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【第六回】チェケラッチョ・マイ・ティンティン『ある博愛主義者の回想と実験 』

「まもなく、一番線に、電車が参ります。危ないですので、黄色い線の内側に、、、」


 昨日は誰かが外側に行ったせいで、上司に遅刻のメールを送らねばならなかった。吊り革につかまりながら脱毛サロン、写真週刊誌、自己啓発本と広告を眺め回していた。電車は停車したまま。


『誰とでも打ち解けられる!50の方法』


 そばで白い鼻毛を出した男が通話をしていた。眉毛をへの字にしてお辞儀をしながら、本当に申し訳ありませんと繰り返している。


 携帯をポケットにしまうと、聞き取れない程の声量でぶつぶつとつぶやき始め、直感的に、あ、これは飛びかかるなと思った。クールダウンしようとでもいうのか、大量の空気を腹にためてから吐き出していたが焼け石に水という感じで、鼻の白い毛がそよぐだけだった。


 やっとのことで動き出し、最寄駅で扉が開かれると、案の定鼻毛は奇声を発しながら駅員に詰め寄る。戦隊ヒーローもので真っ先に倒される敵戦闘員を思い起こさせた。


 でもヒーローなんか現れない。そんなこと、誰だってわかってる。そうして脱力感に見舞われた私は、会社へ午前半休の届け出を出し風俗店街へと足を運んだのだった。
 
 それからの二時間はといえば、きら星のごとく輝くスペシャルタイムであったと言って差し支えなかろう。真昼間の五反田に流れる一筋のミルキーウェイ。今回の織姫はマレーシアからはるばる出稼ぎに来たさとみちゃん。流暢な日本語で優しくささやかれれば、ありったけの愛が底から湧いてくる。

そうか、ビートルズが伝えたかったのはこれなんだ!ちなみに織姫の左手薬指には指輪が嵌められていたのだが、通の私からしてみれば卵かけ御飯に垂らすごま油。それは程よいアクセントとして機能してくれる。


 ともかくテーマは自殺である。自殺は本当によくない。たまさか半世紀以上も生きながらえてしまった身としては、最近つとにそう思う。


 身近な人で最初に自殺したのは、小学校の同級生だった。昔は仲がよかったのに、中学にあがってからはさっぱり疎遠になってしまった男で、大学三年の夏休みに自宅で首を吊っていたそうだ。それを知ったのは全てが終わった後、社会人になってから人づてに聞いたのだった。どうやら恋人に振られたのが原因らしい。よくある話だ。ありきたりすぎてつまらないなっていうのが正直な感想だった。


 同時に、ちゃんと「べろんちょ」してから決行したのか?っていう疑念も沸き起こった。奴は「溜まって」いて、冷静な判断力を欠いていたのだとしか思えない。賢者タイム(これは私が「夢を応援」させていただいているみゆきちゃんから教えてもらった)だったならばそんな愚は犯さなかったはずだ。私はそう確信していた。


 何しろ当時の私はといえば博愛主義の権化として、その地位を揺るぎないものとすべく日夜研鑽に明け暮れていた時分、あらゆる相手を悦ばせていた自分こそ真のエンターテイナーなのだと信じて疑わなかった。


 今でも思い出すのはひな祭り。「友達」二人を呼び出しては、三人官女としけ込もうや、なんて台詞を吐き、アンタは男でしょ!って叱られながらも口角を上げ、己の五人囃子をざわつかせていた。その日、ホテルの窓にはオレンジがかった空と飛行機雲がトリミングされていて、嗚呼人生と感じいったものだ。

 そんな調子で、自殺した奴の事など一目散といった感じで忘却の彼方に葬り去り、私は自分の信じる博愛街道を突き進んで来たのだが、昨日遭遇した事故の折、ふと奴の一件を思い出したというわけだ。

 電話がバイブレーションを始める。昨日で契約打ち切りを言い渡した下請けからだ。正直言って、私に電話してきたところで何も解決しない。仕方がないのだ。上が決めた事なのだから。戦場で上官に逆らう兵士がどこにいる?粛々と下された命令に従い、定年まで勤め上げたらそれでおさらば他人様。嫌なら脱サラでもして好きなことをやればいい。元同僚はよく反抗して革命を起こそうと躍起になっていたけれど、結局は見せしめとして閑職に移され退職へと追い込まれた。


 これもやはり「べろんちょ」不足が招いた結果だと言えよう。彼とは喫煙所でよく遭遇したものだが、いつも決まってスマホゲームをしていた。どうやら課金をして城を強化し、勢力を拡大していくものらしいが、そんなものに小銭を投げ入れたところで何が発散される?

「お願いします!もう一度だけお話をさせてください!」


 下車して電話に出ると下請けの懇願がスピーカーから流れてきた。私は駅ビルの個室便器に腰掛けながらそれを適当にあしらいつつ、ブリバリとボムを投下していた。その時ふと、もし「おしり」ボタンを押したとして、相手は私が排便中なのだという確信を得るのだろうかという疑念が沸き起こった。これは早急に検証しなければならぬトリビアの種。


「こちらが確認のVTRです。」


 ・・・さーん、あのね、残念なんですけどーもう上が決めてしまったことなのですよ。御社には長年本当にお世話になってきました。でもね、(ヴーン、ガガガガガ、、、以下同時並行でシャー)ウチもカツカツでー、、、ウチもカ・ツ・カ・ツ、でー!しょうがないんですよー 。えー?なんか鳴ってます?そうすかー?


