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おまおれを通してみえるあなたと私

ジモコロとの出会い


ジモコロを知ったのはいつだったか。確か私が地元会津若松と秋田県羽後町に愛着を持ち始めた2016年ごろだったと思う。

ジモコロの編集者、徳谷柿次郎さんのビジュアルが単純に好きだったこともあり、なんとなくSNSで見かけるようになった。入り口はいつもミーハーである。

人の興味関心はエネルギーそのものだ。そのエネルギーはつながりを引き寄せる。だからアンテナを高く広く張っておくことは、自分の中の世界を広げることに役立つ。

どのタイミングで出会った人が、自分の人生の中で”ご縁”となるかわからないものだから、一個一個の出会いを大事にしておいた方がいい、というのは今も尊敬するある知人の言葉だ。

(ただしここにも少しバイアスはかかる。気づくと周りは結構な面白な人しかいなくなってた…!っていうのは最近気づいたことである。こんな私は最高だ…!)

そしてジモコロを運営するHuuuu。もうこれは、編集のギルド集団。さまざまな”編集”にガチで行ってるのが最高にカッコいい。上っ面じゃないんだ。

その出版事業部門である風旅出版。ずっと読みたかった『おまえの俺をおしえてくれ』を神田小川堂として取り扱いたいなってことで早速取り寄せる。

神田小川堂というのは、私が個人的に取り組んでいる社会実験的なもので、会津のaizuloverこと小川大介くんと一緒に進めている、本屋とも珈琲屋ともなんとも言えない場を作るレーベルである。

これは私は非常に可能性を秘めていると思っていて(なんてったって変態が2人いるんだから)ここでできることは全部やったろーと思っている。(小川くんにはあんまり伝えていないが)

そうやってHuuuuとのご縁をいただけることになった。多分、このご縁は広がっていく気がしている。

「おまえの俺を教えてくれ」


おまおれの最初の対談で、”死が見えてきてる”っていうセリフがあって。わかる〜って思った私。100年時代って言うけど、あの言葉ほんとは使いたくない言葉に入ってるっていうか。

使う時胸が苦しくなる言葉の一つ。

そのほかには、成長とか、パーパスとか、なんかググッと苦しくなるんだよな。どっか心の中でこれ違うな〜って思ってるんだと。

「ない」から「ある」に変わってきた

おまおれを読んでて、すごく共感というか私も実感していた感覚の文章があって。それは

「ない」から「ある」に変わってきた

って言う言葉。私も、と言ったら失礼にあたるかもしれないが、若い頃、特に20代から30代半ばまではなんも「ない」人間だった気がする。ないというか、わからない。

何をするのか、何が好きなのか、何をしていたら私が幸せであるのか。

がズドンと心を貫いていて、何をしても埋まらなかった。こればっかりは自分でも、ましてや他人になんて埋めることなんてできないもの。

”穴”に関してはいろんな要因があるんだけど、「ない」から「ある」に変わった理由はやっぱり人と出会って、自分を受け入れるってことができたからで。そう言った意味ではやっぱり一人では生きていないし、そうやってこれからも生きていくんだと。

だからやっぱり、人に出会うことで自分が広がっていくことに幸せを感じてしまうんだよな。それが自分を受容していくことにも繋がるから。ないものもあると受け入れられたら結構楽になった。

壁打ちくらいでちょうどいい

最近は20代とたくさん話す機会があって、それぞれみんな悩みを持っていて。やりたいことがたくさんありすぎるっていいじゃん、って言う感じの若者が多くて私は嬉しい。だからそこに方向性が見出せるくらいの話ができる大人にはなっていたくて、そうなっている。

いい感じに壁打ち相手くらいに思ってくれればいいやーって、思っていて。ちょうどいいと思うんだよね。そういうくらいが。

そうやって相談してくれた人たちが、なんとか自分の方向性を自分で決めて、新しい場所に旅立っていくのを何度か経験したけど、それはそれで可能性が広がったってことで良いんだと思ってる。その後も会ったりしてるし、みんな元気そうで良き。

男性も女性も、30代くらいまでは色々変化もあるから、仕方ない部分や揺れ動く部分も多くある。それを受け止めるというか、そうだよねぇって聞くことも、年齢を経た人間の役目であったりするんだろうなと。

そこには色恋なんてものはなくて、人間愛なんだろうなぁ。

受け入れることで幸せになる、つまりこれが自己肯定感

「ない」から「ある」に変わって、自分のダメなところもたくさん受容してきたからこそやっと矢印は自分に向けることができてきた。

そうか、こうやって人間は丸くなるのか…!とここ何年かで気づいたことがたくさんある。

そう言う点で言うと藤井風くんはすごい。突然のカットインで申し訳ないけど、彼は達観している。

全部、私たちは内包しているんだ。幸せは全部、自分の中にある。そしてそれを感謝という思いで伝えればいい。感謝は無限のエネルギーだ。言語化が難しいけど、世界はそうなっている。気づいた人から一歩抜ける。無意識でもいいんだけどね。

メディアって私そのもの。

私は今ご縁あって出版社に拾ってもらっているが、Webの編集に携わる身になった。でもまだまだペーペーで力がついている気がしないのだが。こういうことからも、段階があるんだろうなと気づく。

私の経歴はだいぶ変わっている。大学四年を出てから社会保険労務士を目指すために一年学校へ通う。しかし実践がないと全く使い物にならんと悟り、新聞社にお世話になる。3年勤めた後、専門商社で経理やシステム管理とか経験してこなかったものに手をつけ、またモノづくり系の新聞社にお世話になる。色々あったけれどメディアっていうものがどうやら好きなのだと気づく。特に取材。

いろんな仕事に携わってきて思うのは、私はどうやら”聞き上手”らしい。そして、話しやすい、らしい。私の方は、ただ聞きたいだけではない。その人の本質がどこにあるのかを、話を通じて手繰り寄せたいだけなのだ。つまり私がその人に興味がないといけない。

人というものは本当に複雑で多面性を持っている生き物なのであるが、三大欲求の他の上位にある自己実現、もしくはその上に何を見ているのか、求めているのかが知りたい。

なぜか。それがこの社会を編集し、作っていく”意志”だからだ。それを私がメディアとなりたくさんの人に伝えていくことで、誰かの希望になるかもしれない。そういう仕事を私はしていきたいのだ。

と、おまおれを読んでいてまた改めて私のやりたいこと、が見えた。でもこれも小川くんの”自分に対するブロックかもよ”の言葉が過ぎる。

そうなのだろうか。そうかもしれない。いやでも、私がいいなと思う私がこれであればそれで良い。

ということで、今週はボーナストラックに遊びにいきます!編集者の方、カメラマンの方、いいご縁がありますように。

そして小川くんに、早く「おまおれ」を読んでもらいたいと心から思う。





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