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the New Yorkerで面白かった短編フィクション②: 村上春樹 / Souvankham Thammavongsa

 The New Yorkerを自身で購読し初めてから随分経ちました。最寄りの図書館に置かれていないのが不満で、また最近は電子版の記事の更新がタイムリーかつ非常に読みやすいということに気づき、電子版のみの契約をするに至ったのでした。普段使っているiPadでマガジンを読んでいるわけですが、嵩張らない・シワにならない・音声 & podcast 付き・動くアートワークと相まって、最高の読み心地で大変おすすめです。フィジカルブックにこだわりが強い私にとっては、電子媒体の読書に慣れるきっかけとしてもありがたい存在になっています。
 そういえば、先日の記事で電子書籍との付き合いについてのエッセイが載っていました。著者の娘さんは電子書籍ネイティブ世代というべきでしょうか、7歳にして公共図書館の電子書籍を100冊以上(!)タブレットで読んでいるとのこと。考えてみれば、7歳って凄まじい勢いで活字を咀嚼・消化・吸収する時期だし、1週間に10冊なんて制限なく自由に借りて読むことができる電子図書館はピッタリなのかも。

 以前の記事では、the New Yorkerに掲載された短編フィクションのお気に入りを、好きな作家探しというテーマで紹介しました。なんの気なしに描き始めた読書日記でしたが、記事を書きながら読んだ時の興奮を思い出したり作品を読み返したりできてなかなか楽しかったので、今回は1つ1つの作品について、もう少し内容に踏み込んで感想を書きたいな…と思ってキーボードをパチパチと叩いています。

"My Cheesecake-Shaped Poverty" by 村上春樹

 昨年夏のFlash Fiction (サッと読める短い短編)連載に村上春樹さんの作品がありました。iPad版AppのFiction欄をぼーっとスクロールしていた時に発見し、今更ながら読みました。英語訳はPhilip Gabrielさん。村上春樹さんのシンプルかつユーモアに富んだ文体がうまいこと英語に落とし込まれていて良いです。そういえば、村上春樹さんは「職業としての小説家」の中で、自身の文体を日本語からではなく英語から確立したという旨のことを書いていました。そういうわけなのか、村上さんの文章を英語訳で読むのは、他の日本人作家の作品を翻訳で読むより自然に受け入れられる気がします。

発想を根本から転換するために、僕は原稿用紙と万年筆をとりあえず放棄することにしました。万年筆と原稿用紙が目の前にあると、どうしても姿勢が「文学的」になってしまいます。そのかわりに押し入れにしまっていたオリベッティの英文タイプライターを持ち出しました。それで小説の出だしを、試しに英語で書いてみることにしたのです。

職業としての小説家、村上春樹、新潮社、2015年、p. 50-51.

 上に貼り付けたリンク先のページを開いてもらうと見られるのですが、アートワークがガタンゴトンと動く電車と線路ぎわの家になっています。このエッセイは、村上さんが若い頃に住んでいた"チーズケーキ型の土地"に建てられた家の話です。鼻先を掠りそうな距離で電車が通る線路2本に挟まれた土地、ましてここは東京、朝から晩まで、そしてまた朝まで、電車の轟音とともに揺れる小さな家…。自分が今住んでいるアパートも線路のそばなのでちょっと気持ちがわかるような気もしたけれど、こちらは秋田の静かな街、村上さんが住んでいた環境とは訳が違うのだろうな…と想像しながら読みました。
 村上さんの作品で好きなところに、猫との関わり方があります。このエッセイでも当時ともに暮らしていた猫が登場するのですが、愛玩される動物、というより、ヒトとはちょっと違うけど独立した意思と尊厳を持った対等な存在、として扱われている感じがします。かといって過剰な擬人化や心情の代弁は決してしない。SNSを開けば猫可愛がりされた猫の写真が永遠に流れてくる時代に、このくらいの距離感で猫に敬意を払うのは結構稀有なことに思えます。

"Bozo" by Souvankham Thammavongsa

 なんと!私の大好きな作家、Souvankham Thammavongsaさんの新作が!4月初めのマガジンに掲載されました。Souvankham Thammavongsaさんの作品については、結構前の記事で紹介していました。人間に対する温かいまなざしと、繊細な人間関係を切り取る描写の豊かさが特徴の作家だと思います。
 今回の短編"Bozo"は、現代的な恋愛に一歩踏み入れようとする主人公の一人称小説。"Bozo"は、日本語で言うところの、何でしょう…丁寧に言うなら「おばかさん」「間抜け」とか…?もっと現代の若者っぽさを持たせるなら、「アホ」「しょーもな」とかでしょうか。思わず日本語の類義語辞典を「あほ」で検索する夜。Weblio辞典で検索したら「あんぽんたん」「おたんこなす」とかも出てきました。音の響きはかわいい。
 この作品は全て主人公の一人称視点で描画されるので、主人公のありようを客観的に、ビジュアルとして捉えることができないのが特徴的。しかしならばこそ、主人公の内面だけが浮き彫りになったような形として、読者である自分とはかけ離れた他者として、彼女の見る世界を内側から眺めることができます。この作品に関して、Thammavongsaさんのインタビューも同時掲載されているので、作品を一読してピンと来なかったり、これってどういうこと?と思った人には、読むことをお勧めします。

 "Bozo"で感心したのは、Thammavongsaさんは作者として、なかなか一歩を踏み出せなかったり、恋愛がうまくいかなかったりする主人公の女性を「美しいひと」として表現した、というところ。一人称視点によって客観的なルッキズムが排除された作品であることは言うまでもないですが、作者が表現したかったのはさらに一歩進んだもの。Thammavongsaさん曰く、他の人には"ダサいやつ"だと思われそうな彼女は、実際のところ純粋さと美しい愛の向け方を持った人格なのだ、とのこと。外見のみならず、内面の美しさに対して形成されたステレオタイプを指摘し、「いや、こんな内面の美の見出し方もあるのだ」と主張する作品になっているのです。外見に関する単一な価値観を振り払うので精一杯な日本人の私には、ちょっとかなり新鮮な、自分の価値観の狭いことを気付かされるような、すごく良い作品との出会いになりました。

We often think that beauty is about what we are looking at, but beauty is actually about the person who is doing the looking.

Souvankham Thammavongsa on Adoration, the New Yorker, April 1, 2024.


今週のthe New Yorkerの表紙はタブレットで遊ぶ猫ちゃんでした。最近の猫は遊びもハイテク。

 気がついたら3000字くらいになっていましたが、面白い作品が多すぎてまだまだ書き足りない!最近新たに好きになった著者もいるので、それについても後で紹介したいと思います。しかし、the New Yorkerに大好きな作家の新作が載った時の興奮、瞬間風速、すごい。

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