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長野県小布施・縄文ゆかりの雁田山(かりた)訪問記 ~縄文探訪~
先日、長野県小布施(おぶせ)に行った際、縄文ゆかりの地である、雁田(かりた)山に行きました。雁田山の頂上付近には、古代、アイヌ民族が築いた「チャシャ」と呼ばれる柵があります。
チャシとはアイヌ語で「柵」や「囲」を意味する言葉ですが、チャシはたんなる柵ではありません。アイヌ民族にとって、チャシの目的は▼砦や城、▼見張り台、▼祭祀の場、▼狩猟の拠点など諸説あるそうです。
こちらのチャシは、3世紀から4世紀ごろ、ヤマト王権が東征した際、この地に住んでいた先住民(=アイヌ民族)が、チャシ(柵)を砦として使ったとの説があります。
それでは縄文ゆかりの地である、雁田山について書いていきますね。
・小布施(おぶせ)の地名は、古代ヤマト王権の将軍の出征が由来?
![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/88915901/picture_pc_8437245cafffd21187ee3679d0036e6e.jpg?width=1200)
こちらが長野県の小布施にある、雁田(かりた)山。けっこう大きな山で、古墳が多くあります。山頂近くにはアイヌの遺跡・チャシ(柵)があり、ふもとには、雁田薬師があります。
そもそも、小布施という地名の由来は諸説あります。まず、千曲川と松川が合流する場所なので、「逢瀬(おうせ)」から小布施になったという説。
次に、おだやかな「フセ・フシ(傾斜地)」という説。
最後に、ヤマト王権の豪族・布施(フセ)氏から来たという説があります。
日本書紀によると、第十代崇神天皇が日本を平らげるため、北陸、東海、西道、丹波の各方面に四道将軍を派遣しました。そのうち北陸に派遣した将軍が、布施氏の先祖。実際、長野県のお隣の富山県氷見市に、布施神社があり、その名残を伝えています。ちなみに崇神天皇の在位は、3世紀から4世紀。
そして雁田山で、先住民族アイヌがチャシ(柵)を使って、ヤマト王権と戦ったと言われているのが、3世紀から4世紀ごろなので時期があいます。つまり古代、この地に軍勢を派遣したしたヤマト王権の大王は、第十代崇神天皇だと考えられます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E7%A5%9E%E5%A4%A9%E7%9A%87
また布施氏はもともと、奈良県の葛城方面を支配した一族でした。奈良県の金剛山系に広大な山城を持ち、戦国時代は、織田信長、豊臣傘下での活躍が知られています。古代豪族の血をひく布施氏は、近世初頭でも活躍した数少ない大和(奈良)の名族。たまたま訪れた小布施でしたが、古代のロマンをかりたてる興味深い地名でした。
・縄文ゆかりの地、長野県小布施の雁田山を訪問
![画像5](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/88916270/picture_pc_4bdd50de199bde31658be2be4a918bd8.jpg?width=1200)
次に実際訪れた雁田薬師についてです。雁田薬師の正式名は、浄光寺薬師堂。小布施の雁田山のふもとにあります。
![画像3](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/88915943/picture_pc_0624df5dee2b9ffbb00bd357506c03a5.jpg?width=1200)
雁田山の案内。古墳群があるので、古代から栄えた場所のようです。
![画像4](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/88915970/picture_pc_7490c0c08268424530667f06b75ec5d9.jpg?width=1200)
雁田薬師の歴史の掲示板。こちらは征夷大将軍・坂上田村麻呂将軍について書かれています。8世紀の平安時代、ヤマト王権による軍勢の派遣は、史実のようです。
![寺](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/88916298/picture_pc_e748ea833bb49a66b1962e8ee225dcc6.jpg?width=1200)
この奥が薬師堂になります。静かな、落ち着いたお寺です。
奥の石段を登ってたところに、本堂があります。
![画像6](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/88916324/picture_pc_b0c66712bf5c05c8634412a318c62ead.jpg?width=1200)
こちら境内にある水汲み場です。シリカ水のおいしいお水でした。
小布施の川は、酸性なので魚も住めず、人間も飲めないとか?!そのため江戸時代、この雁田薬師の水は売られていたそうです。
100円をお賽銭箱に入れて水をくむことができます。縄文ゆかりの名水と思うと、何だか飲んでみたくなります。
![画像7](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/88916340/picture_pc_b5603096da2a7fe444c01b94fced7c9e.jpg?width=1200)
お寺のすぐそばのりんご畑。縄文からいろんな歴史を経て、りんご畑になった雁田山のふもと。そう思うと、ふとりんご畑を眺めていました。
今回は小雨も降っており、雁田山登山はしませんでしたが、天気が良いと景色も良い山で、ハイキングコースもあります。
・縄文ゆかりの地の名水でつくった豆腐ランチをいただく(まめ家)
また、この雁田薬師のすぐ近くに「まめ家」という豆腐料理屋さんがあります。実はこちらが当初の目的でした。あとから縄文ゆかりの地であることを知りました((-_-;)。
おいしかったので紹介しますね。まめ家のランチの豆腐コースです。
![画像8](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/88916362/picture_pc_f8698fa7c2c536fbf0566ecfba5e815f.jpg?width=1200)
まめ家のランチコース。まず手作り豆腐と煮物。そして野菜サラダ。
手前のサラダに入っているのは、鶏肉ではなく、豆腐のからあげです。
![画像9](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/88916397/picture_pc_555e29b4876c6e1ce5a0225c5e6d0ba2.jpg?width=1200)
豆腐の春巻きです。ベーコンとのり。チーズと豆腐が入っています。
![画像10](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/88916431/picture_pc_6c297d6605ccd777a36f32d7577c9289.jpg?width=1200)
豆腐でつくった、うなぎのかば焼き。「うなぎもどき」というのかな?
山椒もかかって、まさに味はうなぎ! この後、豆腐ステーキと、五平餅。そしてみそ汁と、デザートの豆乳アイスがつきます。何よりこのお店のウリは、さきほどの名水でつくったお豆腐。お水がおいしいと、お豆腐は本当に美味しいです。
縄文に想いをはせ、食べることができる、おいしい豆腐料理屋さん。
ちなみに人気のお店なので予約がおすすめです。
それにしても縄文に興味を持ってから、人生が豊かになった気がします。ふと訪れた場所で、「縄文」というちょっと変わった?視点から、その土地を見ることができたり?? またおいしい食べ物に出会ったり?!
これからも縄文探訪記続けていきたいです。
〈薬師豆富茶房まめ家〉
〒381-0211 長野県上高井郡小布施町雁田821−10
電話: 026-247-6706
〈参考サイト〉
本だけでなく、実際に現地に行ったりして調べていますが、わからないことが多いです。だからこそ魅かれる縄文ミステリー!縄文の謎解きははじまったばかりです。(*ᴗˬᴗ)⁾⁾💕ペコリン