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エッセイストを育てる家 四話 ドラマ「父の詫び状」レビュー(続) 向田邦子

 なお、主人公である恭子本人はまだ若い女優さんが演じており、隣家に住む若い男性への淡い恋心を態度で示している。一方で、肝心の理不尽な父親への反応の微妙な表現までは演出家も求めていないようで、心中の思いを表現する場面ではナレーションが原作の言葉を借りて説明している。

 さて、このドラマの第三のテーマは家の中の秘密である。「秘密」とは家を基本とした時代にあっては、家や社会が強制する規範に違反する個人の言動であって、隠されたものである。向田邦子ドラマでは複数の登場人物が家族に言えない秘密を持つ設定が多いが「父の詫び状」ではその役割は祖母に限定されている。

 祖母は年穏やかで品があり、齢を感じさせない佇まいをみせるが、父は祖母とはほとんど口をきかない。母はそれを気にしている。祖母はその原因は自分にある事を認めているようで淡々としている。父が祖父と会話をしない理由は、ドラマでは十分な説明はないが祖母が若いころから恋多き女性であり父がそれを汚い事だと思っていることにあった。実際の向田邦子の父の母親はシングルマザーであり、父とその弟とは男親が違っている。ドラマではもう孫も思春期になる年齢にも関わらず、祖母は時々うちを数日留守にしてどこかへ出かけている(のちに恋人らしき初老の男性(殿山泰司)の存在が判明する)

 長女恭子は祖母が恋人と観劇しているところを偶々出かけた芝居小屋で発見しショックを受けるが、そんな祖母に対して父のように毛嫌いするまでの行動にはでない。ドラマを見る限りはふつうの平和な家庭でも大人には秘密を持つのだと後戻りできない認識を獲得したにとどまっている。そんな恭子がそのことをあれこれ考えたり祖母と喧嘩になったりする前に祖母は亡くなってしまうのだった。これはおそらくが向田邦子本人の気持ちそのままであろう。ドラマの中ではそれ以上の示唆を示すものはないが、向田邦子はこのような家庭環境の中で、「家の中の秘密」に対するある種の強迫観念を持つに至り、それを冷ややかに解き明かす毒を心の中で育て始めたと思う。

 秘密は発覚する。それは推理小説で探偵が登場するから殺人が起きるのとは似ているが少しニュアンスは異なる。かつての家を基本とする時代にあっては個人の心理などという概念はないので個人が心の中にだけ留めておく近代的な意味での「秘密」と言ったものはない。家族に対する秘密が露呈するのは「家」社会が崩壊し始めて、家よりも優先する個人の言動が許されるようになった証だと言える。つまりは公然なりつつある秘密こそが秘密なのである。向田邦子は家という制度が少しずつ解体してきた時代に子供から大人へ成長し、大人になってからは、子供時代から育んだ毒で家の中の秘密の暴露という形で「家」社会の崩壊を描く脚本家として生きた。

 脚本の元になるエッセイを読んでみると軽妙な身辺雑記の中に時々子供時代のエピソードを回想的に挿入しているに留まり、ドラマのように父の理不尽な怒りを描くことに始終したものではない。著者の病後に執筆されたというエッセイは、しばらく病身だったという気持ちもあったのか、おそらくは世間には語ることになかった子供時代のことを屈託なくあからさまに書いてしまった。もっとも後になって家族兄弟からは父や家族の恥ずかしいことを書き、また自分だけは良い子のように書いたことに批判があったと聞く。それはエッセイがベストセラーになったことの裏返しとも言えるが、向田邦子の一流の家族とそこにある秘密を赤裸々に描写しようとするある種の毒を兄弟は見抜いたのかもしれない。

 向田邦子には露伴の娘のように文壇関係者との知り合いもなく、週刊誌ライター・ラジオ作家の叩き上げで森繁久彌の推挙を経てテレビドラマ脚本家となった。文才や教養という遺伝や環境の背景はないが、子供時代の理不尽な父の顔色をうかがう観察力、父のトラウマともいえる家制度、そしてそれらを解き明かす冷静な毒、これらが向田邦子の武器となった。
皮肉なことではあるが、はからずも自分の子供時代の家を題材にして、現代の庶民(すでに核家族化し、昔の家のやっかいな人間関係のことは忘れている)に向けてテレビドラマという娯楽を提供したのだ。

 「父の詫び状」のエッセイ/ドラマではそれほど強調されたものではないが「阿修羅のごとく」に代表されるドラマは「家族とはうっとしいもの(橋本治)」「父というやっかいな存在」が一層クローズアップされる。それらから逃れることはできない哀しさと可笑しさ、家族への愛情を持ちながらその秘密を暴こうとする向田邦子の「毒」の原点が「父の詫び状」にはしっかりと示されているように思える。

 リアルタイムで観た「阿修羅のごとく」では気持ちを不安にさせるように頻繁にトルコ軍楽が挿入され、人気の少ない部屋に黒電話のベルが鳴る。あれは、今から思い出すに、向田邦子一流の毒を演出(和田勉)させたものだったのだろう。

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