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まだま村で一人掃除

今日は11月3日、勤労感謝の日です。
去年だったら、秋の紅葉を見にあちこちからお客さんが来られて、駐車場はぎっしりと車で埋め尽くされていたのに、今日のまだま村はひっそりと静まり返っています。
黄色や赤に色づいた落葉樹がほどよい風に乗って、ちらほらと私の頭の上に舞い降りて来ました。
自分では動かし難い、目に見えない大いなる力が、あっけなく今までのステージに幕を降ろしました。
枯れ葉の山を竹ぼうきで根気よく掃きながら、私は自分たちの生きている現実世界のはかなさを、ひしひしと感じてしまいます。
世の中の混沌とした動きにいち早く気づいた人たちは、きっと賢く次のステージへの準備をすすめて行かれると思いますが、私はここでひと休み。

動きを小さくすれば、消費も少なくてすむ。
世の中の経済システムからどんどん取り残されていくのもやむおえません。
先日、ガスの集金を長い間取りに来て下さっている近所の女性に、

「もう、カフェはやっておられないのですか?」

「はい、飲食の方はやめました。イベントはやっていこうと思ってます。」

「寂しいですね、奥さん頑張ってくださいね!」

その方は言葉少なにおっしゃいました。
まだま村に今まで関わりのあった方々はみんな、寂しい気持ちを味わっておられることと思います。
(ごめんなさい)私はいつも心の中で謝ってしまいます。

ただ、じっとして、次のステージが始まるのを息を潜めて待つのも、また人生の醍醐味かも、と自分に言い聞かせながら、、、、。

その間、お掃除、あちこちほころびたところが山ほど出てきます。
無理をせず、自分に出来ることからちょっとづつ始めましょう。

まだまホールのカウンターの下から、みかん箱大のダンボールが二箱でてきました。去年から全く開けていなかったのですが、中に夫の焼いた陶器がぎっしり入っていました。
夫は、リハビリテーションに入所していた時、陶芸を教えてもらってて、退所後京都のホテルに何日か泊まり込みで、陶芸家の先生についてもらって陶芸を習いました。一心不乱にまるで何かに取り憑かれたように器作りに励んでいました。先生の手も加わって、魯山人を頭に描きながら、力作を次から次に作っていきました。でもある日、左手だけでは土を捏ねることもできず、釉薬をかけることも無理だと知って陶芸のことは全く話題にしなくなりました。
2つの段ボール箱は封印されたままになっていましたが、私はそれを今度の夫主宰の梅干しの会の料理に使おうと思っています。
私は夫の作った器を箱から取り出し、テーブルの上に一つずつ並べました。

25年間、カフェで使って要らなくなった物を、冬の間処分することにしました。

来年の春になったら、きっとまだま村に新しい息吹が訪れて来ると確信しています。冬眠もまた楽し!人生を長く生きてると、世の中も、自分も、春夏秋冬のような周期があることがわかってきます。その周期の波に乗って、ゆらり、ゆらり、船をこいで行こうかなと思っています。

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