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『私の家政夫ナギサさん』第7話と、私の過去の共通点

『私の家政夫ナギサさん』、いよいよ来週が最終回となりました!第8話は、メイの恋の行方がどうなるか、予想外の展開には衝撃を受けましたね。どのような結末を迎えるのか、楽しみにしたいと思いますが、今回は、第7話で描かれたエピソードについて、私自身の経験とリンクする所があったので、自分自身のことについて述べていきたいと思います。


責任感が強くて、まじめすぎるが故の苦しみ

第7話で、ナギサさんの過去が明らかになりました。そこにいた、箸尾玲香という存在。彼女を見て、自分の過去を思い出しました。
詳しくは、こちらをご覧ください。


ここからは、私自身の話です。

社会人一年目に勤めた会社は、大学4年の2月に、滑り込みギリギリで内定が決まった、コンサートを運営するイベント会社でした。

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周りからは、「芸能人に会えるの!?いいなぁ!!」なんて羨ましがらたものですが、半分芸能界、半分一般社会のような仕事だったので、早朝から深夜まで、休みも月に数回、離職率も高い、所謂ブラック企業でした。

先輩社員は、いい加減な人たちばかりで、尊敬なんてできやしない。バイトからは、「MAXさんっていい人ですよね。でも、それじゃこの会社じゃやっていけないですよ」な〜んて言われたものです(^^;

社会人一年目なんて、覚えることばかりで、どんなに頑張っても怒られてばかり。半年経った頃、自分を責め続けて、何もやる気が無くなっていました。今思えば、鬱になりかけていたのでしょう。

先輩社員からは毎日のように怒られたり、小言を言われていましたが、バイトの子たちは、「MAXさんは頑張ってますよ」と言ってくれていました。でも、自分自身が、自分を認められていないから、誰かから褒められたり、認められたとしても、それを認められないんですよね。


頑張り続けなければならない苦しみ

ある時、自分自身を振り返りました。できていなくても、頑張ってることは、自分自身で認められるようになりました。私は、完璧主義なところがあり、頑張ることは当たり前だから、できていないことを責める所がありました。

社会人一年目では、何でもかんでもできるわけがない。できないことがあるのは当然。でも、頑張ってるなら、そこは認めてあげないと、自分が可哀想だ

そんな風に自分を認められるようになり、危機は脱しました。

しかし、無理をするのはそんな長く続くわけはありません。少しずつ仕事を覚えていったり、できることが増えていっても、次から次へと新たな仕事を与えられます。頑張ることやできるようになることは当たり前で、できるようになっても褒められることはない。相変わらず怒られて、小言を言われ続けました。

そんな日々を過ごして半年後、頑張りを認めるだけではどうしようもならず、箸尾玲香が「もう無理です」と心が折れたように、私も心が折れました。

もう無理


常識では考えられないのですが、ある現場で、上司に

「もう無理です。働いていけません」

と言ったのを覚えています。「いつまで来れそうなんだ?」と聞かれ、「今にも辞めたいくらいです」というようなことを答えたんじゃなかったかな。もちろんそんなわけにもいかないですが、その時は自分でもどうしようもなく辛くて、思い詰めていたんじゃないかと思います。

その翌日、さらに上の上司と面談し、その月いっぱいで辞めることになりました。残り半月ありましたが、半月勤務するどころか、会社に行くことができなくなり、翌日から会社を休み、そのまま逃げるように会社を辞めました。


「仕事を辞めた」という挫折

「仕事を辞める」という選択肢は、元々自分の中にはありませんでした。別に、一生勤めるつもりではなかったし、いずれは辞めるつもりでいましたが、たった一年で会社を辞めることになったことは、自分にとって大きな挫折でした。

怒られ続け、自分ですら自分を認めることができず、自分は仕事ができない。そして、社会人としてまともに働くこともできない。そんな風に思い、辞めたことがとてもショックだったのです。当然、親も心配し、姉や当時の彼女からは、私の辞め方について、色々言われました。それは至極真っ当な言い分ですが、私にとってはどうしようもありませんでした。それから半年くらいニート状態でした。

その後、営業の会社に再就職しましたが、半年でまた辞めてしまい、益々自信を無くすことになりました。自分には価値がない、生きていても意味がない、でも死ぬ勇気なんてなく、バイトしながら生きていました。そんな時、母から紹介された経営者の方と会うことになり、流れのまま、そこで働くことになりました。


自分と向き合い、乗り越えることで「せいをおかげに」

その会社は、もんじゃ焼き屋を運営する会社だったのですが、地元を飛び出し岡山に引っ越しました。そこで結局6年半働いたのですが、それだけの時間をかけて、仕事や自分に対して失った自身を回復させたと言えるでしょう。

それから地元に戻って、なんやかんやあって関東に出てきて、今に至るのですが(笑)、社会人一年目で味わった苦悩や挫折は、本当に苦しかったです。頑張っても頑張っても、現状は変わらない。それは、とても辛いものがあります。真面目で責任感があると、辞めるに辞めれられず、自分を追い込んでしまう。「死にたい」と思うこともあるにはありました。

苦労して決まった就職先だったこともあり、簡単には手放せなかった。でも、「もう限界」となった時、それでも無理して頑張っていたら、間違いなく私は倒れていたでしょう。仮に、会社に適応できていたら、社畜として自分を殺し、尊敬できないような先輩になっていたのかもしれません。

まぁ、「道楽家」になるくらいなので、そうはなりたくなかったから、辞めることができたんだと思います。ただ、真面目過ぎたことで、ギリギリまで耐え過ぎて「もう無理」という状態になってしまったのも事実です。

結局、その挫折や苦しみを乗り越えるのに、7、8年かかりました

今からすれば、味わった苦しみも挫折も、経験してよかったと思います。それは、自分なりに向き合って乗り越えてきたからです。

どんなに辛い、苦しい過去も、"せい"にしたまま生きていれば、思い出したくもない嫌な過去になるでしょう。でも、今の自分にとっては、挫折した"おかげ"で、ダメダメだった自分の"おかげ"で、今があります。

そうやって、「せいをおかげに」にしていくことが、「今を生きる」ということになるんだと思います。

私以上に辛い経験や、挫折を味わった人は沢山いると思います。全然大した挫折でもないのかもしれません。ですが、人それぞれ苦しみは違います。

『私の家政夫ナギサさん』を観たことで、自分の過去を思い出したので、自己開示してみましたが、何か参考になれば幸いです。


ドラマを通じて、久々に自分の人生を振り返ることになりましたが、振り返ってみたらなかなか面白いもので、気がついたら自分史を作っていました。完全版となる自分史は、いかにして道楽家になったのかということについて、包み隠さずに述べています。道楽舎の公式サイトで配信する予定なので、興味がある方はチェックしていただければと思います。

配信するときは、またお知らせいたします(^^)


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