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『自閉症だったわたしへ』ドナ・ウィリアムズの闘いの物語(前半)



ドナ・ウィリアムズは労働者階級の家庭に生まれた自閉症の女性。彼女が生まれた1960年代のオーストラリアでは、自閉症は一般にはあまり知られておらず、想像を絶する苦労を乗り越え、彼女は、教養ある一人の淑女に成長した。

彼女は、逆境を克服し、障害とともに生きるための闘いを生き生きとした文章で記録した。

幼いドナは好きな物と嫌いなこと、自分の世界だけをリアルなものとして感じていた。家庭環境と、障害の特性ゆえの虐待など、辛いことの多いなか、好きな物を語る彼女の言葉はキラキラしている。

わたしはリーナの家の匂いも好きだった。おまけに家の中にはきれいな物がたくさんあった。まず、磨きこまれて光沢を放っている、縞目のあるチーク材の飾り棚。棚板は鏡張りで、その上にはきらきらと輝くクリスタルグラスが並べられている。グラスたちは、まるでステージの上にいるように華麗だ。それから、床。つややかで、絹のように光っている。思わずかじってみたくなるほど素敵だ。その他の物も、リーナの家の物は何もかもいい感じで、さわらずにはいられなかった。わたしはカーテンにほおずりをし、飾り棚にほおずりをし、椅子のカバーにもガラス製のドアにもほおずりをした。(p52より抜粋)

物に対する愛着とは逆に、好意を持っている人に対して”普通の”人のように接することができないドナにとって、友情とはこんな風に感じられるものだった。

わたしにとって友情とは、時が流れると腐ったリンゴのようになるものだった。そして、捨てずにはいられなくなるものだった。それなのに、知り合ったばかりの頃はいつも相手に夢中で、周りが見えなくなってしまう。(p93より抜粋)

彼女は、相手が好きな人でも、身体に触られることがとても苦痛で、また、相手とどんなに親しくなっても、そこに新たな3人目の人が加わると彼女のキャパシティーを超えてしまい、黙って親友のもとを去らざるを得ないのだ。

また、幼い頃から母親に振るわれていた暴力を、彼女はこんな風に感じていた。

父に踏みつけられた母は、いつもわたしに暴力をふるった。わたしはそれを、黙って受け入れていた。わたしにとってそれは、ある意味ではどうでもいいことだったのだ。たとえ傷つくとしても、それはしょせんわたしの体でしかない。むしろわたしにとっては、母から受ける激しい暴力こそ、心を傷つけられることなく体に感じることのできる、唯一の身体感覚だったのである。わたしの中では、おそらく何かが少しゆがんでいたのだろう。逆に優しさや親切や愛情には身がすくんだ。少なくともとても居心地の悪い気持ちになった。(p94より抜粋)

コミュニケーションは彼女にとって最も難しい問題であり続けた。彼女は劣悪な家庭環境と障害で、他人とどのように関わればいいかわからなかった。

すらすら話すといえば、七歳だった頃、こんなことがあった。よその家に行った私は、「わあ、ここ、汚い」と大声で言い、しかもその家の主人が片腕だけだったのを見て「あなたは手が一本しかない」としつこく本人に教えてあげ続け、親に平手打ちされたのだった。だがこれが、私の典型的なふるまい方だった。そのためわたしは次第に、無礼で、人の気持ちを何とも思わずものをいう子だと言われるようになった。だが後には、この全く同じふるまい方が、「自分の思ったことを、決して恐れず率直に言う人」のものとして、尊敬を得るようになったのである。わたしはキャロルやウイリーの仮面のつけていれば、自分の考えたことを言うことができた。だが感じたことはなかなか口にすることができなかった。(p134より抜粋)

幼い頃の苦痛から逃れるために作り出した、にこにことして愛想のいい”キャロル”という女の子の仮面、彼女を守ってくれる喧嘩早い”ウィリー”という仮面をかぶって人と接するときは、自分自身よりもうまくやれることが多かった。しかし彼女自身の『心』はいつもドナの中にしかなかった。

「普通」であること、「正常」であることに照らして考えてみると、比較的普通の人らしく演技することができたのはキャロルウィリーだったが、本当の正常さに近いところにいたのは、むしろドナのほうだったのではないだろうか。というのは、ドナだけが、本物の感情を持っていたからだ。それは、たとえ「世の中」にうまく通じないものであろうとも、「彼女の世界」の中では確かに機能しているものだった。(p245より抜粋)
ウィリーが目に怒りをこめて人々をにらみつけるようになり、キャロルが鏡を通って皆を楽しくさせるために現れた、ドナの三歳の時。その時、ドナ自身は、期待という名のお化けに殺されてしまったのである。ドナは、どこでもとうてい期待に添うことはできなかった。その一方で、ドナの想像上の人物たちはそれぞれに命を与えられ。ドナの失敗している事にも、すんなり成功するようになってしまった。そしてキャロルがダンスを覚え、ウィリーがけんかを覚えている裏で、本当のわたしはまだひそかに、カラフルな色彩ばかりに夢中になっていたのだ。(p257より抜粋)

問題行動で転校を繰り返し十五歳で働き始めていたドナは、メアリーという精神科医と出会い、次第に彼女のようになりたいという憧れのもと、復学する。


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ばか、きちがい、異常、世間知らず、人格障害、まったくのつむじ曲がり、などと呼ばれ、社会になじめなかったドナが、それでも前を向き続け、友情をはぐくみ、努力を続ける姿はとても心を揺さぶられる。

彼女ほどではないにしろ、人の中でうまく振舞うことができず、時に仮面をかぶって過ごしてきた人もいるのではないだろうか。意図せず相手を傷つけてしまったり、好意を持っている人に近づくのが怖い。そんなことは私にもあった。

一般の人とは全く別の感じ方を持っている自閉症の当事者が綴ったこの本を読むことで、彼女らの繊細で美しい世界をかいま見ることができ、ある部分では自分自身との共通性を見出すこともあった。


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彼女自身が綴った言葉に勝る表現はなく、抜粋が多くなったので、一旦ここまでとし、続きは別記事で。


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