見出し画像

「いいね」とか「ヤバいね」だけで止まってると、思考は劣化していくという話

 「言語化する」ことは、楽なことではない。モヤモヤした考えをきちんと言葉に置きかえていくという作業はものすごくしんどいし、精神もかなり消費する。しかし、だからといって自分の考えを言葉にすることをサボり、なんとなくの感覚でお気楽に生きているだけだと、「考える能力」は一直線に落ちていく一方だ。これは、とても怖い。

 自分自身の思考能力は、いま、人生の中でどれくらいの位置付けだと感じられているだろうか。いまがピーク、だと胸を張って言える人はいいけど、「たぶん受験勉強の頃が最高だったろうなあ...」などという人も多いのでは。それは、大げさではなく、思考能力が老化してきていることを意味しているのかもしれない。もしそう感じるのであれば、危機感を持って、なにか早急に手を打つ必要はないだろうか。


 自分が、思考能力を鍛え、言語化の練習をするために普段からやっていることがある。それは、頭の中で何か考えるときに、「明示的に言葉に置き換えてみる」ということだ。

 ものを考えるときには、確かに「イメージ」の力も大切だと思う。ものによっては、あえて視覚的なイメージを主軸に据えて考えることもある。しかし、言語を介さない思考ばかりに終始していると、どうしても思考に深みが出なくなってくるのだ。かつ、イメージのままでは、人に伝えるのがとても難しい

 何か良いアイデアが頭に浮かんだとき、人にそれをうまく説明できなくてすごくもどかしい思いをしたことはないだろうか。すごい良いアイデアなのに、言葉にすると、とたんにとても陳腐になってしまうというような。自分の考えが、どうやっても人に伝わらないという悲劇だ。それは、普段から言語化をする努力をしていないために起きている可能性がある。

 言語は、人に自分の考えを伝えるときに欠かせないツールだ。ヒトが、ヒトであるゆえんだともいえる。言語があるから、他の動物とは大きく差別化され、ここまで進化することができた。ちょっとおおげさに表現すると、その言語をおろそかにすることは、みずから退化を選ぶことと同義だといえるかもしれない。


 だから自分は、普段から、思考を「明示的に言語化する」ことを意識している。みずからの能力向上のために課す、自分なりのトレーニングだ。これはたとえば、歩きながらでもできる。

 どこかを歩いていて、前方に古くて大きいビルが見えてきたとしよう。何も考えなければ、単に「大きくて古いビルがある」ことがボヤっと認識できるだけだ。これをできるだけ、明示的に言葉に置き換えて考えてみるのだ。

 ビルが大きい、というのは、実際にはどれくらい大きいのか。なぜ自分は、それを大きいと感じたのか。ためしになんとか具体化、言語化してみると、そのビルは「30階建てくらいかな」とか、「1フロアの面積もかなり大きそうだ」というように表せるかもしれない。

 ビルが古いということについても、なぜそれを古いと感じたのか。「外壁がかなりくたびれてるなあ」とか、「デザインが、昭和に流行った感じに見える」とか、そういう特徴から想像したのかもしれない。

 このように、なんとなくの思考を言葉に置き換えてみると、自分がなぜそのビルが「大きく」「古く」見えたのかという理由がよくわかってくる。意識しない限りは、そういうことをわざわざ言語にすることがないので、「ボヤッとした」イメージでしか捉えられていないことがよくわかる。そこで止まっていると、それ以上に思考が深まらないのだ。


 だから、何かの作品に触れたときや、人と話をしているときに、それへの感想が単に「いいね」とか「ヤバいね」だけで止まっていると、自分の思考はそこまでということになってしまう。

 「いい」といっても、いったいどう「いい」のか。また、「ヤバい」という便利すぎる言葉を使うとすべて済んでしまいそうになるけど、実際にはどこらへんがどう「ヤバい」のか。他の言葉で表すとすると、どうなるのか。このように、もっと具体的に言語化してみようという姿勢はとても大切だ。

 このことは、自分で文章を書くようになると、その重要さが身に染みてわかるようになる。たとえばある作品にとても感動したのに、その作品の感想を書くとなると、自分のその感情を人にうまく伝えることができない。それならまだしも、ひどい場合は、「なにも文章にすることができない」という状況に陥る。実際、大人でも、普段から文章を書かない人はこういう人も多いはずだ。


 だからこそ、普段からの「言語化」の意識はとても大事だ。上で述べたような、目に見えたものを言語化する訓練をしてもいいと思うし、また、SNSをうまく活用する方法もある。ツイッターやnoteをやってると、知らず知らずのうちに「自分のボヤッとした思い」を言語化し、文字として表していることになる。これは、もちろん文章自体の訓練にもなっているけど、それ以上に、とてもよい「思考の訓練」になっているはずだ。

 言語は、ヒトしての根幹だ。これをおろそかにすることなく、あらためてきちんと向き合い、それによって自分の「考える力」を強くしていきたいもの。


///
ツイッターでも、できるだけ有益なことを毎日発信してます。ぜひフォローをよろしくお願い致します 🙇🏻‍♂️


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?