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「半世紀前」という振りで恐らく読んでくれる人には、 現在の私のあり様は大方類推できてい…

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「半世紀前」という振りで恐らく読んでくれる人には、 現在の私のあり様は大方類推できているのだろう。   誰ににだって伝えたいこと・残したいものは あるってことなんだろう。  2023/07/01 あん_note

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  • 「日記」予測不能にもほどがある 昭和的実録海外ひとり旅

    既に半世紀前、プライベートでの初めての海外ひとり旅時の一年半程の日記です。 旅行日記であるにも関わらず、その地の紹介や感動などは余り書かれておらず、ただ自身の上に絶え間なく押し寄せる大波・小波の如き体験群とその時々に揺らされる心が克明に描かれていたことに、不思議を感じ、まとめ直してみようと始めたのです。 リライトするにあたり、当時の状況や思い|視点を忠実に再現することを方針としています。

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半世紀前の日記が発端だった

自分の書いた唯一の日記が出てきた、半世紀前の日記だった。 それは会社を辞め、はて目標は?と自分に問い直した時の差し当たっての身代り策となった「海外丸腰ひとり旅」の日記であった。 B5サイズのスケジュール表の表裏にびっしりと書き込まれた、時にはスケッチやエッセイ風のメモも差し込まれたモノであった。 見返してみると・・・面白かった・・・。 当時会社に入って、4・5年経って多少仕事が回せるようになると、案の定、虚無が襲ってきた。 当時の小生意気な自分には、(今思えば全く必要

    • 予測不能にもほどがある 24 旧ユーゴ|イタリア編 (1 昭和的実録 海外ひとり旅日記

              日記_026 シアワセの国  26-2/ jun 1978 途中Jimmyの友人のIsmaniと合流し、英語の先生と共に、彼の部屋に入ると楽しい晩餐はパイとアイラン(ヨーグルトに塩を混ぜた飲み物でトルコ発祥)で乾杯となった。 (実はここはJimmyの家ではなく、Ismaniの家であった。これからあちこち引き回されながら有りったけの友人を紹介されたので、誰が誰だか何処が何処だか、混乱してしまったのだ) しかしお互い旅の疲れか談笑も早々と切上げ、

      • 予測不能にもほどがある 23 ギリシャ編 (9 昭和的実録 海外ひとり旅日記

                日記_025   25/ jun 1978 ギリシャ エピローグ 翌朝、惜しむ気分もままならず追い立てられるように、人気のない道をバスで行く。 ところが(なんてコトだ) 船の中には長髪の外国人が二人、三人と居るではないか。 船は来た時とは反対側の半島の海岸線を、俺のいきり立った思いを沈めるかように、静かに舐めるように朝靄の中を進んで行く。 呆気ないAthosの幕切れに腹の虫が治らないのか、下船したらヒッチと意味もなく決め込んでいる。 すぐ

        • 予測不能にもほどがある 22 ギリシャ編 (8 昭和的実録 海外ひとり旅日記

                  日記_024 Athosは遠かった  23/ jun 1978 頑張れっ Tessaloniki 早朝に着いたTessalonikiの駅前の公園は、テントを張った避難民で、溢れていた。 不謹慎な言い方なのだが、瞬間ジプシーのテントかと誤解してしまった。 (実際自分は現在まで大きな災害にあったことは無いので、事の重大さが理解できていないのだ) 皆、端正な身なりをしていることが、余計地震のリアルさを自分に教えている様であった。 諭す様な歩調(

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        • 予測不能にもほどがある 23 ギリシャ編 (9 昭和的実録 海外ひとり旅日記

        • 予測不能にもほどがある 22 ギリシャ編 (8 昭和的実録 海外ひとり旅日記

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        • 「日記」予測不能にもほどがある 昭和的実録海外ひとり旅
          25本

        記事

          予測不能にもほどがある 21 ギリシャ編 (7 昭和的実録 海外ひとり旅日記

                  日記_023 夢は叶っている 15 / 16/ jun 1978  同室のEngland人 Athensに戻れば戻ったで、途端に憂鬱になる。 2日続きで夜、思い切って洗濯をすれば、些かの気は落ち着くか。 John’s Placeの同室に、MarkというEngland人が入って来た。 なかなか気さくで、俺の英語を褒めてくれた。 (恐らく俺の英語はQeen’s English仕立て(American Englishは習ってはいないし、知らない)で、Eng

