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オススメされた本を読もう①:"Where the Crawdads Sing" by Delia Owens

 幼い頃、祖母に連れられて近所の林に栗を拾いに出かけたことがあった。人工林の中に敷かれた林道を抜けると、豊かな腐葉土に包まれた広葉樹の森に出た。森の先には崖と小さな沼地があり、小さな川がいくつも流れていた。定期的に手入れがなされる人口の杉林とは異なり、植物たちの独立した営みによって代謝し続ける、数少ない自然らしい自然の森だった。ニュータウンに住む子どもたちは寄りつかない(あるいは存在を知らない)森と沼地は、幼い私にとって秘密の遊び場になり、人間社会の外で適度に危険を学ぶ絶好の場所として機能していた。関東の農村に残る里山の名残は、ヒトよりも強い大型の動物(熊、猪など)が少ないため、平地であれば子どもが運悪く命を落とす危険は比較的少なかった。一方で、毒を持つ小型の動植物はそれなりに生息するため、小さな雑木林のルール(知らない植物には触らない、スズメバチの巡回ルートには近づかないなど)を考えて振る舞う必要があった。雑木林は、危険を避ける知恵があれば特別で楽しい遊び場だったが、その一方で、自分はそれらに歓迎されているわけではない、という緊張感が常にあった。ヒトは一個体としてはあまりに弱く、他の生物を排除したコロニーを作ることでやっと安心して暮らすことができる。この感覚は、ツキノワグマやカモシカなどの大型哺乳類と隣り合って暮らす東北の地に移り住んでますます強くなった。

 Delia Owensのデビュー作、"Where the Crawdads Sing" の主人公・Kyaの生活はその限りではない。彼女は寧ろ人間社会から隔絶され、河口の沼地という完全に手付かずの自然を味方につけて生きている。(土地柄を考えるにブラックベアーなど巨大な熊の生息圏ではあるが、彼らは本作に顔を見せない。)
 "Where the Crawdads Sing"は1960年代、ノースカロライナの沿岸にて、家庭内暴力や差別、孤独、貧困に苦しみながらも自然の中で生き、大人へと成長していく少女の人生を描いた小説である。アドベンチャー、ロマンス、サスペンス、様々な要素が組み合わされた傑作のドラマだった。

オススメされた本を読もう!

 この作品との出会いは口コミからで、様々なところから「すんごい流行ってるらしい」「はちゃめちゃに話題作」「推理小説らしい」など色々な噂を聞き、そんなに言うなら…と購入した。買ったはいいものの、謎が紐解かれることに対してあまりにも興味がない性質のため、しばらく積読にしていた。ところが最近になって、かなり信頼できる本の虫から「絶対読んだ方がいい」「推理モノとしては…うーん…」とオススメされ、あんたほどの人がそう言うなら…と、ようやくページを開くに至った。人からの対面式のオススメというのは、かなり強力な積読解消パワーを持っているらしい。
 そんなわけで、夜にベッドに腰掛け、麦茶をちびちびと飲みながら少しずつ前半部分を読み始めた。読み進めていくと、その人がこの本を勧めた理由が少しずつ分かったり、読みながらその人のことを考えたりということが度々あった。文学作品を互いにオススメし合うというのは、実際かなり親密なコミュニケーションなのかもしれない。映画を一緒に観るのとも全く違う、ちょっと特別な自己開示と受容とを、各々のペースと距離感を守ったまま可能にするいい体験だと思った。

ザリガニの鳴くところ

物語の舞台が地図として示されている。小さな町の地図が付属する小説は名作って決まってんだ…。

 "Where the Crawdads Sing"を読んでいて最も印象的だったのは、自然を利用した情景描写の巧みさだった。安息、痛み、喜び、苦しみ、怒り、あらゆる感情がMarsh(沼地)や河川、木々や海を介してきわめて美しく、ドラマチックに描写される。こうした情景描写自体は様々な作品に見られるが、沼地の自然と一体化して生きてきたKyaという主人公を中心に据えたこの作品では、その意味合いや説得力がより強く感じられる。私の一番お気に入りのシーンは、TateとKyaが空を舞うカエデの葉を捕まえて遊ぶところ。若い日の幸せそのものを表した景色として、読後も強く心に残り続けている。

Autumn leaves don't fall; they fly. They take their time and wander on this, their only chance to soar. Reflecting sunlight, they swirled and sailed and fluttered on the wild drafts.

Delia Owens, Where the Crawdads Sing, p. 124

 ペーパーバックに付属していたあとがきを読むと、著者のDelia Owensさんはカラハリ砂漠でライオンの生態を調査していた過去があり、手付かずの自然の中で生き残ることや、人間社会から外れた生活の孤独をテーマに作品を書きたいと考えていた、とある。同著者による体験記もあるので、この作品が出来上がるまでの背景を知りたい人にはお勧めしたい。

 "Where the Crawdads Sing"の結末は色々と驚きの多いものだった。思い出したのはKristin Hannahによるアラスカを舞台にした小説 "The Great Alone"。動機こそ異なるものの、逃げ場のない暴力に晒され、孤立した人間が生き残ろうともがく時、それは人間としての在り方を逸脱し、自然の中と同じ命のやり取りが生じることがある。"Where the Crawdads Sing"を読んで気に入った人には、"The Great Alone"もぜひお勧めしたい。どちらも後半はページを捲る手が止められないページ・ターナーというべき傑作長編。読み終えた日には、激しく揺さぶられた感情と長時間の集中によってクタクタになってしまう。

文学メシを作ろう

 Raymond Carverの短編を読んでいた時、どうにもサッと出てくる軽食たちが美味しそうに見えて、"Student's wife"に出てくるレタスのサンドイッチを再現してみたり食べたりしていた。材料はパンとレタス、バターと塩だけ。文学メシ、しかも簡単。

 "Where the Crawdads Sing"では、Kyaが料理をする場面が沢山出てくる。初めは貧しく手探りだったKyaの食卓も、成長とともに豊かになっていき、お腹が空くことこの上ない。私が購入したペーパーバック版でかなり嬉しかったのが、作中で登場する料理たちのレシピが巻末に付いていたこと。これで私もKyaの料理を再現できる!今すぐジュピターとカルディに走りこみたい!でも今日はもうクタクタ!
 機会があれば、好きな作品に出てきた食事を簡単に再現する会とか、やってみたい。

嬉しすぎる特典。文学再現メシが捗ります。

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