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20代のリアルと、ドラマなしに続いていく生活と/Beautiful World, Where Are You(Sally Rooney), NW(Zadie Smith)

 小学生の頃、学校の授業で20歳になった自分へのお手紙を書いて、どこかに託した記憶がある。どんな大人になっていますか。好きな人はいますか。想像もつかない将来の自分を想像して、私は何を書いたのだろう?
 さて現実の私はというと、研究室に篭り、読書に耽り、画面の向こうの人たちとコミュニケーションをとるべく格闘していたら20代半ばになっていた。修士号を取るだけの研究データがたまって、ありがたいことに、好きになった医療機器メーカーで仕事をもらえることになった。視力がちょっと悪くなって、気まぐれにメガネをかけるようになった。今の私ってどんな大人だろう。うまく説明するのは難しいけれど、小学生の自分に今の本棚を見せたらなんとなく感じ取ってもらえるだろうか。
 そんなことを考えている状況も相まってか、最近は20代-30代の主人公を据えた現代文学に対する読書欲がすごく高まっている。20代前半。AcademiaからAdulthoodへの転換点。社会人としての生活の地平を見渡して、さてどこに行こうかと考えている。考えすぎてよく分からなくなっている。Existential crisis…とまでは行かずとも、明確なマイルストーンのない大人としての長い時間にどう向き合っていいか分からずもがいている。国によっては大学卒業後にすぐ就職をせず、1-2年ほどのgap year(s)を設けることでこれに向き合う人もそこそこいるというが、いわゆる新卒一括採用の傾向が強い日本では少数派かな。なんにせよ、こんな時に本の虫がとる行動は一つ。読書である。

 以前参考にしたのが、次に読む本探しでよく使っているPenguin Booksの紹介記事。"20 books everyone should read in their twenties"…なんてお誂え向きな記事があることでしょう!

 そこで出会ったのが、Zadie Smithの"NW"。このNWとはNorth Westのことで、ロンドン郊外、北西部の地域を指す。"NW"では、ロンドン郊外の寂れた町に暮らす様々な大人たちの今と、今に至るまでの人生が振り返って綴られる。

この表紙のカラーがまた素敵で…

 何もかもを共有できていた幼い頃と、経済的に、ライフステージに、価値観に、差が広がっていく現在。まず各々の現在が描写されて、その後に「ああ、なんでこんなふうになったんだっけ?」とでもいうように、過去から現在に至るまでの出来事が明らかにされていくのが面白い。退屈な人生を変えるようなドラマなんてないし、愛のある結婚は必ず不和を生じるし、みんながやってるみたいに子どもを産んで、育てて、その先に何があるの?という、30代の主人公たちの薄暗い曇り空みたいな悩みが丁寧に描かれている。
 "NW"は表現手法としても面白い小説だった。章ごとに全く異なる手法でそれぞれの人物の掘り下げがなされていて、一冊の小説でこんなに多彩な描写を楽しめるなんて、とちょっと贅沢な気持ちになった。


 Zadie Smithの作品といえば、さまざまなルーツと人種が混在した複雑で現代的なロンドンの風景が特徴的。"NW"では、登場人物のほとんどが有色人種であり、それぞれの文化的なルーツに対する解像度の高さを感じることができて嬉しくなった。たとえば、主人公の一人であるLeahの夫Michelは、ある女性に「女の子みたいな名前」とか「彼ってアフリカン?」なんてコメントされるけれど、文中では彼のルーツがカリブ海に浮かぶグアドループ(フランス)とアルジェリアにあることが明記されている。各々の民族が持っている歴史というのは本当に個別的なもので、文学に関しても「アジア文学」「アフリカ文学」なんて大雑把な括りが年々ナンセンスになってきていると感じる。
 個人的にちょっと好きなシーンは、Leahがバーで見かけた女性に対して、「あの人すっごく綺麗!中国人?日本人かな?」と発言し、→韓国人でした というやりとりとか。東アジアに分布する民族のアイデンティティを分けて認識しているナレーターと、でもぱっと見だと分からんよな〜(本人たちもあんま見分けはついてないし)というリアルさが共にあって良い。

 そしてもう一作、Adulthoodの始まりを描く現代文学といえば、やっぱり外せないのがSally Rooneyでしょう。Sally Rooneyの作品はすでに日本語訳も出ていて、世界中ですごい人気みたい。特に富裕層とワーキング・クラスの幼馴染に焦点を当てた"Normal People"は読んだことのある人も多いはず。そういえば、"NW"に登場するFelixも自分の振る舞いが"normal person"らしいかどうかを非常に気にしていたような。"NW"の視点で言えば、スタンダードにされた「普通」なんて今や存在しないということなのですが…。

ペーパーバックで買ったSally Rooneyの長編2つ。カバーのデザインがめちゃくちゃに好き。

 Sally Rooneyが現在発表している長編小説の中でも、唯一社会人の大人たちを主人公に据えたのが"Beautiful World, Where Are You"。Sally Rooneyの作品の中では、経済的な格差とか、出身家庭のクラスによる生活や価値観の差異がよく題材になっているけれど、"Beautiful World, Where Are You"では、そういった格差が出自だけでなく、社会人として働き始めた自分の立ち位置としても描かれるようになる。

 まず主人公の一人であるAliceは、ワーキングクラス出身だけれど小説家として成功し、ミドルクラス出身のEileenよりずっと多く稼ぐようになる。Eileenはというと、自分の好きな業界で働いている…けど給料はあまりにも低い。家族とはあんまりうまく行かないし、友達とメールのやり取りはしても直接会うことがなくなったのはいつからだろう。現代人らしい孤独とか、インターネット上での名声とか、絵に描いたような恋愛関係の拗れとか。様々なポジションにいる現代人のポートレートとしてものすごく完成度が高いし、面白い。これまでのSally Rooneyの作品と違うのは、「ふつうの人」になりたくて足掻く若者の話、ではなく、「ふつうの人」になった大人たちの「ふつうの」人生の話、というところ。劇的なストーリーテリングではなく精細な人物のポートレートを得意とするSally Rooneyらしい作品ともとれるけど、初めて読んだ時はびっくりした思い出がある。
 "Beautiful World, Where Are You"は、AliceとEileenの視点の間に、二人の間でやり取りされているメールの文章が載っている、という形で物語が進む。現代文学で、文章が全部ロウワーケースで書いてあるとか、略語の多いチャットとか、若者らしい電子媒体特有の癖が出ているのを見るとちょっと嬉しくなる。現代文学をリアルタイムで追うことの楽しみの一つ。

 こうして素晴らしい作品に触れていると、うだうだ考えていた人生の途方もなさがちょっとどうでも良くなってくる。人生を180度変える出来事なんてあんまりないけれど、ドラマのない日常をそこそこにやっていくのも悪くないかも、なんて考える。たくさんあったら人間モーターとして回転することになるし、一回の駆動で180度回転するのなら、私たちの細胞に内蔵されている酵素より回転数が良くなってしまいそうだ。一体なんの話をしているのだろう。
 なんにせよ、また悩む頃には本棚が私を呼んで、「新作出たよ」とか囁いてくることに期待している。



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