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寒川神社は富士王朝の封印だった?!③ ~太陽国の皇子と月王国の姫の婚姻~

前回の続きです。全国唯一の八方除の守護神である寒川神社の前身は、数千年前に富士山麓にあった、富士王朝の神社。ですが平安初期、富士山噴火で損壊し、神社の存続が危ぶまれます。そこで噴火の被害が少なかった神奈川県高座郡に移り、寒川神社として姿を変え、現代に受け継がれました。

・坂上田村将軍による富士王朝の封印と寒川神社

富士山麓の伝承では、平安初期、坂上田村麻呂将軍が、関東と東北地方を、ヤマト王権の領土にするため軍略にきましたが、静岡県あたりで偶然、富士山が大噴火。そこで将軍は、噴火でダメージを受けた、富士王朝の神社を神奈川県に移します。それが寒川神社。寒川神社の前身は、富士王朝の祭祀を司る神社でした。この移転の際、富士山麓にいた秦氏も一緒に移住します。

このことは『宮下文書』に記され、寒川神社の前身が、富士王朝と関わりが深いことから、宮下文書は寒川文庫と呼ばれます。
『宮下文書』は、山梨県の富士吉田市の北本宮小室浅間神社の宮司である、宮下家に伝わる古文書。この古文書には太古の昔、富士山麓にあった富士王朝について書かれています。

寒川神社のご祭神は、月読尊・オオヤマズミ神大山祇神・大山津見神)など、富士王朝と関わりの深い神さま。オオヤマズミ神は、日本総鎮守の神。寒川神社にほど近い場所に丹沢山系の大山がありますが、この大山も(寒川神社と同じ)オオヤマズミ神大山祇神・大山津見神)がご祭神
神奈川県の丹沢山系は、古くから秦氏が移り住んだ場所であり、富士王朝と関わりの深いパワースポット。のちの江戸時代になっても、大山は「関東総鎮守」として江戸幕府から深い崇敬を得ました。


話は戻りますが、田村将軍は、富士山噴火でダメージを受けた、富士王朝の神社を神奈川県に移し、寒川神社とします。
寒川神社は相模川のそばに鎮座しており、この相模川の対岸は平塚市の田村町。平塚の伝承では、(相模川をはさんだ寒川神社の対岸の)『田村町』は、「平安初期に、京都から坂上田村将軍がやってきて滞在した」ことが地名の始まりとなっています。遠い昔、田村将軍がこの地に、富士王朝の人々を避難させ、寒川神社として存続させたのは本当かもしれません。

また田村将軍は富士王朝の封印も行いました。
将軍は、噴火で富士山近辺に住むことが難しくなった、富士王朝の末裔(まつえい)を寒川神社に移すと同時に、富士山麓の各神社のご祭神(本尊)を、木花咲耶姫(コノハナサクヤ姫)に統一します。これは主君だった、桓武天皇の命令でした。

富士山麓の(富士王朝に関わっていた)神社の名前は、もともと先現(せんげん)神社だったそうです。しかし将軍は、これらの神社を浅間(せんげん)神社に変えてしまいます。『浅間(せんげん)』は、長野県にある活火山・浅間(あさま)山から来ており、現在、富士山麓にある色んな神社が「浅間神社」と呼ばれるのは、このことが由来でした。

通説では田村将軍は、中国の後漢の霊帝の子孫で、漢(あや)族で漢民族。ですが富士伝承では、将軍は縄文系?サルタヒコ(猿田彦)の子孫。それゆえ富士王朝の滅亡が忍びなく、富士の神社をこっそり寒川に移転させ、血筋を残し存続させた、としています。



・太陽系神・ニニギ尊と、月の王国のコノハナサクヤ姫との結婚

古事記・日本書によると、木花咲耶姫(コノハナサクヤ姫)は桜の如く華やかに咲いて、桜のようにはかなく散った絶世の美女。 天照大御神(アマテラスオオミカミ)の天孫、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に、高天原で出会い、一目惚れされ妻となります。

富士王朝では、木花咲耶姫(コノハナサクヤ姫)はオオヤマズミ神の娘。そしてオヤマズミは月読尊の長子。なので木花咲耶姫は月読尊の孫。
それに対してニニギ尊は、太陽神・天照大神の末裔(まつえい)

そんな二人が出会った高天原ですが、古代、富士王朝のあった富士山麓が高天原と呼ばれた場所。そして富士山麓は月読尊の子孫が治める月王国でした。そのため月読尊の直系である、歴代の富士王朝の王たちは、月夜見(つきよみ)性を名乗ります。


その後、ヤマトタケル(日本武尊)により、(月読尊直系の)月夜見命72代目の最後の王が討たれ、月夜見王の名前(姓)はこの世から消え失せます。
このヤマト王権との戦いでは、秦氏・除福の子孫である「福仙」が、富士王朝の軍師として参戦。
こちらはのちの、富士王朝の本編で詳しく書いていきますね。


富士山麓で、太陽神系皇子・ニニギ尊が、月王国の姫である木花咲耶姫に出会い、恋に落ちて結婚。
それはまるで、太陽と月の婚姻でした。この二人の子孫は、天照大神と月読尊の直系であり、(系図上で)天皇家の先祖。そして現代の皇家に続いていきます。

そんな重要な神さまである、月読尊。でも古事記や日本書記に書かれていないのはなぜか? ヤマトタケルによって、月夜見王は討たれましたが、月読尊の血脈は今も(天皇家とは別に)続いています。
いわばもう一つの皇家と言えるかもしれない、月(富士)王国の直系はどこにいるのか?
富士王朝は謎に満ちているので、少しずつ書いてきますね。


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