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昭和的実録 海外ひとり旅日記        予測不能にも程がある 19 ギリシャ編 (5



日記_021  俺は旅人

   5/6/7(1)/ jun 1978   

5/晴れ  6/晴れ  7/晴れ
Piraeus〜Herakrion ferry 11.5h 145DRX

night on ferry

Herakrion〜Knossos bus 0.5h 18DRX×2way

Musium

Irakrion〜Gortys bus 1h 45DRX
Gortys〜Festos bus 0.5h 18DRX
Festos〜Matara bus 0.5h 18DRX

ホテル200DRX

camp


一旦Piraeusに戻り、Katerigiと約束していた通りMelina & Jules夫妻宅に電話すると、今度は日本語を喋る女性がでた。

(んん?)「ワカッテイル」要件は理解しているようで、タドタドしい日本語ではあるが、「マダカエッテナイ」「モウスコシマテ」,詳細を引き出そうとするが理解しているのか、いないのか、埒あかず電話を切る。

(ウゥ〜ン、どう考えればイイのか)

(もう一度面会できると信じて待つか、少しでも日本語を喋る人がいるってことは良しとすべきかも)


考えても精のないこと、本筋に戻ろう(俺は旅人)、夕方の便でCrete(クレタ島)に向かう。

朝9:00着の予定が、人の気配に起こされ、慌ててすっ飛び降りたのが、6時(まあ、疑問に持たないことにしよう)。

だから8:00にはKnossosに着いた訳だが、既にツアーバスは続々と到着。

Daidalosのラビリントスに思いを寄せ過ぎるのか、あるいはこの人だかのせいなのか、アリアドーネの糸の屑すらも思い描けない。
瞑想に勤めるが無為であった。

ギリシャ神話はクレタ(ミノア)文明の後に集成されたものなのだから、少し離れようか。

しかしKnossos宮殿は平面的複雑さ以上に、ステップフロアを多用したアップダウンによる部屋移動のために、まさに迷宮に相応しい称号を与えられたであろうことが感じ取れたことは、長年の不思議に答える大いなる収穫であった。

そしてHerakrionのミュージアムの収蔵品は本当に楽しめる。

愛くるしい土偶や置物(?)から甕や壁画の斬新なグラフィック・レリーフetc.に現代に通ずる精度の高さを見せつけられると、人は文明の初めからこれほどまでの力量を保持していたのか、改めて敬服してしまう。

      7(2)/ jun 共感幻想


Creteの大きさを実感するため、Herakrion側の北だけでなく南海岸にも行きたいな、そんな訳でGortys、Festosを抜けてMataraに着いたのだ。
バスでも2時間程度かな。
ヒッピーが多かった所とも聞いていたので、チョット食指も動いたのだ。

ほとんど家もなく、小さな砂浜は潮騒だけがその存在を奏でるだけであった。

暗黒の深い夜、誰もいないのを見計らって小さな焚き火で灯りを寄せると、何処からか二人の女の子が恐る恐る火を求めてか、やって来た。
ギリシャ語しか喋れないのでせいぜい名前を聞いただけで、朧げな灯りを囲んでいると奇妙な共感も生まれたかのように黙りこくっていても、心地よい

彼女たちがここに来た理由は分からないが、俺と同じでヒッピーの痕跡を確かめ、あわよくばその空気を体感しようと幻想していたのかも知れない。

(そうだ、俺も髪の毛伸びてチョンマゲのように結っているんだ。ヒッピーに見えなくもないか

焚き火も小さくなりかけ、しかし辺りは余りにも暗いのでライター片手に、近くの二人の宿泊地らしきまで送って行く。

周辺にホテルらしきは見当たらないが、お誂えにHippiたちが残してくれた洞穴は選び放題あるのだから、今日の俺の宿は何とか確保できるだろう。

生憎の星月の光も無い、暗黒の海岸だけれど・・・。


 コラム_35 Hippie(1960年代)



映画「イージー・ライダー」(1969年)を観終わった時の落胆は、今でも忘れられない。

既存に生きて来た人々や時代や社会に対し、「無言」という手段でProtestする”Hippie”という人たちの価値観が、当時日本の若者の”理想”としてのムーブメントに嵌ろうとしていたかのように思えた時代であった。