          予測不能にもほどがある 21 ギリシャ編 (7 昭和的実録 海外ひとり旅日記

          昭和的実録 海外ひとり旅日記        予測不能にも程がある 20 ギリシャ編 (6

          日記_022 エーゲ海クルーズの楽しみ方 11/ jun 1978 クルーズ快調 島から島へのフェリー便はルートが限られているので、いつもPiraeusからの仕切り直しとなる。 行き先やら時間やらを合わせるのは至難の技、今回もMikonosのつもりでNaxosThira行きのフェリーに乗ってしまったようだ。 しかしお蔭で、そのフェリーの途中下船の選択肢のSyrosを選ぶことができて大正解、穏やかで美しい島だ。 (Athenにも引き返さず、そのままの足でPiraeu

          昭和的実録 海外ひとり旅日記        予測不能にも程がある 20 ギリシャ編 (6

          昭和的実録 海外ひとり旅日記        予測不能にも程がある トルコ編 01

          (この記事は誤って削除してしまったものを復活させたものであり、内容は以前の 昭和的実録 海外ひとり旅日記「予測不能にも程がある トルコ編 01」に同様です。あしからずご了承ください。) 日記_001 初めての英語が虚しく響く 20/mar 1978 13:15 PIA753便Haneda---beijin---IsramabadPIA703便 乗換---Theheran--- 初めての海外旅の始まりは、羽田から途中北京で1時間のトランジット。 セキュリティもなさそうな

          昭和的実録 海外ひとり旅日記        予測不能にも程がある トルコ編 01

          ときに映画は、旅を誘い、人を誘う

          抱きかかえることができそうなほどの至近をキールする鷗たちが、 時間の限りフェリーの船尾で出迎えてくれている・・・・・。 鷗たちと揺れながら、 「ギリシャを訪れるなら海からの回航アプローチで入るのが、オシャレ。 アテネの海の玄関は、あのピレウス港・・・・・。」 (そう、Jules Dassin監督 Melina Mercuri主演「日曜はダメよ」の舞台) 既に、フェリーのデッキは実に陽気な気配に溢れていた。観光客も余り利用しない、多く地元の人たちの利用するフェリーなの

          ときに映画は、旅を誘い、人を誘う

          昭和的実録 海外ひとり旅日記        予測不能にも程がある 19 ギリシャ編 (5

          日記_021 俺は旅人 5/6/7(1)/ jun 1978 一旦Piraeusに戻り、Katerigiと約束していた通りMelina & Jules夫妻宅に電話すると、今度は日本語を喋る女性がでた。 (んん?)「ワカッテイル」要件は理解しているようで、タドタドしい日本語ではあるが、「マダカエッテナイ」「モウスコシマテ」,詳細を引き出そうとするが理解しているのか、いないのか、埒あかず電話を切る。 (ウゥ〜ン、どう考えればイイのか) (もう一度面会できる

          昭和的実録 海外ひとり旅日記        予測不能にも程がある 19 ギリシャ編 (5

          昭和的実録 海外ひとり旅日記        予測不能にも程がある 18 ギリシャ編 (4

          日記_020 再びの「なんか変」 1(-2)/jun 1978 やっぱりなぁ Ancient KorintosのAporon神殿の床のモザイクタイルは、外部でありながら鮮やかな色を今に残し、秀逸であった。 一旦Korintosに戻り、(Ancient Korintosからは直通がない)いよいよあのライオン門のMykinesに向かう。 運河寄り道でチョット時間をくってしまったか。 一段と磨きの懸かったオンボロ具合のバスは、鬱蒼とした森の中の未舗装の道をガタ

