見出し画像

で、45歳でのフォルケホイスコーレどうだった?

さて、早いもので帰国して、もう1ヶ月。

帰国するやいなや、クリスマスにお正月、
家の整理や家族の用事に追われる日々で、

本当に私はデンマークにいたのだろうか?
あれは夢だったのではないか?と思うときがある。

浦島太郎が竜宮城から帰ってきて、
玉手箱を開けたらおじいさんになった意味がずっとわからなかったけど、
そういうことか。
そんな物語を大昔の人が考えたことに改めて感心してしまった。

来月からは仕事も始まるので、もっと日本モードになるんだろうな。
どんどん記憶や感覚が薄れて行くのが怖いし寂しいんだけど、
引きずりながら日本で生きて行くのはそれはそれでしんどい。

おそらく日本にいたら、たったの4ヶ月。
それでも私にとっては、私の中で一生輝き続ける宝石のように
スペシャルで愛おしい時間だったなと改めて思う。

帰国以来、「デンマークどうだった?」と聞いてくれる友人たちに
なんとか説明しようと思うのだけど、
たった4ヶ月が自分の中でどうしてそんなに色濃く残るもの
になったかを端的に話す事はとても難しい。
端的に話そうとすればするほど、
自分の中にあったリアルな感動を軽んじてしまう気がして。

何を言っても書いても
ふわふわした感想にしかならないかもしれないが、
鉄が熱いうちに、記憶がすっかり風化してしまわないうちに、
ここに書き記しておこうと思う。

「40代女性」「フォルケホイスコーレ」
のキーワードで、たまたま見てくださった方々がいたら
ごめんなさい。
ドンピシャ参考になる記事はなかったと思いますが、
読んでくださってありがとうございました。



ホイスコーレを通して見つけた私

私にとって一番贅沢だと感じることは、
衣食住が保証された中、
一歩外に出るだけで享受できる美しい自然環境の中、
好きなことだけを好きな時間学べることだと、
この4ヶ月を通して気づいた。

ただのバケーションではない、ただの観光、旅行、アクティビティではない、
そこに「学ぶ」「暮らす」というキーワードが付随する事が、
私にとっては重要だったのだ。

それにはタイトなスケジュールはふさわしくない。
時間泥棒であるテレビ、スマホ、家事、仕事はないほうがいい。

大人になれば「家事」や「仕事」は生きるために必要で、
誰もがやらなくてはいけない、できて当たり前の中で、
人生のうち少しの期間、あえてやらなくていい時間があってもいい。
がんじがらめになっている時には思えないかもしれないが、
少しの期間から戻った今ならそう思える。

じゃあ、家事や仕事何もかもから解放され、
山にこもって一人で創作活動できればいいか?
と言うと、それは違う。

慣れない環境で、嫌なことも含め、
初めて身を置く場所、学び、人間関係があってこそ、
これまでの自分や常識と思い込んでいるものから、距離を置く事ができる。

それとあながち私だけではないように感じる
日本人限定?必須ポイントは、
「言葉が完璧にはわからない」
という事。

とかく言葉のニュアンスやその場の空気、
いわば枝葉の部分を拾いがちな日常から、
嫌味が通じない、理解できない語学環境に身をおくと、
言いたい事が言えない歯がゆさを超える
なんとも言えない解放感に気づく。

全てがわからないことの楽さは、
ある脳の部分を活性化させると同時に
別の部分をリラックスもさせるのではないだろうか。

そんな事をフォルケホイスコーレを終えて感じている。

**
私的現代版ホイスコーレの存在意義

約70校あるうちの、たった一つのフォルケホイスコーレに、
たった一度参加しただけの私が感じた
デンマークのフォルケホイスコーレとは・・

異文化交流の『意義』を知る場であり
学びを与え続ける教育機関であり
家庭のようなシェルターであった。

<異文化交流ってなんだ?>
ただ住んでいるだけでは出会えない人たちに
半ば強制的に出会い、
人種、性別、年代、習慣も違う人と、
初めて口にする料理を毎日一緒に食べて、
同じ洗剤で服を洗い、同じ歌を歌い、
同じ時間を共有する。

まるで「千と千尋の神隠し」の千尋である。
いつもと違う名前で、同じ服を着て、同じ物を食べ、同じ匂いで、
同じ仕事をすることで仲間になっていく (・・・宮崎駿天才。)

いとも簡単に授業を休んだり、掃除をサボったりする
外国人に腹を立てながらも、
しんどいときは休んでいいんだよと学び、
一方で日本人の勤勉さが誇らしく思えたり。

自分の意見を常に持ち躊躇せず表現できる人に感心する一方で、
我慢ができる日本人も捨てたもんじゃないと思ったり。

常識って、ジョーシキって、常に識るって、、、、なんだった?
まぁ、、、いいっか!となって初めて
あ、こういうのを「異文化交流」っていうのか!
とその意義に気づく。 そんな場所である。

<見返り・期待・比較のない教育機関>
スコーレ=学校である限り、学びの場であることに疑いはない。
教科書、ノートを使わず実践あるのみ。
学校のバスで時折連れて行ってくれるショートトリップや、
学校に来てくれるゲストたちのミニコンサートやミニ講座も含め、
常に新しい体験、知識、教えを提供してくれる場所だった。

