俳句の源流を歩く|酒折の歌➅(全8回)
(メモ)和歌とは何か
古代の歌 ⇒ 呪と伝
酒折の歌 ⇒ 想と呪
酒折の歌 ――― 唯一分かる確かなことは、ヤマトタケルの五(四)七七を、翁が五七七で受けたということ。そのことで、定型を有する歌が出現。
けれども、それだけではなかっただろう。もしかすると、当時残っていた歌謡の中に、翁の歌と同じような語調を持ったものがあったのかもしれない。それを面白いと言って褒めた可能性も、無いとは言えない。
もっとも、ヤマトタケルの置かれた立場を思えば、そこに「呪」があったと見るのが自然であろう。「呪」とは、古代歌謡の主となすもので、力を解き放つ呪文である。
翁の歌に、ヤマトタケルを導く「まじない」があったとすれば・・・
ここで、敵に注目してみる。西征では、熊曽建や出雲建といった首長の存在がクローズアップされるが、東征では、動物の姿に化して立ちはだかる。そのひとつが、先に述べた足柄の項。
そこに現れる敵の姿は、白き鹿。「鹿」は、古くは「か」と発音する。このことから、これを、翁の歌の「とおか」の「か」に対応させてみる。
「とおか」は、原文では「登袁加」であるから、正確には「とをか」。よって「十日」を充てることに何の疑問もない。しかし、「とほか」の転訛もあると考えた時、「ここのよ」と鮮やかな対をなすように思える。
つまり「とおか」を、遠国の鹿の意とする。その距離感に対応させるように、「ここの」があると想定。「ここのよ」は、「此処の枝(よ)」と見なすのだ。
進軍が思うようにいかず閉塞感に包まれていたヤマトタケルを勇気づけるような、翁の返歌だったのだと思う。
「利(かが)を並べ、此処の枝を用いて火を起こし、火には遠鹿を投じましょう。」
上記のように読み下せば、戦利品を褒賞として、土地の者を兵力とする案を奏上した可能性が浮上してくる。
ヤマトタケルの上の句は、本来は歌ではなかっただろう。注目すべきは、それを片歌に昇華させた下の句。翁の歌は定型を炙り出し、何気ない呟きを、呪でもって歌に変えた・・・
ここに、和歌の新たな歴史が始まったのだ。
(第14回 俳句のさかな了 酒折の歌➆へと続く)