 相手が尻を洗っている最中などとは夢にも思っていないようで、なんか鳴ってますね?なんて指摘してきたのだが、その際ちょっとだけ笑ってたのが癇に障った。何わろとんねん、と。契約切られるかどうかの瀬戸際ちゃうんか、と。コイツにはこういう、TPOから逸脱した気持ちを出す所があって、度々私を失望させていた。そんな阿呆とのやり取りもこれで最後だ。私は肛門から吸い取った洗浄水を浣腸の要領で盛大に吐き出し、そのサウンドを0と1のデジタル信号に変換させてから通話を終えた。


「このトリビアの種、何分咲きでしょう?」

 満開。

 みゆきちゃんの花びらを見ると、私は心の中でいつもそう呟き感心する。ルーヴルの展示品が束になってかかろうとも、この未熟な一輪挿しには到底敵わない。今この瞬間、2時間3万円という破格の値段を支払い、私はみゆきという名のミュージアムを貸し切っているのだ。それはとてつもない喜びであると同時に、いずれ終わりがやって来るのだ、という時間概念への無力感を孕んでもいる。かといってそれが苦痛であるはずもなく、終わるからこそ美しいのだという「気づき」を与えてくれる。花は散るからこそ輝き、愛でられるのだ。


 恍惚に打ちのめされ、私は悶えながら筆を振るう。実はこの展示、最後に待ち構えているのは何も描かれていないキャンバス。来場者はあらかじめ持参することを念押しされた筆を使い、思い思いの「痕跡」を残していく。そう、全てを完成させるのは他でもない「あなた」なのだ。私は真っ白な絵の具をドリッピングして会場を後にした。


 帰路、電車からの景色をふと眺めれば、見慣れたはずの世界が少しだけ、でも確実に変貌を遂げていると感じることだろう。失礼を承知で書かせてもらうと、弱冠二十歳にしてこのレベルに到達しているなどとは思いもよらなかった。世代を問わず、同業者からは戦慄とともに迎え入れられることだろう。そして私のような好事家達からは熱狂とともに。

追記
 以上、つらつらとアンファンテリブル誕生の祝辞を書き連ねてきたわけだが、この原稿を書き終えた数時間後、彼女はさらなるサプライズをお見舞いしてくれたのだった。なんと新たな表現方法を模索tするため、これまでの活動で得た資金を元手に単身渡米するのだという。しかも現在1番興味を持っているのがダンス(!)とのこと。


 うーむ、やはり彼女は一筋縄では行かない。。。


 とまれ、やはりこれは祝福すべき事なのだと思う。この時期、彼女の夢に微力ながらもアシストできた事、その事実をゴールデン街で飲みながら自慢できる日を待ちわびてひとまず筆を置くことにしよう。

6.5

ため息をつきながら帰宅すると、そそくさと洗面所へ向かい、香水のついたワイシャツスーツその他を洗濯機にぶち込んで回した。「高機能素材によりシワなく2、3時間で乾きます」というやつだ。


 元妻には「ほら、俺神経質じゃん?なんか毎回洗ってリセットした感出さないと気持ち悪いんだよね」って店先で言ったっけ。あの時の顔は忘れられない。そっからは別の娘と会わない日も関係なく毎日洗ってた。お互い嘘がバレてるってわかってるのだけど、口に出したら負けだと意地をはっていた。そしたらある日プツンと切れてしまった。残ったのは洗濯の儀式だけ。まぁ元妻だけじゃなくて会社の人にも勘ぐって欲しくなかったわけだし。これが嘘から出た誠ってやつか、洗わないと気持ち悪くなってしまった。これはささやかな罪滅ぼし。


 というわけで部屋着に着替えたらデスクに腰掛け、傍らのティッシュを三枚ほど抜き臨戦態勢に入る。性に「別腹」というものが仮にあるとして、「ベロンチョ」と「ズリセン」に対してこの二字を当てはめるような輩を、私は信用しない。私からしてみれば、このふたつは全く別の種目である。使う筋肉が違う。その証拠に、どちらかが有能だからといって、自動的にもう片方の才も有るとは一概に言えない。「ズリセン」の才能ってなんだよという向きにはあるアカウントを紹介したい。


「チェケラッチョマイティンティン これが俺のアイデンティンティン」
 映し出される大きなイチモツ。私は「ズリセン」を終えるといつもこのアカウントを覗いては、己の萎びたナスとを比べ「ああ、敵わんな」と思ってしまう。


本来ならば彼の特異性に言及しながら、果たして「ズリセン」の才とは何か考察すべきだが紙幅が尽きた。百聞は一見にしかず。とりあえず開いて欲しい。そして打ちのめされて欲しい。世の中にはどうしても到達できない地平があるのだと深く実感することだろう。そしてもし、このチェケラッチョマイティンティン=通称CMTがあなたに驚きの感情を全く生み出さないのであれば、私はあなたにありったけの賛辞をお送りしよう。あなたは今すぐカメラを手にしなければならない。あなたにはその才能を世界に知らしめることをお勧めする。あなたのちょっとしたチャレンジで、世界がほんのちょっと良くなるのだと、私は信じて疑わないのだから。

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