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004:きらめく星空【ユーメと命がけの夢想家】

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「星空フロスターくん、君はもっときらめけるはずだ。よって、きらめくべきだ!」

 明日あけびシャイニング先輩は、ときおりわけのわからない要求を突きつける。
 弁当の具材にぜんまいのゴマ和えを加えるべきだ、なんて具体的な要求から、部室の扉を開けるときはもっとぴょんぴょんになるべきだという、抽象的……を通り越して意味不明な要求まで。
 今回のはやや意味不明の抽象的要求だった。

「きらめく……って、どういうことっすか」
「それはきみぃ、冬の夜の空を見上げたことはないのかね?」
「澄んだ空気だとシリウスを見つけやすいですよね」
「シリ……え今なんて?」

 天文部の部長なんだから、おおいぬ座α星――太陽を除く、地球から見えるもっとも明るい恒星のことくらい、知っててほしかった。もはや驚きも呆れもしないのだが
 星空フロスターも明日あけびシャイニングも天文部の部員であり、メンバーは以上だった。

「星は地上にあります!」
 世にいう地上の星事件。2年前、シャイニング先輩は巨大な隕石を天文部に突き落とした。
 地上に星などない。比喩的表現として地上の星を語るならまだしも、彼女の興味は夜景や信号の点滅であって、天上の星などまったく関心を持たなかった。
 ゆえに当時の部長はじめ、天文部主流派……や、むしろシャイニング先輩だけ異端派であり荒唐無稽派であるわけだが、両陣営は衝突が絶えなかった。

 ここまではありがちな話だ。いや、ない寄りのありがちな話だ。
 が現実は小説よりも奇妙なもので、我らがシャイニング先輩は部にとどまった。しかもなぜか主流派が退部することになった。ついでに望遠鏡や天体図、ほか天文に関わるあらゆる部品は接収された。先輩は双眼鏡だけは死守したようだがそうじゃない。
 結果、天文部は荒唐無稽派に占領され、そうとは知らずに入部した星空フロスターは当然騙されたと憤ったわけだが、辞めることなく冬に至ってしまった。

 先輩からの要求に応じたり。季節ごとに変貌する空気の肌触りだったり、ふたりきりの夜間展望の時間だったりがあった。意味なんてなにもないと思いつつも、時は確実に積み重なってゆく。

「シリウスって星があるんですよ。冬の大三角です」
 すると先輩は、もにょもにょとフロスターの言葉を反芻した。顎をさすりさすり。それからぐいっと顔を上げ、目をかがやかせた。

「それ、見たい!」
 地上に星はある。至近距離の先輩を見ると、頭ごなしに否定するのも違うように感じるのだった。

 シャイニング先輩は人間としてはどうかしているが、それでも先輩は先輩であり、できることなら望みを叶えたい。彼女の横顔には、不思議とそうしたくなる力が備わっている。だからフロスターはぜんまいのゴマ和えだって作るし、ぴょんぴょんにだってなるし、シリウスだって見せたいと思うのだ。
 それに、天文に興味のなかった先輩が珍しく関心を抱いてくれたことも大きい。この機会に、空にある星のことを好きになってくれたらとも思うわけで。

 シリウスにはとっておきのネタがあった。実はこの星、2つの恒星によって成り立っている。いわゆる連星というもので、肉眼でも見えるほうがシリウスAで、望遠鏡で観測可能な相方星はシリウスBと呼ばれている。Bは、太陽なみの質量を持っていながら、そのサイズは地球とほとんど変わらない白色矮星……つまり、活動を終えた恒星だ。

 遠い宇宙に、地球と同じ大きさの星がある。見ることができる。しかし白色矮星がゆえに、宇宙規模的に言えばそう遠くない未来に、その輝きは失われる。でも、今、確実に、そこにある。
 ロマンが過ぎる。これを知れば、先輩も星のとりこになってくれるに違いない。

 フロスターは行動を開始した。望遠鏡の確保からだ。
「は、300倍? あるわけないし、あったとしても貸せないよ」

 天文部の元部長先輩にあっさり断られた。望遠鏡というのは、観る星によって適切な倍率が変わる。月全体なら50倍、土星の輪を観るなら100倍、といった具合だ。加えて高倍率なレンズを使うには、相応の口径が必要になるわけであり、高額になる。部費での購入は難しい。フロスターにとっても高嶺の花。
 分かりきっていたことだったが、現実は無情だ。

「あ、でも」
 が、ときに情けは訪れる。
「相模原の公開天文台に行けば見せてくれるかも。というか、今シリウスBのイベント真っ最中だし」

 公開天文台! その手があった。それならば観測で手間のかかる導入を省けるし、しかも専門の係員の解説つきだ。
「ありがとうございます。でもどうしてこんな有力情報を教えてくれるんですか? 俺は……」

 元部長は、シャイニング先輩と諍いがあり、部を辞めた。フロスターは敵の子分みたいなものである。
 疑問を抱く彼の肩を、元部長はそっと手を乗せた。
「星が好きな人に、悪い人はいないさ」

 元部長の激励に、フロスターは心強さを覚えた。公開天文台でシリウスを観測すれば、先輩はきっと星を好きになってくれるはずだ。そうすればきっと、天文部の歪な状態も、よくなることだろう。

