


まだコロナ前だったので観光バスもけっこう停まっていました


敷地は結構広くて、本館にたどり着くまでに野外展示もある。これは戦闘機「隼(はやぶさ)」


いまは「どう生きるか」ばかりが論じられるけれど、「どう死ぬか」を突き付けられた時代もあったということです


隊員の銅像も建てられています


足元には像の由来が書かれていました


慰霊のために建てられた無数の灯篭


ご遺族や団体の方が寄付されたのかな


ここは特攻前の兵士が最後の夜を過ごす場所。半地下にある三角兵舎です


三角兵舎の説明


10分くらい歩くと本館が見えてきます


ようやく到着


平日も映画上映がありますが、祝祭日は語り部による講話が開催されます。ここに来るなら、ぜひ講話のある日をオススメします。中央下段の黄色い部屋には、出征された方たちの遺書や遺品が展示されています


館内は撮影不可ですが、このゼロ戦だけは撮影OK


裏側から見たところ。コクピット内部の計器類が生々しい


本館を出てふたたびバス乗り場へ向かう。かえりしなにある鎮魂の鐘。敷地内ではたびたび聞こえてきます。手を合わせる人の姿もみかける


ちかくに武家屋敷とかもあるんだけど、自家用車で来ているならいざ知らず、バス利用者には厳しい配置です。抹茶スイーツとかもあるのに


ということでバスの時刻が近づいてきたので帰途に就く

しかしこの場所はホント何回きても、そのたびに思うところがある。万世特攻平和記念館もいったけど、知覧のほうが規模が大きいので最初に訪れるならこちらのほうが良いです。

特攻を美化する気はさらさらないし、作戦とも呼べないような悪手だと思うけれど、その時代に生まれて、そういう環境に身を投じた当事者をどのように捉えるかは、また別だと思うんだよね。
展示されている遺書には、とても20歳前後とは思えないような勇ましい言葉が躍っている。でも、館内の映像資料や語り部さんの話にあるように、出撃前夜に恐怖で泣き叫んだり、震えを酒でごまかしたり、まだ少年だからね。彼らにあるのは「あした生きるか死ぬか」ではなく「あしたどうやって死ぬか」だけなんだ。家族も恋人も「いかないでほしい」とは口が裂けても言えない。そういう時代。

いまウチらは、彼ら彼女らと同じ体験をすることは絶対にできないけれど、それでもそのとき何を感じ、何を思ったのかを少しでも知りたくて、何度も足を運んだというわけです。いま令和に生きている自分は「たまたま」ここにいるだけであって、あの時代に生まれていたとしても不思議じゃない。もしそうなっていたら、おれは自分の運命に何を感じ、どう行動しただろうか。答えはでないんだけれど、それでも考えざるを得ないね。

77年前、この国で起きた出来事です。