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週末旅をお勧め(48回目):二泊三日で四国の南西を旅する

48回目の投稿は四国の南西の旅です。四国にはJALが就航している空港が4っつあり全ての空港を利用して旅行した事がありますがほぼ空港から公共交通機関を利用した旅でした。徳島空港だけはレンタカーを利用しましたが淡路島に行ったので四国をドライブ旅行した事がないので車で巡る旅を計画しました

【1】今回の旅の目的

四国の西の海岸線をドライブ旅行するのがメインで、佐多岬と足摺岬を見て四万十川の沈下橋などを見ることで、行きたい場所だけピックアップした
 Day1:下灘駅、佐多岬、宇和島城
 Day2:遊子水荷浦の段畑、竜串海岸、足摺岬
 Day3:四万十川、今治城

【2】四国南西への旅の計画(移動・宿)

今回の旅では往復の飛行機と二泊の宿泊はダイナミックパッケージで予約
移動:羽田⇔松山の航空券はJALダイナミックパッケージで予約
移動:レンタカーをJALダイナミックパッケージで予約
宿泊:宇和島と中村のホテルをJALダイナミックパッケージで予約

【3】おおよそのルート

1日目:羽田空港(07:15)→JAL431→(08:50)松山空港→佐多岬→宇和島(泊)
2日目:宇和島→遊子水荷浦→竜串海岸→足摺岬→中村(泊)
3日目:中村→四万十→今治→松山空港(19:20)→JAL440→(20:40)羽田空港

【4】四国南西旅行の写真レポート

(1)1日目の行程

朝早い便での旅立ちなので空港まで車で移動しJALラウンジで朝食を食べながら空港を見るが雨あがりで雲が多くて富士山が見えずに残念。いい写真も撮れなかった。
定刻に機内に入り離陸動画を撮影。羽田空港内を移動しているときに整備場や駐機しているANAのスターウォーズジェットなどが見られた。

離陸すると雲が多くて景色が見られなかったがすぐに雲の上に出たので富士山を期待する。Flightrador24で確認しつつ外を見ると西からの風に雪が飛んでいるような富士山を撮影することができた

しばらく飛行すると赤石山脈の横を飛行しているときに谷間に雲が入り込んでいて平らな感じに見える景色が面白い

羽田空港から飛行して来た便は左ターンを終え松山空港への最終進入ルートに入り、左には中島が見えてきました

さらに高度が下がり興居島の横を通過

高度を下げた便は一部海上空港の松山空港の敷地内に入りました

松山空港に着陸して減速中にターミナルビルの横を通り過ぎました

エプロンでスポットに入るときに駐機しているANA WingsのボンバルディアのDHC-8-400が見え、滑走路の遠くには羽田からのANA583便が着陸態勢に入っているのが見える

この松山空港に着陸するときに動画も撮影しました

松山と言えばポンジュースで蛇口からミカンジュースが出るという話がありますが、それを表したオブジェが空港にあります

レンタカーを借用し四国初ドライブ旅行のスタートです。最初は下灘駅で青洲18きっぷのポスターや映画などにも取り上げられた有名な駅で海に沈む夕陽の時が一番美しい様ですが、ルート上にあったので昼間に少し立ち寄って撮影しました

山に挟まれた肱川の河口は山の方から朝霧が海に流れて独特な景観になることで有名で、早朝に発生する事がありますが、稀な自然現象です。その現象を見るための展望台があり、そこから撮影したもので、この時は誰もいませんでしたが実際に現象が発生しているときには多くの人で埋まるのだと思います

予讃線の伊予長浜駅で、この駅を過ぎてから海岸線を走ってきた予讃線は内陸方面に向きを変えます

次は四国から九州に向けて細長い岬の佐多岬に行きます。佐多岬のまん中を通っている国道197号にある道の駅「伊方きらら館」から撮影した写真で、四国電力の伊方原子力発電所のPR館と一緒になっています。その展望台からは伊方原子力発電所が遠くに見えます

二見くるりん風の丘パークは国道197号のすぐ横にある風力発電所で駐車場のすぐ横に大きな風車があり、近くで見るとかなり高くて立派なものでした

瀬戸農業公園は道の駅で少し眺めの良い場所にあり、そこから三机湾の方が見通せいい景色でした

R197が海岸線に近いところを通るところに瀬戸展望休憩所があり、その展望台からはこれから行く佐多岬の先端方向の眺望が効きますが、少しもやが掛かっていていまいちでした。ここには青色発光ダイオードの発明でノーベル賞を受賞した中村修二博士のパネルもありました(名誉町民だそうです)

佐多岬灯台への駐車場に車を停めて佐多岬灯台を見るには、直接行く方法と水尻展望台から見る方法があります。その両方に行くつもりですがまずは水尻展望台に来て少し上から見下ろすように岬の先端と灯台の写真を撮影しました

佐多岬灯台に行く道は木々の間をそこそこ歩いていく必要がありますが、道は綺麗になっていて歩きやすいですが上り下りはそこそこあります

移動式探照灯格納庫跡という軍事施設の跡です。戦時中に敵の軍艦や飛行機を発見するための探照灯を格納した場所で、上にある椿山展望台を巡るように通路もあり、そこを移動していたそうです

