親の心子知らずでいい
親の心子知らずでいい
意味:親の心子知らずと言うが、その方がいい
類義:親の心子知らず
(例)いやぁ、親の心子知らずって言うけどさ、親にもなってないのに、親の心を知らなくてもいいんだろと思うんだよ。いや、親の心を考えないわけじゃないんだけど、親の心を考えすぎたら、子供らしくないと思うんだよ。親としては、子供は子供らしくいて欲しいもんだからさ。だから、「親の心子知らずでいい」ってことなんじゃないかな。
成人式の時期ということで、ニュースでも新成人がインタビューを受けていますが、未来の抱負や、夢を話したりしていました。
そして、
「20年、大人になるまで育ててくれて、ありがとう」
「お母さん、僕を生んでくれてありがとう」
というような親への感謝の言葉を述べる素晴らしい新成人もいました。
私も、昨日の新成人へのメッセージも込めたコラムに、「親への感謝を伝える日にしたいですね」と言いました。
それはとても大事なことです。それは、親の愛への感謝を伝えることでもあるし、親の愛をしっかりと受け取ったことになるからです。
では、なぜ今回「親の心子知らずでいい」という創作ことわざとして配信したのか。
まず、「親の心子知らず」とは
親の心を知らないで、子が勝手な振舞をする。(広辞苑より)
という意味だそうです。
厳密に突っ込めば、親だろうが誰だろうが、「心」を知ることはできません。ただ、家族として一緒に暮らし、育ててもらったんだから、他の誰かよりは、知っていたいとは思います。
ちょっと話が見えないかと思いますが、今回お伝えしたいことは、親の愛情を受け取って感謝を伝えることと、親の心を知るということは、イコールではありません。親の愛情を知り、受け取り、感謝することはとても重要です。親のおかげで生きて来られたわけですから。
でも、親の願い通りに育てばいいという訳ではありません。
英才教育が成功するのは奇跡的な確率
卓球の福原愛ちゃんじゃないですが、スポーツのアスリートで、小さい子供の頃から親の英才教育を受けて、愛ちゃんみたいに立派に育つ人もいます。子供の頃は「泣き虫愛ちゃん」と言われていました。
厳しすぎる英才教育も、今の時代では虐待に近いかもしれません・・・。うまく行ったから英才教育と呼ばれますが、一歩間違えれば虐待。英才教育と虐待は紙一重、どころか、英才教育になるのは"奇跡"かもしれません。
他にも有名なところでは、ボクシングのモンスター井上尚弥選手も、親が指導者で世界の頂点にも立ちました。
ちなみに亀田兄弟もそうでしたね。
亀田親子も、世間では色々言われていますが、きっと家族の絆は深くて幸せなんじゃないかなと思います。理想の家庭ではなくても、亀田家にとっては、最高の家族なんだと思います。
テレビを見ると、確かに親の指導で世界の頂点に立ったり、霊長類最強女子の吉田沙保里選手のように、オリンピックで金メダルを取るような人もいます。吉田家は、レスリングの家系でもあるので、やるしかなかったかもしれませんが、女性だからといってそれを嘆くのではなく、受け入れて突き進んだことで、世界の頂に届きました。
こう見ると、わかりやすい英才教育の成功例は、スポーツ選手に多いと言えますね。しかし、それは、ほんの一握りのうちのさらにほんの一握りです。同じように幼少から英才教育を受けても、光が当たらず埋もれていく人の方が多いでしょう。別に、光が当たればいいものでもないですが、結果が出なければ、払った代償が報われません。そうなれば、必ず反動や反発が起こるでしょう。
結果が出て報われれば、厳しかった練習も払った代償も、大きな感謝に変えられると思いますが、それは報われればこそです。
親の願いと自分の願いが同じ、ということは、中々あることではありません。
私の親子関係の例
私はまだ親にはなっていませんが、子供として親に思うことは、産んでくれた事、育ててくれた事、まだ気付いていないかもしれないけど、親の愛全てに感謝しています。でも、きっと親が願ったような大人にはなってないように思うんですよ。大学まで行かせてもらいましたが、今やっていることは、大学に行かなくてもできたことです。
大学に行かせてくれたことは感謝ですが、大学に行かせてくれた親の心は、知らないということになります。親の気持ちや期待には答えられていないのでしょう。高いお金をかけてもらったにも関わらず、大学をサボったりもしていました。学歴が関係のない会社に就職したものの、辞めて半ニートになったり、会社を転々としたり、名古屋から突然岡山に行って飲食店の店長になったり。名古屋に戻ったと思ったら、しばらくして横浜に引っ越したり。そんなだから(というわけでもないですが)、父も熊本に帰ってしまい、一緒に暮らすことはなくなりました。
いい大人なんだから、一緒に暮らすということはいいにしても、父としては、最終的に「しっかりと仕事をして、元気でいて、家庭を築いてくれればいい」と思ったんだと思います。いや、思うしかなかったんでしょう。もう亡くなってしまったから、聞くことはできませんが、きっと父の望むように育てなかったんじゃないかと思います。でも、自分なりに、納得してもらえるような人生にしようと思っています。
親孝行とは?
育ててもらった恩として、「親孝行」を考えるようになると思います。きっと私は、父に対してまともな親孝行はできていないと思います。その代わり、全力で子供としての感謝を伝えました。知り合いの父親の人からしたら、「それ以上の親孝行はないよ」と言ってもらえたことは、嬉しく思いますが。
親孝行ってなんでしょうか?
クリスマスに配信した名曲「チキンライス」にはこうあります。
「親孝行って何?って考える
でもそれを考えようとすることがもう
親孝行なのかもしれない」
どこからが浮気?みたいな感じで(笑)、親孝行も、どこからが親孝行とかってないのかもしれませんね。
例えば、マッサージチェアをプレゼントすることが親孝行でしょうか?本人が必要なかったり、既に持っていたら、意味ないですよね。
海外旅行をプレゼントすることが親孝行でしょうか?行きたい所ならいいですが、言葉がわからず、置き引きの被害に遭ってしまったら台無しです。
要は、親に喜んでもらいたい気持ちこそが親孝行で、その上で行動が伴えばなお良しだと思います。
ただ、私が思う一番の親孝行は、親から受けた愛を親に返すことではなく、自分の子供に送ることだと思います。いわゆる「恩送り」とも言えますが、それが一番の親孝行だと思っています。というのも、親から受けた偉大な恩は返せるようなものではないですから。その偉大な恩を返そうとすると、そこに時間も労力も費やすことになり、恩返しでいっぱいになってしまうと思います。そうなると、自分のことはできなくなってしまいます。
子供は親の為には生きられませんが、親は子供の為に生きることができます。むしろ、子供の為に生きるのが親かもしれません。そして、子供として育った自分が親になった時、初めて親の心を知ることになるんだと思います。
大人しくならず、子供らしく自分らしく生きよう!
親にもなっていないのに、親の心を知ることなんてできません。だったら、親になるまで、子供として元気に生きて、しっかりと親に感謝することが、親になるまでにできる親孝行だろうし、親になってから親の心を知り、孫の顔を拝ませて幸せな家庭を築くことが、一番の親孝行になるなるのではないでしょうか?
親の愛は偉大であっても、それに応えることを第一にするのではなく、大切なものとして受け止め、自分の人生を第一にして、大人になったからといって大人しくなるのではなく、子供らしく、自分らしい人生を歩んで行っていただきたいなと思います。
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