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The Midnight Library: IFの人生を眺めるも、両方の旅人にはなれないので

 大学院に入学してから、将来のことを考えている時間が増えた。ここ数年の大学生・大学院生は、進路を調べたりインターンシップに参加してみたり…という、いわゆる就職活動の時期が大幅に早まっており、大学院卒業後の進路は大学院入学時には考え始めないといけない、という具合になっている。最近はオンラインでイベントを行う企業や研究機関がほとんどなので、自分の部屋から出ずとも関係者と話したり、仕事の一部を体験したり、進路を決めたりすることが可能。便利な時代になったもので、自分が今・どこに居ようとも、目の前には常に膨大な数の選択肢が提示されている。
 こんな人生の岐路に立つと、いつも思い出す詩がある。かの有名なRobert Frostの"The Road Not Taken"は、きっとたくさんの人々が悩ましい選択をするたびに、あるいは人生を振り返って内省するたびに、心の中で幾度となくなぞられてきた詩だろう。いかにもロバート・フロスト!と言いたくなる、美しい木立の中の風景を思い起こさせる書き出しは、耳にしたことのある人も多いだろう。

Two roads diverged in a yellow wood,
And sorry I could not travel both

Robert Frost The Collected Poems, VINTAGE BOOKS, p.105, line1-2

 "The Road Not Taken"はあまりに有名な詩なので、様々なところで引用されているのを見かける。話題書の"The Midnight Library"もその中の一つ。

 "The Midnight Library"は、人生が何もかもうまくいかないし、自分は誰にも必要とされていないと絶望したNoraが主人公。「彼女が死を決意する19年前…」という求心力の高い一行目から始まり、もはや人生の終わりかと思われたNoraの自殺から物語は始まる。薬とお酒をいっぱいに飲んで死んだはずのNoraは、幼い頃に親しんだ図書館の司書とそっくりな女性が管理する"The Midnight Library"に辿り着く。司書の女性は、ここはNoraの人生で生じた無数の選択肢の数だけ存在する「IFの人生」が収められた図書館だという。Noraは無限の回廊に収められた無数の本(人生)から好きなものを選び取り、何度でも「あの時の選択」をやり直すことができる。もし本心から気に入った人生があれば、そのまま生き直すことだってできる。過去の選択や後悔と向き合いながら、生きたいと思える人生を探し始めるNoraだが…というあらすじ。
 人によっては、この物語がどういう終わりを迎えるか、あらすじを聞いた時点で言い当ててしまうことができるだろう。私も序盤を読んだ時点で、「こういう感じで終わるんだろな〜」というのは大体予想できていて、王道だよねなんて言いながら読み進めていた。しかし、そんな王道すぎる展開でも読者を飽きさせず、かつ下手をすればちょっと説教くさくなりかねないテーマにしっかり説得力を持たせて書き切ることができるのは、Matt Haigの手腕としか言いようがない。これが本当にすごい。安心して読める王道、ということに加え、本の虫なら実家のように安心できる図書館を中心とした物語ということで、まさにcozy readingというべき一冊。ベストセラーになって日本語訳もすごい速度で出ていましたが、それも納得。

 "The Midnight Library"で上手いな〜と思ったのは、Noraが様々な選択によって生じた様々な人生を体験するので、どんな読者でもその中の一つくらいは、どこか自分と重なって共感できるポイントが見つかるだろう、というところ。Nora、あなたって私みたいだね、と思うところが随所にあって、必死に生きるNoraに没入しながら、またあるときは応援しながら、すっかり読みいってしまった。20代前半に出会ってよかったと思う小説。

ロバート・フロストとの出会い

 "The Midnight Library"を読んでいて思い出したのが、高校時代の恩師の言葉。「両方の旅人にはなれない、といいますから」と何気なく教えてくれた言い回しが気になって調べ、たどり着いたのが"The Road Not Taken"だった。当時読んだのは岩波文庫の「対訳 フロスト詩集」。セレクションが本当に素晴らしい選集で、初めてロバート・フロストに触れるには最高の一冊だと思う。

当時、学校近くの本屋で購入した文庫本。

 かの有名な"And sorry I could not travel both"は、この版では「両方の道を進むわけにはいかないので」と訳されている。翻訳も解説も素晴らしいものだったけれど、私は先生の「両方の旅人にはなれないので」が大好きだった。両方の旅人にはなれない。だから、結局どっちの人生が良かったかなんて分からないし、選ばなかった道を考えるより、なるようになった先を大切になさい。どこか浮世離れした雰囲気を持つその人の言葉は、どんな尖った生徒にも響く不思議な力があったように思う。
 この岩波文庫版の解説では、なんでもくよくよと悩む友人を見てフロストが"The Road Not Taken"を書いた経緯や真意について記載があって面白かったので非常におすすめ。道を選んでから数十年後、「それであの時の選択が大きかったんだよねぇ」なんてため息をつきながら話す様子が、暖かなユーモアと、予想だにせぬ人生への卓越したまなざしと共に感じられる一作。自分は残りの人生で、あと何回この詩を思い出すんだろう?

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