佐多岬灯台の少し手前の椿山展望台で、その展望台はインスタ映えを狙ったのでしょうか見る角度によってはハートに見えるオブジェがあります

椿山展望台は「山」という名前がついているように小高い丘のような頂上にあり、そこから見ると灯台は下の方に俯瞰してみる形になります

佐多岬の先端にある灯台の前まで来ました。遊歩道は少し下から灯台にあがってくるようになっています

佐多岬は九州の方に突き出たかなり長い岬になっていて、そこは四国の最西端になりその表示の碑がありました

最西端の碑の奥から本当の最西端を撮影しました。下に見える岩場が本当の最西端で写真では見えにくいですが九州が少し見えています

佐多岬漁港の所にある野坂神社です。昔、海中に光るものがありそれを引き上げて祀った神社だそうで、瀬戸内一帯の漁師たちが参拝に訪れる由緒ある神社だそうです

伊予石城駅の近くの田圃に大きなマンモスがありました。速度が落ちた時に車の中から撮影したもので適当なアングルで撮影したものの中央部を切り取りました。 インスタ映えスポットとして設置した物なのでしょうか? それともこの近くでマンモスの化石などが発掘された?

1日目の宿泊地の宇和島に到着です。少し早い時間に到着しホテルにチェックインした後に車を置いて歩いて宇和島を散策します。最初は宇和島城で藩老桑折氏武家長屋門は繁華街方向から宇和島城に入るところにある門です。この門は宇和島城の入り口になっていますが実際には宇和島城とは関係なく武家屋敷にあったものを移築したものだそうです

宇和島城は現存12天守の中の一つで創建当時のままになっていて、愛媛県は松山城と宇和島城の2つがあり、宇和島城は現存12天守の中で最南&最西端にあるものです

宇和島駅前にあった蒸気機関車でかつて宇和島にあった宇和島鉄道を走っていたものの復元模型です。小さく見えるのは軌間が狭い軽便鉄道だったとの事です

日本初の法学博士の穂積陳重の功績をたたえるために銅像を建てる話があったが、本人は「人から仰ぎ見られるよりは公衆に踏んで渡られる橋の方が良い」という事で、掛け変わった橋が命名されたものです

(2)2日目の行程

2日目は宇和島から中村まで海岸線をドライブです。最初は遊子水荷浦の段畑で三浦半島の先の小さな岬にある段々畑で国選定の重要文化的景観になっています。急な斜面に小さな石を積み上げて造られた雛段状の畑が見事で、人の手で造られた景観は素晴らしいものです。観光用の駐車場に停めたレンタカーのYARISと比較して大きさがよくわかります

上に登って撮影した畑で、壮大な畑のそれぞれは急斜面なので幅が狭く小さな畑をたくさん作った努力と、それに作物を植えて収穫する手間を考えると大変なことだと思います

近くの畑の部分をアップで撮影したものです。機械的にコンクリートで壁を作ったのではなく小さな石を人の手で積み上げた物だというのがわかります

紫電改展示館は宇和島沖の海底に沈んでいたものを引き上げ補修を終えて展示されているもので、慰霊もあり無料の展示館となっています。補修したのは紫電改を製作した会社で、今の名前は新明和工業で水陸両用の飛行艇のUS-2が有名です

道の駅すくもで休憩をしたときに、駐車場から見えるちょっとした半島に浸食による穴が空いた岩が面白かったので撮影してみました

大堂山展望台から東の方の大堂海岸を撮影したもので、海岸線には切り立った白い岩が続いた面白い風景です

先ほどとは反対の西側の風景を撮影したもので、岬の突端から橋でつながる柏島が見えています。囲まれた湾は鯛の養殖場になっています

大堂山展望台から少し岬の先端に向かって進んだところに観音岩展望台の駐車場があり、そこに車を置いてこの入り口から登っていきます

そんなに遠くないところに展望台があり柱の様に立つ観音岩が見えました。右側の崖の岩の形などから見ると柱状節理のような感じに見えるので、このような形の岩が残ったのかも知れません

大堂山展望台から見えた養殖場のいかだと白浜海岸を下の県道43号の所から撮影しました。湾で波も激しくなく良い養殖場のようです

叶岬は足摺岬の手前(西側)にある岬で、手前の展望スポットから岬の先端と灯台を撮影しました

叶埼灯台の写真です。四国の南岸は船の通過も多く明治から灯台が設置されましたが有名な足摺岬灯台よりは早く設置され運用された灯台です

灯台のさらに先の岬の先端から今まで走ってきた海岸線を振り返って撮影した写真です。灯台の高さが低かったのは岬自体が海面から高いためですね

弁天島は化石漣痕跡が見られる島で海岸線から撮影しました。漣痕とは過去に水が流れた跡が残って化石のように昔の地質的な情報が得られる痕跡になります。写真は陸地からなので遠くていまいち見えにくいです

2日目の観光の目的の一つである竜串海岸です。竜串海岸は約2000万年前に浅い海岸に堆積した地層が見られるエリアで海岸の所の遊歩道を歩いて観察しますが、まずはその海岸線の奥の崖を撮影しました

