見出し画像

一見「優秀そう」なリーダーが、メンバーをつぶす諸悪の根源になっていないか

 リーダーだけはいつも元気なのに、メンバーには覇気がなく、チーム全体の雰囲気もどんよりしている。よく見られる光景だ。この場合、外部から一見しただけだと、「せっかく良いリーダーが率いているのに、やる気や能力の足りないメンバーが集まっているのか」というようにも見えてしまう。

 しかし、実際はそうではないケースはとても多い。それがこの、一見すると「優秀そうで、いつも元気な」リーダーの行動こそが、諸悪の根源になっている場合だ。この実態に早く気づかないと、本当は前向きで有能であるはずのチームメンバーが、その持ち味を活かせないままに疲弊してつぶれてしまう、ということになるかもしれないのだ。


 リーダーは本来、チームメンバーが困難な課題に直面していたり、忙しくて業務に手が回っていないとき、適切な介入により個々のメンバーを疲労やストレスから守るべき存在のはずだ。ところが困ったことに、仕事のストレスを減らすどころか、より多く発生させてしまい、メンバーに余計な負荷をかけるリーダーたちは少なくない。

 こういうケースは、経営者が想像するよりも組織内で多く発生しているものだ。大企業であれ、スタートアップであれ、日本中のあちこちで。多くの現場メンバーが、疲労や疎外感、心身の健康の低下など、悪しきリーダーシップの影響で今日も苦しんでいる。


 リーダーが見るからに「ひどい人」だとわかる場合は、こういったまずい事態は発見しやすい。しかし問題は、一見、リーダーが優秀そうに見えるときだ。これは「プレイヤーとしては優秀だった」人が、リーダーとして抜擢された場合に起こりやすい。リーダー本人がやる気満々なのはいいのだが、リーダーとしてのそもそもの素養に欠けるというケースだ。

 マネジメントとしての基本的な姿勢がない、フィードバックの与え方がわからない、メンバーの気持ちを理解できない、個々の業績を評価できないなど、プレイヤーとしては高い能力を持っていたのだが、リーダーとしては全く能力が追いついていなかったというケースはよくある。

 そもそも、「プレイヤーとしての成績がすばらしい」ことと、「リーダーとしての能力が高い」ことは別物のはずである。しかし多くの企業では、まだこれらの能力を同一視する傾向が強い。プレイヤーとしては優秀だったのだから、リーダーとしても活躍できるはずだという思い込みである。リーダー人材のミスマッチという問題は、そのような安易な思い込みが根底に存在する。

 では、組織としては、こういう問題を起こさないために一体どのようにすべきなのだろうか。

リーダー教育も大切だが、その前の「人選」がもっと重要

 会社によっては、マネジメント研修など、リーダー教育に時間とお金をたっぷりとかけるところも多い。しかしながら本当は、誰にリーダーを任せるかという「入り口」こそが、もっと重要な問題なのである。

 リーダーとしてのパフォーマンス(従業員にストレスを与えてしまう傾向を含む)は、統計的なデータにあてはめると、ある程度は予測できることが複数の調査によって明らかになっている。そこをまったく考慮せずに、間違った人をリーダーに抜擢してしまってることが問題だ。

 研修やコーチング、メンタリングにより、好感の持てる、優秀な「リーダー人材」に育てようとも、もともとその素質をまったく持っていない場合、いくら教育をほどこしても理想のリーダーにはなりにくい。入り口で間違ってしまうと、後でいくら膨大なコストをかけようとも、その挽回は難しいのである。

 だから、リーダーとなる人の候補は、本来、もっと時間をかけて精査すべきなのだ。プレイヤーとしての過去の業績にばかり目を向けず、リーダーや管理職に向いているかどうかというポテンシャルをよく見る必要がある。

 リーダーになるのに必要な素養はあるか。好奇心があり、学ぼうとする意欲を十分に持っているか。共感する力、誠実さは備わっているか。しっかりとした根拠に基づき、こうした特質をあらかじめ見極めておくことで、将来起こりうるリーダシップの問題をかなり回避できるはずだ。「プレイヤーとしての成績がいい = リーダーとして優秀であるはずだ」という短絡的な思考からは、早く脱却すべきだ。


 そもそも、リーダーや管理職になることが、評価や出世と同一視される文化が根強く残っていることが問題だ。リーダシップやマネジメントはある種の「技能」であり、すべてのメンバーがいずれは管理職を目指すべき、という発想だとおかしなことになってしまう。

 マネジメントをやらなくとも、自分の専門性をさらに磨き、その道のプロフェッショナルを目指すというキャリアパスがもっと重視されてもいいはずだ。実際、本当は現場でずっと専門性を磨きたかった人が、会社の方針で「無理やり」管理職に引き上げられ、どうしても合わずに会社をやめてしまったというケースも多く発生している。

 また、冒頭の例のように、本当はリーダー向きではないのに、単にプレイヤーとして優秀だと評価されたために、慣例として、なし崩し的にリーダーに引き上げられる人事制度も問題だ。会社で評価されるためには、自分がリーダーに向いてるかどうかは関係なく、とにかく上へ上へと昇進していくしかない、と考えてしまう。そして、新任リーダーとして自分なりにはがんばるのだが、結局はチームの中で空回りすることになるのだ。


 そんなリーダーたちがチームを率いてると、リーダー本人も不幸だし、もちろん、チームメンバーも不幸なことこの上ない。本来のパフォーマンスも出せず、最悪の場合、疲弊しきってしまう。

 働き方やキャリアパスについては、多様なニーズに対し、もっと多様な道が用意されることが求められている。古いやりかたを踏襲するだけではなく、新しい時代に合った、新しい組織やマネジメントのあり方を模索していかねばならないと思う。


///
ツイッターでも、できるだけ有益なことを毎日発信してます。ぜひフォローをよろしくお願い致します 🙇🏻‍♂️

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?