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『コールドムーン、見ましたか?』12月12日の日記

皆様、こんばんは。12月とも思えない気温だなぁと日中は思っておりましたが、夜は風が強く冬の成分多目でしたね。東京はからからに寒かったです。そんな空を見上げると、満月が。

日本語で「寒月」。”がんげつ”と読むそうです。冬の夜空に皎皎とさえて見える月。寒い夜の月。帰るときは少し雲がかっていて、光だけが冴え渡っていました。寒い空気だと、強く見えるのはなぜでしょう。

そこでちょっと思いました。ここでもし誰かが一緒にいたとして、言葉を交わすとしたら、きっと、感覚的な言葉を投げかけるだろうなと。そこでは決して、「エモいよね」なんて言葉いわないだろうなって。

自分が感じた感覚や、想い、なぜそう思うのかを、さらりと言語化できたらかっこいいだろうといつも思うのです。でもそのすべてが「エモい」って言葉でかき消されてしてしまう気がして。

月に対する解像度を少し上げてみます。私は月が好きです。その理由のひとつに、こんなセンテンスを思い出すのです。

夏目漱石が「I LOVE YOU」を「月がきれいですね」と訳したという逸話。

そう、だがしかし、この逸話には根拠となる文献はありません。でも、私はこの奥ゆかしさがとても好き。

好きな人と一緒に見た月はきっと、一生忘れないでしょう。黙って月を見ているあの時間はなんともいえない幸福感で満たされます。だから、月を見上げることは、その少しの間の幸福感を刹那に思い出すのです。

美しい景色、自然を一緒に見るということは、おそらく同じ感覚を共有している瞬間であると思うんです。

いろんな感覚がある他人同士はなかなかそういう瞬間はもてない気がします。

「同じ月を見ていた」

そう、どこにいても月は同じ。一緒の感覚を恐らく、共有できている喜びがあると思います。

伝えるための言葉を大切に扱うということは、自分の思いを大切に扱うのと同じ。一生懸命に言葉で伝えることは、その心も相手に伝えたいという思いから。投げかける一種、"愛"とも近いかも。

だから一生懸命私たちは話します。それがエンジンとなって、これからも世の中を回していくんだと思います。

伝えることを、怠けない。

今年最後の満月は、一段と美しかった。誰かに伝えたくて、書き留めました。



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