Mataraを訪れようと思った理由も、穴居生活を続けていたHippieたちが、ほんの2ヶ月前に警察の闇討ちに合い逮捕され、この地を離れていったという話を聞き、まるで「イージー・ライダー」そのままの逸話の果てに、呆気なく世の中から抹消される物語だったことを思いだしてしまったからだ。

過去を語るのは爺臭いものだが、60年代、ファッションや音楽に限らず、個性・多様性が希求され始め、自由・愛・平等の名の下、思想・文化・産業にまでそれらの価値観は浸透しようとしていたように思う。

映画は製作者たち(Dennis Hopper|Peter Fonda)自身も、Hippieの「無抵抗」に共感していたからだろう、終始押し殺した冷静を演じる如き展開で進行するのだが、それはSTEPPEN WOLF 「 BORN TO BE WILD」(劇中使用された主題歌)の生命謳歌的な絶叫感と大いなる違和感を感ぜざるを得なかったことに、自分も社会に対する哀しい敗北感を味わってしまったかのように思えたからだ。


Mataraの海で、出逢った二人の女の子が幻影したモノはその後、手に入れることができたのだろうか。

Hippieのムーブメントの鼓動は今でも、俺の、人々の心に脈動しているのだろうか。



 8/9/10/ jun 本日は休業なり

8/晴れ  9/晴れ  10/晴れ
Camp

Matara〜Irakrion bus 2h 90DRX
Irakrion〜Maria bus 1h 45DRX

Hersonnissos〜Gorti hitch 2h
Gorti〜Psichro bus 2h 40DRX

ホテル80DRX

洞穴での一夜に違和感は無かったのだが、近くに一軒の店も見当たらず、食料調達は難しそう。昨夜も水筒の水だけで過ごした。

2ヶ月前の闇討ち事件を思えば、俺(我々)の居場所ではなさそう。

再びHerakrionに戻り、Mariaという避暑地へ。

Mataraとは一変の、太っちょ、気取った欧州人、生っ白い坊ちゃん米人に溢れたリゾート地というのなら、本日は休業なり。

爽やかに洗濯をし、目一杯干してやった。空はいつだって、青いのだ。

80DRXの屋上ベットも悪くは無い。
竹の吹き屋根が奇異だが、星を堪能しながらの就寝も乙なものだ。

避暑の人々と海水浴もいただけないかと、日に二便のバスしかない辺鄙な村にZeusの生まれたケイブがあると聞き込み、Psichroを目指す。
昨日バスの車掌が書いてくれた6:30のメモは、翌日早朝のことだったので今日の出発になってしまったのだ。

のどかなギリシャの片田舎、足元から遥かに見下ろす森群の中に白いウィンドミルが点々と爽やかに美しい。

Zeusのケイブまでかなり歩かされた。
途中、レストランのオバさんが蝋燭をくれた。
(勿論、帰りはここに寄れ!の意だ)

実際着いたケイブは、垂直に落ち込んだ暗黒の口で待ち構えているよう。
臆していると、数人のガイドツアーが来たので、便乗することに。
150m程の道程は滑るし、階段らしきも稀で、かなりハード

お陰で(?)ガイドに80DRXせびられた。

中は鍾乳石が垂れ下がり、時代時代の住居に利用されただろう、しかしZeusを感じさせるようなモノはアったか。

一泊して、翌早朝のバスは学校に行く子供たちで満員だった。
それぞれの子は一冊の教科書しか持っていない。バスの中ではみんな本を広げて中々の勉強家である。(試験でもあるのか?)


今日はついてない。

Herakrion行きのバスでカメラを忘れたことに気付き、引き返す、次のバスもドアが閉まり乗りそびれ、食糧たっぷり買い込んでThira行き(Santorini のこと)に乗ろうとしたら、それが実に小さな船で超満員、チケットを買っていない人々は、残される。

術もなくPiraeusへのフェリーに乗る。

ここでも間違えて、女性用のベットで寝てしまったらしい。
同席のオーストラリア人が注意してくれたような気もしたのだが・・・。


 コラム_36  Greek Map_4



#映画にまつわる思い出


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