          昭和的実録 海外ひとり旅日記        予測不能にも程がある 18 ギリシャ編 (4

          昭和的実録 海外ひとり旅日記        予測不能にも程がある 17 ギリシャ編 (3

          日記_019 実現したい 26/27/28/may 1978 実は昨日博物館の帰り道、”Broadway Theater”の場所を探し当て、しかもシアターのマネージャーと称する人からJules & Melina夫妻の住所まで聞き出すことができたのだ。 (日本を出る前、ギリシャ大使館で「現在、夫妻で舞台を上演している」ことを教えてもらってきていたのだ。舞台は既に楽日となっていた) 帰路、マネージャーから戴いたMelinaのパンフレット・スチールを抱え、アテネ

          昭和的実録 海外ひとり旅日記        予測不能にも程がある 17 ギリシャ編 (3

          昭和的実録 海外ひとり旅日記        予測不能にも程がある 16 ギリシャ編 (2

          日記_018 アテネ、変? 21/may 1978 バルコニーのあるホテル 翌日朝、誰かの時計がなくなったと一悶着。どうも空気が違う。 早々と宿は替えよう。 すぐに背の高いバルコニーの扉が、思いっきり放たれたビルを見つけた。 ベットマットを干している気配でホテルだなと中りがついた。 ”John’s place”と言った。 相部屋使用なのだが今は空いているから、とその2階のバルコニーのある部屋を案内してくれた。 天井高は優に5mはあって、先程見たバルコニー全面

          昭和的実録 海外ひとり旅日記        予測不能にも程がある 16 ギリシャ編 (2

          昭和的実録 海外ひとり旅日記        予測不能にも程がある 15 ギリシャ編 (1

          日記_017 堂々、アテネ回航 16/may 1978 オロオロ、クタクタ 国境の駅Pithionまで11時間(トルコ側)、最後のçaiを惜しんだその駅から8時間半(ギリシャ側)、列車は平野部をひた走りΔοραμα(Dorama)に着く。 途中線路工夫たちの作業姿が妙に印象的(そういえばとても奇妙なことなのだが、トルコではマニュファクチャー・酪農業・商売する人以外で、産業に従事する労働者たちを街中で見ていない様な気がする)で、ギリシャってこんな「勤勉な国」だっけ、

          昭和的実録 海外ひとり旅日記        予測不能にも程がある 15 ギリシャ編 (1

          昭和的実録 海外ひとり旅日記        予測不能にも程がある トルコ編 14

          日記_016 そろそろ、見納めか 8/may 1978 昨晩はIlfanの叔父の家に泊めてもらった。 これが一般のトルコの家かと思わせる、床から腰壁まで全てカラフルな絨毯やラグで巻き込んだ部屋は、小さいがとても居心地の良い部屋であった。 Ilfanと市内散策をして、バスの別れも遅くなってしまった。 Ereğli経由のZonguldakまでの道のりは、僅か60kmなのに2.5hも掛かる程、険しい。 山並みが複雑に絡み合い、海側は断崖絶壁で殆ど海を見ることもできな

          昭和的実録 海外ひとり旅日記        予測不能にも程がある トルコ編 14

          昭和的実録 海外ひとり旅日記        予測不能にも程がある トルコ編 13

          日記_015 お手上げの7日間  1/ 2/ 3/may 1978 (月が丁度改っての久し振りのIstanbulではあったのだが、どういうわけか日記は3日間記載がない。 勇んで戻っては来てみたが、再び待たされることになったことへの諦観(と言ったら全てを理解して悟ることだろうからチョット違えて)、観念、お手上げ感ナンだろうなあ。) (日記に忠実に 「記載なし」とします。)  コラム_20 日々是好日なり   「記載なし」に思うこと Istanb

          昭和的実録 海外ひとり旅日記        予測不能にも程がある トルコ編 13

          昭和的実録 海外ひとり旅日記        予測不能にも程がある トルコ編 12

          日記_014 見つけたよ 永劫の地 28/apr 1978 Kiz kalesi 1 今日もまた昨日までと同様禿山だけの車窓かと高を括っていると、小さくそして深く切れ込んだ変化に富んだ入江の連続が出現し始めた。 水深は浅く葦も茂っているようであった。 んんっ、水底に人工的な白い石肌様が夥しい。 見渡せば崩折れた石肌があちこち水面に顔を出している。 エンタシスだぁ! ( Stop! Stop! ) 息を呑む程の感動が強すぎて、声を発するタイミングを逸っしてしまったの

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