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夢を託して去る天才のエピソード

今回は不定期でお送りしている、大好評の「消えた天才シリーズ」をお送りしてまいります!

誰もが知るスキージャンプのレジェンド「葛西紀明選手」が、憧れ理想にしていた選手こそ、消えた天才「秋元正博選手」。葛西選手曰く、あの飛行は自分にはできない。まさに天才。続けていればもっと活躍できていたはず、と言う程の選手です。


まだ日本がスキージャンプ後進国だった頃、日本人で初めてW杯を優勝したり、オリンピックでメダルを期待されるほどの選手でした。
ところが、人身事故によって70歳男性の命を奪ってしまい、そのことで、スキー協会から無期限停止処分を下されてしまった。

過失とはいえ、人の命を奪ってしまったことに責任を感じ、自分を責め続け、住み込みで土方仕事をし、休みの日はお寺で反省行を送る日々は2年を過ぎていた。
そこに、スキーのコーチがやってきて、秋元に遺族からの手紙を渡す。そこに書かれていたのは、秋元がスキーを辞めたことを知り、遺族はもう秋元を責めておらず、復帰してほしいということ。

秋元は葛藤がありながらも、自分にできることはスキーしかないと、復帰を決意した。
しかし、2年も競技から離れていたブランクは大きく、以前の輝きを取り戻すことはできないと言われていた。それから、失われた飛行感覚を取り戻す為にとにかく一本でも多く飛び、2年半を過ぎて迎えた地元札幌での国際大会。当時の世界チャンピオンも参加するなど、注目を浴びる大会で、再びスキーをすることを許してくれたご遺族の為にも、活躍を見せるには絶好の機会だった。

一本目は7位につけ、優勝も狙える順位になったが、2本目は悪天候になり、誰も数字が伸びない中、秋元選手は最高のジャンプで見事優勝を決めるのだった。
その優勝は、とにかくまたスキーができたことへの”感謝”しかなかった。

それから再びスキー選手として活躍をして行きますが、32歳で現役を引退しました。


ここからが今回の本題です(笑)

「消えた天才」には、消えてしまった理由や原因があります。怪我や病気など、挫折によってその世界から消えてしまうことが多く、秋元選手も、人身事故により、一度は「消えて」しまいました。その後復帰して活躍したものの、32歳という若さで引退したわけですが、葛西選手からしたら引退した理由はわからなかったのですが、秋元選手が引退を決意したのは、ある練習をしていた際、一人のジャンプを見たことで、「これは勝てない」と思ったことがきっかけでした。その選手はまだ中学生で、坊主頭で爽やかな少年でしたが、その選手こそ「葛西紀明」だったのです。

葛西選手のジャンプを見たことで、「世界に出たらどんなジャンプになるのか」そんなことを考え、あんなジャンプをされたら敵わないと思ったそうです。そう思ってしまうということは、もう続けられることはできない、ときっぱり引退を決意したそうです。

奇しくも、秋山選手に憧れ、自分が絶対に勝てない、日本人最高の天才だと思っていた選手に引導を渡したのは、葛西選手本人だったのです。秋元選手自身は、オリンピックでメダルを取ることはできませんでしたが、ある意味自分の夢を葛西選手に託したことが、引退の真相でした。そして、葛西選手は48歳にして未だ現役で、ソチ五輪では、団体金メダルと個人銀メダルを獲得し、平昌五輪にも参加し、その勇姿を見せてくれました。

葛西選手本人が意図するものではなかったかもしれませんが、天才・秋元正博の夢は、密かに天才・葛西紀明へと託されたのです。

天才は天才を認める、天才だから天才を知るのかもしれませんが、今回は、そんな「天才が消えた」エピソードをお送りしました。

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