『読むアートはいかがですか?』1

私はアートという存在が好きなのだが、自分が出会ってきたアーティストをこのnoteに書き留めようと思う。まずは一人。「ダイアン・アーバス」その人だ。

この人の作品を見たことがある人、結構いらっしゃるのではないかと思う。私が初めてこのアーティストの写真に出会ったのは割と最近で、2017年くらいだった気がする。

地元の先輩で、図書館のように本が積みあがっているくらい本好きな方がいらっしゃる。私はその方とインスタを通じてお会いしたため、たくさんの写真集と、あの”Leica”をその時貸して(しかも2台も)していただいたのがきっかけ。

初めてのLeicaを手に持ったことに興奮しつつ、夏の夜にいくつもの写真集を手に取っては、感動していた。中でも印象的だったのがこの人の写真集だったのだ。なぜ、この人の写真に心奪われたのであろう。

”この人の作品の特徴として、小人、巨人、両性具有者、身体障碍者、双子、見世物小屋芸人など、アウトサイダーな人々や隔離的な場所に押し込められる人々をシュルレアリスティックに撮影した写真表現で知られている。”

写真を「やや冷徹に、やや不快に」表現する最適な道具であり、また真実を緻密に明らかにするという信念があった彼女。私自身も、毎日日常で会う人、モノやコトに対して本質を知るということが性分であることを自覚しているため、その部分の共感が大きかったのではないかと思った。


彼女の撮影方法は、対象を”美しく撮る”のではなく、”すべてを暴き出されるくらい”強いストロボを正面から当てて撮影するという技法だった。

”表面的なものより、精神的なものを、社会の問題より個人の問題を、偶発的な現象よりも不変で特徴的な部分を、繊細さよりも困難や危険を恐れない勇気に価値を見出した"

ここが彼女が写真を撮り続けた理由だろう。この被写体が醸し出している勇気の側面に対し大きなリスペクトを感じる。困難も困難と思わずにケセラ・セラで生きるしなやかさ柔軟さに、私は憧れに似た尊敬と共感を抱いたのだ。

そんな被写体の存在に彼女自身も、きっと勇気をもらっていたのではないか。生まれたころから裕福であり、何ら生活に対して不安はなかったはずである。しかし、その裕福さゆえに見えなかった現実が必ずあったはずである。そして私は彼女の好奇心の強さは、写真というものを通じて鑑賞者に訴えかける”人間とは何か”を表現していると感じた。

読むアートの第一回目。ダイアン・アーバス。皆さんも写真集をお手に取ってご覧ください。




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