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トップやリーダーには「いじられ力」が必要だと思う理由

 どんなリーダーが理想と思えるだろうか。「完璧な人」だろうか。自分はそうは思わない。もし自分が他のリーダーのもとで働くことになったとしたら、「隙だらけで、いじりがいのある人」みたいなリーダー像がいいなとつねづね思ってる。

 自分がはじめてリーダーという立場に立ったとき、普通は、できるだけみんなから尊敬されるような、「完璧な」リーダーを目指したくなるものだ。ご多分に漏れず、自分の場合もやはり最初はそうだった。新卒で入った会社に勤めて数年後、はじめて3人くらいのメンバーを持つ立場になった。そのとき、「みんなの見本になるような仕事をしなければ!」とものすごく肩に力が入ってしまったのをよく覚えている。

 それで、結局は失敗ばかりだった。メンバーからどう見られてるか? 自分はうまくやれているか? そんなことばかりを考え、理想と現実のギャップの大きさに茫然とし、自分一人だけでがんばろうとして空回りするばかりだった。今となっては、メンバーからはそんな役割を求められていなかったことがよくわかる。


 この経験があってから、どういうリーダー像を目指せばいいのか?ということをあたらめて真剣に考えてみるようになった。まわりを見渡してみて、実際に尊敬できる上司はいったいどういう人か。どんなリーダーと一緒なら、仕事がやりやすいと思えるのか。

 結論として出てきたのは、リーダーは、メンバーに対して「完璧に見える」方向を目指すのではなく、むしろ「隙」をたくさん見せれば見せるほどいい、ということだ。


 「完璧に見せようとするリーダー」の問題は、メンバーからすると、コミュニケーションがとても難しくなるということ。普段から、見た目は密なコミュニケーションをしてるつもりでも、実は単なる上から下への一方通行になっていることも多い。「完璧」であるがゆえに、メンバーとしては、いつもリーダーの言うことを聞くばかりになってしまうのだ。

 もしメンバーの側に何かの意見があったとしても、それを言う勇気もないし、受け入れられる気もしない。それでいつも、リーダーの指示をありがたく聞くばかりになってしまう。こんなリーダーとメンバーの関係は世の中のあちこちにある。しかし、それはあまり幸せな関係とはいえないと思う。


 いくら完璧に見せようとしても、世の中に完璧な人間などいるはずがない。だから、「いつも完璧に見せようとするリーダー」の悲劇は、だんだんと自分に対するフィードバックが少なくなり、成長の機会を奪われてしまうということだ。こうなると、まさに老害一直線。実際、陰で老害扱いされて嫌われているような人々は、みんなこういう道をたどってしまっている。

 それに比べ、きちんと「いじられる」姿勢を持っているリーダーは、多くの人から貴重な話を聞くことができる。自分を見返し、改善や成長ができる機会も多い。そして何よりも、話しやすいキャラのため、多数の人に好かれやすくなるのだ。これは決定的に重要なことだと思う。


 そして、いじられキャラというのは、決して「天然な人」ばかりなのではない。努力して、いじられキャラになっている人もいる。そのためには、寛容さ、フラットさを持つことが必要だ。きちんといじられる人というのは、これからの時代における「多様な考えを受け入れられる、寛容で善良な人」という像に近いと思ってる。いじられる人 = 人間的に豊かな人とさえ言えるのかもしれない。


 いじられるということは、自分の弱みを認め、それをつねに改善しようとする覚悟を持つこと。いつも完璧に見せようとしてると、そのような姿勢を持つことができなくなってしまう。その結果として待っているのは、成長なき、人々から煙たがられるだけの孤独な存在だ。そんなリーダーばかりがそろってる組織は、それ以上の成長も見込めないと思う。

 メンバーや自分より若い人からいじられて、バカにするなと怒るのではなく、「自分は、人間的に豊かに見えてるのかもしれない」と思って喜ぶ。きっとそういう姿勢が、大切なんだろうと思ってる。


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