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ときに映画は、旅を誘い、人を誘う
抱きかかえることができそうなほどの至近をキールする鷗たちが、
時間の限りフェリーの船尾で出迎えてくれている・・・・・。
鷗たちと揺れながら、
「ギリシャを訪れるなら海からの回航|アプローチで入るのが、オシャレ。
アテネの海の玄関は、あのピレウス港・・・・・。」
(そう、Jules Dassin監督 Melina Mercuri主演「日曜はダメよ」の舞台)
既に、フェリーのデッキは実に陽気な気配に溢れていた。観光客も余り利用しない、多く地元の人たちの利用するフェリーなのかもしれない。
汽笛信号も待つか待たずか、持ち込んだカセットデッキにギター・ハーモニカ・アコーディオンまで搔き鳴らし、早々のミニコンサート。
既に打ち解けすぎて、激しい抱擁をしている者たちもいる、
何を祝っているのだ。
これぞギリシャ!これぞアテネ!ピレウス万才!
「日曜はダメよ」の真骨頂だ!
「Never on Sunday」日曜はダメよ(1960年)
Athensは深い緑の公園がとても多い。
ギリシャ人は公然とキスをするのを厭わないようで、男女関係はとてもオープンに見えるから、公園は恋人たちの格好の場であるのだろう。
「日曜はダメよ」名タイトルですよね。
「"日曜は・・? ダメよ・・"? なぜ・・?」が必ず続くのが、
このタイトル、これだけでも洒落てる。
でっ 何を想像したっ?
「教会に行くから」ブーゥッ、「洗濯をするから」ブーゥッ、
(ネタバレ、言っちゃダメ、でももうダメ!)
「ギリシャ劇観劇のため」
それには続きがあって、彼女(娼婦)の独特な感性による解釈は、ギリシャ悲劇を全てハッピーエンドにしてしまうこと。
子殺し・親殺し・裏切り・違い etc.
ヒトの性を題材とすることが多いギリシャ悲劇が・・・。
日本で言えば、歌舞伎を観て涙し、共感の気晴らし、とは
似て非なる感覚。
アメリカでの”赤狩り”を逃れ(米でのハリウッド映画とは一線を画した”フィルムノワール”の先駆者)、自分の自由な表現を求めた監督 Jules Dassinだからこそ、この”ギリシャ”、この”天真爛漫”さ、で映画を撮れる開放感こそが、この映画を創らせたように思う。
ウゥゥ、こういうネタに、弱いのだ、
アァァ、Never ,Never , ダメ!
実は昨日博物館の帰り道、”Broadway Theater”の場所を探し当て、しかもシアターのマネージャーと称する人からJules & Melina夫妻の住所まで聞き出すことができたのだ。
(日本を出る前、ギリシャ大使館で「現在、夫妻で舞台を上演している」ことを教えてもらってきていたのだ。舞台は既に、楽日となっていた)
ホテルへの帰路、マネージャーから戴いたMelinaのパンフレット・スチールを抱え、アテネに来て良かったかも知れないという思いが、俺の歩速を軽くした。
![](https://assets.st-note.com/img/1708914768603-j6QlngJkBi.jpg?width=1200)
教えて貰った住所はすぐ分かった。
中はまるで見えないがその黒い塀が、まるで舞台の袖でもあるかのように、しばらくするとhelperのKaterigiという初老の夫人がフーッと現れた。
夫人に「Jules & Melina 夫妻のファンで、日本から2人に逢いたいと思い、Athensに来た」ことをたどたどしい英語で汗だくで伝えた。
(実は夫人も英語はあまり得意ではないらしく)
しかしこちらの趣旨は充分理解してくれたようで、
「カンヌ映画祭に行って、今二人は留守・・、
来週の火曜日には帰ってくるだろう・・」
と親切に、実直な声色で(?)教えてくれた。
彼女の対応は(二人に逢えそう)という力を与えてくれた。
「10:30P.M,Summer」夏の夜の10時30分(1966年)
小学2年生の時「ベンハー」(監督:ウィリアム・ワイラー)を観て、"映画監督"になると決め、高校で映画研究会を勝手に創り、映画館主をタブラかしてはタダ見をしていた映画の中で「10:30P.M,Summer」(夏の夜の10時30分)に出逢った。
初老を迎えようとする夫婦+夫と愛の過去を持つ女性3人での奇妙なスペイン旅行。伏線に不貞の妻|愛人を殺してしまった土地の若者の逃亡に、徐々に心惹かれて加担しようとしていく初老の妻。
雷雨の中の銃声・・場末のバー・・フラメンコの手拍子・・苛酷な太陽・・丘の岩盤の意志・・不定の愛・・失踪・・
一つ々のシークエンスを練り上げることで、観る人を一気にガツーンと共感の高みに引き摺り込んでいく創り手たちの、その熱量の激烈さに唖然とさせられ、同時に(映画って自分を表現できるものかも)とも思えたのだ。
Jules Dassin 監督
”赤狩り”時代の”Film Noire”は、当時から映画館に架かる機会が本当に少なく、観るチャンスを失くしていた。
そして遂に、ほんの先日(2024.1月)1947〜1950年のJules Dassinの4作品を観ることができた。大感激。
予想に違わず否超えて、映画の可能性への創り手側の強い信念と可能性すらも突き抜け、突破しようとする冒険心の熱さには、本当に涙が溢れるほどであった。
後世、映画界の多くの巨匠と言われる人たちにも多大な影響を与えている訳だが、ヌーベルバーグの10年も前に、映画の新時代を実践・チャレンジしていたということに驚きの念を禁じ得ない。
改めてその生涯を讃えたいと思う。
Jules Dassin 1911.12.18 - 2008.3.31没
Melina Mercouri 1920.10.18 - 1994.3.6没
ときに映画は旅を誘い、人を誘う
これらは、半世紀以上前 初めての海外旅をした時の一年半程の日記に書かれていたものからの抜粋である。
旅行日記であるにも関わらず、その地の紹介や感動などは殆ど書かれておらず、唯々自身の上に絶え間なく押し寄せる大波・小波の如き体験群とその時々に揺らされる心を克明に描くことに終始しているように見える。
その大波・小波を懸命に掻き分けようとする度に、映画は登場する。
「面白いですねえ、サヨナラ、サヨナラ」(淀川長治)
「いやぁ、映画って本当にいいもんですね」(水野晴郎)
評論家たちが残していったモノに倣るつもりでは無いだろうが、映画に何かを託しているようにさえ思えるのだ。
この日記のくだりを ” 彼 ” は以下に結んでいる。
「少年の頃の映画との出逢いが生んだ勝手な思い込みと、
既に映画監督とは違う道筋を進もうとしている「今」が、
ここまで(ギリシャ アテネまで)足を運ばせているということ。」
ときに映画は旅を誘い、人を誘う・・・・・
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