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人間を「精巧な機械」に作り替えるには: The Handmaid's Tale by Margaret Atwood
子供を産むことにはかなり抵抗がある。抵抗というか、けっこうな恐怖がある。ひとたび子供を身籠ると、自分の制御のもとにあった(少なくともそう思われた)体は自分の意思と無関係に変化を始める。それは一年に満たない一過性のものだと分かっていても、腹の中で別の個体が発生し、個を捨てて尽くさねばならない…という状況は、自分には耐え難いことのように思われる。こうして書いてみると、自分が恐れているのは自由と自律が脅かされること、一生物として急激な変化を強いられることであって、つくづく子供を産むのに向いてないやつだな…と思う。
こういう恐怖に対抗してくれるのはいつも、共有された知識だ。最近の分子生物学の世界では、いわゆるDNAの配列として存在する遺伝情報に加えて、DNAに化学的に付加された修飾や核酸結合性タンパク質の状態を調べるエピジェネティクスという分野がかなりホットになっている。この分野では、従来の時間経過による年齢(chronological age)に対して、エピゲノムの状態と老化に相関を見出して"生物学的な年齢" (biological age)を定義することが試みられている。ヒトは妊娠するとbiological ageがわずかに"老化"寄りになるという研究があったが、実はこれは一過性のものである(妊娠期間が終わるともとに戻る)という話が、ついこの間のNature誌のニュースに載っていた(下の記事参照)。この話のように、ヒトの妊娠・出産という現象に関心が向けられ、リソースが割かれ、研究が進み、誰もがそれを知ることができるという状態は、かなりの安心材料になる。なんかよく分かんないしワンチャン死ぬかもしれんけど頑張ってくれや、という状況では、私に限らず誰だって逃げるのが吉と判断するだろう。たとえ逃げた先が別の死だったとしても。
Margaret Atwoodの代表作の一つ"The Handmaid's Tale"では、激しい抑圧によって成立したディストピア的な世界観の元・アメリカ合衆国、Gileadが舞台となる。語り手の女性は自分の名前を使うことが許されず、自分の"所有者"の名前をとってoffredと呼ばれる。彼女と同じ立場の女性たち(handmaids)は皆名前を失い、物を所有する権利を失い、個人としての意思と感情を露わにすることを禁じられている。Of-fred、"Fredの"、Of-glen、"Glenの"、のように。彼女たちは、日常生活において人間ではなくモノとして扱われることが徹底されており、「子供を産む」という役割のための代替可能な製品として扱われる。Gileadは、かつて奴隷を所有した国々が巨万の富を築いたように、特定のカテゴリーの人々から人間らしさを剥奪することで栄えようとした国家として語られる。旧約聖書におけるヤコブの妻たちとその侍女たち(ラケルとビルハ、レアとジルパ)をモチーフとした物語。
Margaret Atwoodといえば20世紀から現代までのアメリカ文学界を代表する一人で、毅然としたインタビューへの回答やファッショナブルないで立ちも含めて非常に人気の高い作家である。多くの作品が日本語にも翻訳されているので、日本でもかなりよく知られた小説家と言っていいだろう。しかしなんとこの私、Margaret Atwoodの長編をぜんぜん読まずに20代半ばまで来てしまった。詩とか短編はちょっと読んだことあるのだけど。最寄りの図書館には彼女の作品をこれでもかと寄贈した謎の人物がいたようで、読み始めるための環境はこれ以上ないくらい揃っている。その上、最近"The Handmaid's Tale"の続編"The Testaments"が執筆されたことも後押しして、さすがに、読むか…!となったのでした。
読んでみてまず圧倒されたのは、語り手であるoffredのささやかな生活・心情描写の的確さだった。服を着る、風呂に入る、食事をする、言葉を発する。すべての所作に魂が宿っているという感じがして、彼女の感じているささやかな喜び、苦しみ、嗅いでいる匂い、緊張、少しばかりの安堵、抑圧。これら全てが我がものとして感じられるほど繊細で、それでいて無駄がなく、全ては著者の計算のもとなのだと気づく。中学生時代に初めて芥川龍之介を読んだ時も文章の無駄のなさと適切さに どひゃ〜!とびっくりしたものだけれど、その時の感覚に近い。緻密、という言葉がしっくりくる。前半部分から既に「ド天才の本じゃ〜〜ん!!」と、かなりうきうきで読み進めていた。
さらに読み進めて感嘆したのは、抑圧された環境でoffredの心が壊れていく描写。わずかに、少しずつ、しかし確実に狂気がやってくる。"The Handmaid's Tale"は、閉鎖的なディストピアものの王道な展開として、「完全に抑圧された状態から、少しずつ世界が開示されていく」という形を取っているのだけれど、この「世界の開示」が全く開放を約束していないのがポイント。世界を知ることが希望につながるのは初めだけで、いずれは、終わりのない無力感と絶望、恐怖に置き換わってゆく。常に消費期限付きのモノとして扱われる生活は、時間が経つだけで心を蝕んでゆく。offredが静かな夜に乾いた笑いを押し殺すシーンはこれ以上の言語化のしようがなく、まさにpeak fictionという感じ。
Then I hear something, inside my body. I've broken, something has cracked, that must be it. Noise is coming up, coming out, of the broken place, in my face.
If I let the noise get out into the air it will be laughter, too loud, too much of it.
"The Handmaid's Tale"の凄いところに、あらゆるディストピアものの読者がそうであるように、初めは完全に部外者として一歩引いたところにいる読者を、確実にoffredと同じ場所まで連れてくる構成がある。物語の序盤には、極めて閉鎖的なGileadの体制を面白がってやってきた日本人の観光客たちが登場する。彼らは衣服や行動まで制限されたhandmaidたちを自由に眺めて、「あなたたちは幸せですか?」なんて不躾な質問までする。こんな書き方をしているけれど、私もこの時は確実に彼らと同じ目線でoffredたちを眺めていたし、彼女らの世界が自分たちのものと地続きである可能性など考えたくもなかった。しかし、offredの回想によって、大統領が射殺され、女性が仕事場から追い出され、銀行口座を凍結され、身柄を拘束され…というふうに、段階的にGileadの体制が確立されていった様を見ていくと、初めに考えていた2つの世界のギャップが徐々に埋まっていくようだった。
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この物語のラストシーンが好きだ。壊れた日常とルーティーン、その先にあるのは希望か絶望か分からない。先のことは何も分からないし、自分はもう、疲れ切っている。大切なものは何もかも失われている。"The Handmaid's Tale"は、100年以上先の未来において、Gileadを専門とする歴史学者たちによって発見された、当時の録音の書き起こしという体で語られる。この物語のあと、offredは、一体どんな気持ちで、どんな姿をして、私たちに語りかけたのだろう?
この物語では、Handmaidたちに人間らしい意思を持つことは許されていない。子供を産んでも、それは自分の子ではない。実験室でせっせと外来遺伝子を複製し続ける大腸菌みたいに、彼女らはただの機械である。戦争で、敵国の女性たちに子供を孕ませることが希望を削ぎおとすための戦略として利用されるように、生殖機能を支配の下に置くことは、人々を「人間」から「よくできた分子機械」におとしめるために最も有効な手段の一つである。1984年、この時代に、このテーマで素晴らしい作品を発表したMargaret Atwoodの見た世界を、私はもっと読んでみたい。
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