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あなたを信頼したい 世界にわが身をゆだねたい

信頼するとはどういうことでしょうか?

あなたは信頼できる人がいますか?

信頼できるものがありますか?


『信頼』はゆだねること

僕は
『信頼』とは、
自分を“ゆだねられる”こと
だと考えています。

しかし普段僕たちは、

『信頼』とは、

相手に“期待”をして、
“期待”に応えてくれる状態
を言っているのではないでしょうか?

『信頼関係』は、
相手が“期待”に応えてくれて、
自分も相手の“期待”に応える、

『期待の応答関係』が成立している状態
を言っている気がします。

とすると、

『信頼関係』を保つには、
相手の“期待”に応え続けて、

相手も“期待通り”である必要があります。

これは、
ほんとうの『信頼』でしょうか?

たとえ、
相手が“期待”に応えられない場合があっても、
また、
自分が応えられないときがあっても、

関係を続けられるのが
本当の『信頼関係』ではないでしょうか?

だから、ほんとう『信頼』は、
“期待”に関係なく、
自分をゆだねることだと思うのです。


”期待”は緊張感を生み出す

依存とは違います。

『依存』は、
自分の行動も相手にゆだねてしまいます。

『信頼』は、
自分の行動は自分で責任を持ちつつ、
その結果は相手にゆだねます。


もちろん、
裏切り続ける相手を信頼はできません。

しかし
“期待”に応えてくれないから『信頼』できない
と言ってしまうと、
『期待の応答関係』になってしまいます。

『期待の応答関係』は、
“緊張感”を生み出します。

相手に“期待通り”を“期待”し、
裏切られると傷つきます。

自分も相手の“期待通り”を
裏切らないように
気をつけ続けなければなりません。

“期待”を手放して、
ゆだねられたとき、
“緊張感”から解放されます。


『信頼』する覚悟

『信頼』はとても能動的です。

無条件に相手にゆだねるには、
“期待通りでない”を受け入れる覚悟
が必要です。

裏切られる可能性を受け入れる覚悟は
怖いように思えます。

しかし、一見怖くても、
“期待に応え続ける”を手放して、

すべてを受け入れて
ゆだねる覚悟をもったとき、

その緊張感から解放されて、
ほんとうの自分でいられると思います。


『信頼』したいという想い

それは人間関係に関わらずです。

“自分”に対しての“期待”を手放して、
“自分”に自分をゆだねる。

“世界”に対して
無条件に自分をゆだねる。

“期待”を手放す覚悟、

“世界”にゆだねて、
“世界”を『信頼』する覚悟、

その覚悟を持ったとき、
人は緊張感から解放され、

おだやかな自分、
ほんとうの自分でいられる

と思うのです。

だから僕は
「あなたを『信頼』したい」

僕は、
「”世界”にわが身をゆだねたい」

と思います。

読んでいただきありがとうございました。



“期待通り”になるかならないかは、
色々な状況や相手の状態や才能に左右されます。

『信頼』は、
そんなものに左右されず、
相手の全体的で根本的な“人間性”にゆだねます。

言葉には表わしきれない“人間性”を見ないと、
『信頼』できません。
『信頼』する力を育てれば、
かえって騙されなくなります。
“期待”ではなく、
全体をみられるようになるからです。

自分が信頼される人になりたければ、
相手の“期待”に応え続ける努力よりも、
もっと根本的な
“人間性”を高める必要があると思うのです。

だから僕は
“人間性”を
もっと成長させたいといつも思っています。


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