「なんで?」
 フロスターの淡い期待は、その一言で呆気なく瓦解するのであった。

「や、だからですね、一緒にシリウスを観ようと……」
「私、そういう星なんて見たくない。見る必要なんてないもの」
 こうなると、もう先輩はなにを言っても聞かない。フロスターが望みを叶えなければ、いつまでたってもこのままなのだ。

「星は地上にあるんだよ」
 先輩は、どこか寂しげにつぶやき、元部長から唯一守り抜いた双眼鏡をきゅっと抱きしめた。

 この日の部活は、そのままお開きとなった。

 自転車での帰り道、市境の小さな橋の欄干に肘を置き、丘とトワイライトの峰を眺める。一方で南東の空はすでに夜が訪れている。
 一番星は、シリウス。下流の海の頭上に見える。
 そういえば、と、幼いころの出来事を思い出す。砂浜の防潮堤で、オリオン座、冬の大三角、粒の大きな星がよく見た覚えがある。空の半球のてっぺんに、ぼんやり光る星があった。

 六連星、スバルだ。プレアデス星団ともいう。星の群れだということを知ってもなおスバルはくすんだ光を放つばかりで、連星だとはとても思えない。半信半疑で双眼鏡を覗いてみた。

 その瞬間のことを思い出すだけで、フロスターの背中はぞわりとして、腕には鳥肌が立つ。

 あったのだ。アルキオネ、アトラス、エレクトラ、マイア、メローペ、タイゲタ、プレイオネ……。ぱっとしないひとつのまばたきだと思っていたそれは、いくつもの星が集い、合わさって光をきらめかしていた。

 見えるのに、まったく見えていなかったものが、そこにある。たしかにあって、フロスターの網膜に焼きついて離れない。

 星の虜になった。
 あの感動を、フロスターは今なお求めている。

 ――星空フロスターくん、君はもっときらめけるはずだ。
 シャイニング先輩が問いかけた、言葉。
 今の自分は、きらめいているだろうか。フロスターは思った。

 きらめくってなんだよ、という疑問はある。でもその答えはとっくの昔に、自ら掴みとっていたのではないかとも思う。
 シンプルでいいんだ。先輩が求めるものは、いつだってすぐ近くにあるものだった。ぜんまいのゴマ和えであり、ぴょんぴょんであった。身近で、間近なもの。それは地上の星だ。

 そうだ、もっときらめける。
 フロスターはペダルを踏んでいた。今ならまだ、間に合うはずだ。
 トワイライトの時間は終わりを告げる。これからは星空、きみの時間だ。

「先輩……シャイニング先輩!」
 坂道の上にある駅舎に辿り着いた。先輩は、ちょうど駅舎に入ろうとしたところだった。先輩は振り返った。少し寂しげで、気まずげで、不機嫌そうな顔をする。フロスターは上気した全身を冷ますべく、冷えた空気を大きく吸った。

「少しお時間、よろしいですか?」
「よろしくないよ。今日は星なんて見えないもの」
「一番星は、まもなくきらめきます」

 自転車のハンドルをぐっと握りしめ、先輩のことをまっすぐに見つめた。
「天体観測会場ゆきです。お乗りください、夜の軽便鉄道に」
「……けーびんてつどー?」

 先輩は首を傾げた。そりゃそうだ、『銀河鉄道の夜』のくだりなんて知るはずがない。けれども、先輩はにまりと笑みを洩らすと、小走りで自転車のカゴにスクールバッグを放り投げ、後輪軸に足を掛け、両手はフロスターの肩に掴まった。

「しゅっぱーつ、しんこー!」
 そんな合図をされたら、走るしかない。

 ……坂を下り、交差点を過ぎ、防潮堤に到着した。ドドウと波が浜を叩く音が絶え間ない。灯浮標が緑色の灯火を発しているほか闇であった。

「ここからの風景、お気に入りなんです」
「なんにも見えない。暗いの、やだ」
 隣にいる体躯が小さく震える。よくは見えない、が、気配は感じる。

 フロスターは暗闇に向かって指をさそうとした。あれがシリウス、それがプレアデス……。しかし、ふと思いとどまる。違う、そうじゃない。きっと、先輩が求めているものは。

 星を示しかけた手で、先輩の腕を取る。
「こうすれば、大丈夫ですよ。ほら」
 フロスターは、孤独に怯える先輩の腕を上げた。

「砂時計のような星の連なりの右上、赤い星がありますよね。そこから真下へ辿ると、ひときわ輝く星が見えますか? あれです。あれがシリウス」
「シリウス……」
 シャイニング先輩は小さくつぶやき、その視線を夜の空に注いだ。

「暗闇じゃないんです。ちゃんと俺がいます。だから安心して、空を見上げてください」
 たくさんの星がまばたく夜の空は、ときにおそろしさを抱く。自分を見失いそうになる。地面が消えて、空へと落ちてしまうのではと思う。
「……ありがとね」
 シャイニング先輩はひとりぼっちなのだ。

「んーん、違うな」
 先輩は唐突に双眼鏡でフロスターを覗き見た。
「やっぱ君は、ちゃんと一番星だ!」
 それから、きしし、と笑みを浮かべた。

 ああ、やっぱ先輩にはかなわないや。
 地上と、天上の星と、波の音。星々はきらめいていた。

テーマ:きらめく星空
「お題.com」(https://xn--t8jz542a.com/)より

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