もともと興味がある科目に没頭することもできるが、
一見興味の持てなかった科目やイベントの中で思わぬものを発見することもある。
逆に、どうしても興味のないピックもある。
その場合も昔書かされた「道徳の感想文」のように、
興味関心を絞り出さなくていい。

成績、比較、評価がない事はつまり、期待や見返りがない事であり、
話を聞いて参加して 面白くなかったり何かを得なかったとしても
そもそもその場にいなくても決して失望される事がない。

決して失望される事なく何かを与え続けてもらえることは、
学校や社会への安心感へとつながる。

<家族のようなシェルター的役割>
毎日決まった時間に食事が出ること、
お腹が減ったときにいつでも食べるものが用意されていること、
清潔で暖かい場所で安心して眠れることは、
貧富に関わらず、実は当たり前ではない。

色々な環境で育って来た生徒たちに、
まずここが保証されていることは最重要事項で、
食住の安心がないホイスコーレは機能しないと言っても過言ではない。

菓子パン一個でも、バナナ一本でも買って来てくれる人がいるから、
そこにあるのであって、どれだけお金があっても、
自分のためにそれを用意してくれる人がいなければ、
そこに食べ物はないのである。

20年以上家族のために買い物をしてご飯を作り続けて来た私にも、
この当たり前のようで当たり前でない環境は、違った意味で相当沁みた。

学校をドロップアウトした若者たちや社会に疲れてしまった大人たちに、
現代のフォルケホイスコーレは
心身が安心できるシェルターと、見返りを求めない教育の場と
一旦立ち止まって考える時間を与えてくれる、
まさしく家族的な役割を大きく担っていると感じた。

与えられ、守られている感覚、所属している感覚、それでいて自由な感覚。
ヒリつかない程度のストレス。飴と鞭。
巧い。絶妙である。

標準の学校教育だけでは不足する「何か」は時代が変わっても必ずあるもので、
その時代に合わせた「何か」を提供する場が
フォルケホイスコーレ=国民高等学校なのではないだろうか。

元々、教育の機会がないまま大人になった農民たちのために始まった
フォルケホイスコーレが、こうして時代とともに
その役割を変えながら現代にまで残っている・・・

「社会が人を育てる」「国民は国の財産」
という意識が国民に浸透し、機能しているからこそである。

その民度の高さよ。あっぱれデンマーク!としか言いようがない。

***
で、フォルケホイスコーレどうだった?

40代で行ったこと、子育てを終えて行ったことは
私にとってはベストだった。

多くの日本人が集まる学校で、自分を他と比較せずに
マイペースに過ごせたことも、若い頃の私だったらできなかったかもしれない。
日本人のメンバーたちは皆穏やかで朗らかな女の子たちで、
お互い助け合い、声を掛け合い、愚痴りあい、とてもいい距離感だったと思う。
勝手ながら仲の良い叔母と姪のような感覚だった。

学校でデンマーク人の友達はなかなかできなかったけれど、
アメリカ、ベルギー、日本の友達ができた。
学校外ではデンマーク、ルーマニア、ポーランド、ウクライナの友達ができた。
みんな娘くらいの年代だけど英語に敬語がないせいか、
フラットに話せることで、自分の年齢を忘れる瞬間が多くあった。
誰よりも「もう歳だから」を言い訳にする私が、である。

評価のない学校、大人として扱われる学校、先生と対等な立場で話せる学校、
「褒める」土壌があるデンマークで、
人は好きな時に好きなことだけ学べると、
自分の本当にやりたいことに敏感になれるということを学んだ。

好きだけど、
才能がないから、あの人みたいにうまくないから、
やってみたいけど
お金かかるし、時間勿体無いし、
第一元が取れるのか?将来性があるのか?

そんなフィルターばかりがかかって、
知らず知らず、好きなものにアンテナを立てることさえ制限していた気がする。

日本にも美しい自然はある。
学校や仕事を一旦休んで学ぶ場があれば素晴らしい。

だけど私はやっぱりもう一度デンマークに行きたい。

その街並みや植生が私の好みだからも大きいし、
片言のデンマーク語を話せるのも楽しい。

毎日いちいち文化の違い、考え方の違いに
驚いたり感動したり腹を立てるのも楽しい。

これはやはり日本という見慣れた土地の中、
食べなれた物、言葉の裏までわかってしまう母国語の環境では得難いと感じる。

45歳。
末娘の大学進学と仕事の契約満了のタイミングが重なって、
えいやっと申し込んだフォルケホイスコーレには、
私より年上のむちゃくちゃ格好良い女性が沢山いた。

喧嘩したら一発でやられる自信があるくらい強そうで、
仕事も家庭も恋愛も女もバリバリ現役な様子を目の当たりにして、

私、まだ若いんじゃ??? と思えた。
誰よりも「もう歳だから」を言い訳にする私が、である。

それだけで、
なんだかくたびれたオーバー40の日本から
飛び出して、デンマークに行ってよかった!!!
と思える。

もう45だし、最初で最後の・・・と
思っていたけど、

45も48も50も53も一緒。
フォルケホイスコーレは75歳までOKなんだから。

「求めよ。さらば与えられん」 
それがフォルケホイスコーレである。

帰国して1ヶ月、
まだ冷めきった鉄でない私の気持ちを
ここに書き記しておく。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?