見出し画像

予測不能にもほどがある 23 ギリシャ編 (9 昭和的実録 海外ひとり旅日記

       



日記_025 

 

  25/ jun 1978  ギリシャ エピローグ

晴れ
Karye〜Ivyron bus 0.5h. 30DRX
Ivyron〜Ag. Nida (Nea Roda) boat 3h. 80DRX
Ag. Nida〜Lerissos hitch 0.5h

Lerissos〜Tessaloniki bus 3h. 142DRX


翌朝、惜しむ気分もままならず追い立てられるように、人気のない道をバスで行く。

ところが(なんてコトだ)
船の中には長髪の外国人が二人、三人と居るではないか。

船は来た時とは反対側の半島の海岸線を、俺のいきり立った思いを沈めるかように、静かに舐めるように朝靄の中を進んで行く。

呆気ないAthosの幕切れに腹の虫が治らないのか、下船したらヒッチと意味もなく決め込んでいる。

すぐに成功はしたものの、隣町のバスセンターまでとのこと、(止むなくTessalonikiまではバスで行くことに決め)乗り込んだのはよかったが、ここで新たな問題が。

今日は日曜日銀行も(この街には両替できそうな大きなホテルも見当たらず)クローズ、いくヶ所かの心当たりを回ってもらっては試たものの全てクローズ、結局ドライバーに拝み倒して、100DRX拝借

(どこまで世話の焼ける奴なんだ〜)

Tessalonikiに着くや大きなホテルに飛び込み何とか両替し、お誂えのロビーでホテル便箋も拝借、AthosのMonkとヒッチのドライバー宛に、即刻手紙にお金を同封(書留郵便まで頭が回らなかった)し、リターンした。

ちゃんとに着いただろうか・・・)

(まったくしまりの無いギリシャ エピローグ・・・)



 コラム_44  ギリシャ滞在集計報告


bus走行距離    1,416.4 km
train 〃          832.2 km
ferry 〃       1,825.2 km
総走行距離      4,073.8 km
bus移動時間         45 h
train 〃             19 h
ferry 〃            65 h
総移動時間       129 h

交通費        4,057 DRX
宿泊費         4,185 DRX
交通|宿泊費/日     201 DRX
(rate 6.5Yen/DRX)  (1,307 Yen)

滞在日数         41days

この集計データは1978年当時のモノだから、何の意味もありません。

でも比較してみると、とても面白い、いろんなことがわかります。
前編のトルコと比較すると、お国事情も垣間見れます。

総走行距離4,000kmちょっと、トルコ5,000kmには及びませんが、結構頑張りました。
やはりギリシャの場合はferryでの長距離移動が圧倒的でした。

bus環境は、本編でも分かるようにギリシャの完敗、経験した大半のbusのボディは本当に錆がでているほどのオンボロで、トルコのotobüsとは雲泥の差。
(事故一回で、本当にヨカッた)

平均時速でもトルコの半分以下で、ferryよりちょっと早い32km/h程度の超スローペース、それは、それぞれの国の当時の生活スピードの差(特に都会での人々のハツラツさ・パワーの違いはとても感じました)にも繋がっていくのかなと感じます。

交通|宿泊費だけの滞在費では、ギリシャが1,307円/日に対し、トルコ833円/日で、4・5割高位の感じだったでしょうか。
(トルコのbus交通システムは質量共に一級品であったと思われます)

その後の国情がどうなったかは別として、時代の変革の波というのは随所に染み出しているのを再認識するのもまた、旅の楽しさなのですかね。


 コラム_45  Greek Map_8




Tessaloniki〜Gevgelija train 3h. 110DRX

(2h time difference delay)

Gevgelija〜Skopje train 5h. 118Din



夜の列車は、ギリシャを逃げるように、そして長い夜を走り抜けて行く。

ユーゴスラビヤ側国境の駅Gevgelijaで一旦乗り継ぎ、両替もしてSkopjeまで、あと5時間。

(ここで2時間戻しの時差調整)

いよいよ新しい国に入って、(ギリシャの二の舞は歓迎しないな)と恐る恐るいくつかの駅名を覗き込むと、このギクシャクとしたSpellingは、相変わらず頭を悩ましそう。

ん〜ん、変わらんかッ


  26 / jun  今日の宿

晴れのち雨
Skopje〜Uroševac


しかしユーゴスラビヤの「ユ」の字も理解する間も無い内に、列車で同席した英語の教師と大学生Jimmyと既に打ち解け、Jimmyの家に今日の宿を確保する算段まで出来上がっていた

Jimmyの家はSkopjeから2時間ほどのUroševacという街にあった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?