海岸の遊歩道の入り口の写真で、波に浸食された泥岩と砂岩の上を歩いていきます

水平で浸食されたものが斜めに隆起したような形をしています。縞の部分も塩が含まれていた部分がはく離したタフォニがたくさんあります

浸食したものが竹の様に見える事から「大竹・小竹」と名前がついていて、自然の石でなく土管が落ちているように見えます

散策路と言ってもコンクリートなどで橋が掛かっているわけではなく、自然の岩場を伝って歩いていくことになり、このようなギリギリの所は迷わないようにルートが示されていました

先ほどの狭い部分を通過して振り返って撮影したものです。左側の岩の下の狭い部分を歩いてきましたが、波の状況によっては歩けないのかも知れません。ここからは普通の道を歩いて駐車場に戻ります

足摺岬は四国の最南端の地です。高知県にはここ足摺岬と室戸岬の大きな二つの岬があり、西側で南にあるのがここで、駐車場から散策路への入り口にある看板で灯台の形をしています

遊歩道を少し歩いたところでいきなり足摺岬灯台が見えて来ました

灯台に向かっての散策路の途中にあったもので「地獄の穴」という怖い名前がついています。岩の隙間がありコインを落とすとずっと音がするというもので、取り出すところがないのでいつかはコインが上まで詰まって音がしなくなりそうです

「大師の爪書き石」と呼ばれる大きな石が灯台の手前にありました。弘法大師が爪で「南無阿弥陀仏」の六字の名号を彫っていると伝えられる岩ですが、足摺の不思議となっています。と言うのは南無阿弥陀仏は一般的に浄土宗の教えで浄土宗が日本に伝わったのが1175年と言われていますが、弘法大師は835年に死去したと言われていますので時代が合わないですね。(真言宗では弘法大師は奥之院で今でも祈りを続けていますが)

足摺岬灯台です。高さがあまりないのはこの岬自体が海面よりかなり高いためです。実際には大師の爪書き石の所から見えていますが、アングル的に良いのは次の目的地への散策路を少し歩いた所なので、紹介する順番が後になりました

遊歩道を少し歩き開けた所までやって来ました。 そこから降り帰って足摺岬灯台を撮影したのがこの写真です

さらに遊歩道を歩いたところに亀石というのがありました。 よく見ると亀に見えなくもありません

遊歩道は急な階段を降りるようになっていて、海岸まで降りてきました。そこには白山洞門という巨大な花崗岩に穴があいたものが見られます。岩の穴が空いている部分はクラックなどがあり、それが波の浸食で穴が開いたものだと思います

白山洞門を見た後に遊歩道は海岸線を歩くようになっていて、最後は一気に登ることになります。その登りの手前で白山洞門の花崗岩全体を撮影しました

白山神社です。洞門からずっと坂を登った所に鳥居がありますが、本宮は先ほどみた白山洞門の上にあり直接お参りできないのでこちらにお参りしました

足摺スカイラインを走っていて左から何か飛び出しました。 少し走って窓から振り返ってみると動物のようで、降りてデジイチで撮影しようとしたらこちらに向かってきたので慌てて車を走らせました。正体はイノシシでした

足摺岬の付け根付近にある大岐の浜展望台で撮影したもので、最初は東側の岩場を撮影しました

名前の浜辺は南側を撮影したこの写真で、かなり長い綺麗な浜辺が続いていました

四万十川の下流の中村の市街地に入る所に掛かっている橋です。赤く塗られた鉄骨トラス橋は四万十川の下流にある沈下橋でなく、いつでも渡れる橋という事で親しまれてきました

ホテルにチェックインして車を置いて街を散策した後に夕食を食べに出かけます。中村駅は四万十くろしおラインで停車していた車両です。土佐くろしお鉄道の車両でとても派手な塗装です

せっかく四万十川の街に宿泊するので夕食はうなぎと考え注文したのがこれです。ビックリしたのはこの鰻は尾頭付きで出てきて、この頭は食べるものなのか残すものなのか困りました。ちょっとかじってみましたが硬すぎて食べるものではないとわかったので残しました。鰻の尾頭付きは初めての経験です

(3)3日目の行程

3日目は四万十川に沿って北上した後に一気に松山方面に移動です。四万十川は沈下橋が有名でそれを中心に撮影していきます。沈下橋とはダムの無い四万十川に多くみられる橋で、水量が増えた時に橋が崩壊するのを防止するために欄干が無く水の抵抗が無くなるようになっています。佐田の沈下橋を実際に渡るときに車から見るアングルで撮影したのがこの写真です

沈下橋を川岸から撮影したもので、橋桁も丸いポール上になっていて流れの抵抗が少なくなるようになっています

三里の沈下橋は佐田沈下橋のすぐ上流にある橋です。流れが穏やかな四万十川の川面への映り込みも綺麗です

道が川より少し高くなっているところがあり撮影したかったのですが、工事区間で片側通行の規制になっていましたので、工事区間の少し先で広く駐車帯がある所から撮影しました。ゆったりした流れですね

高瀬沈下橋は光の加減で渡ってからの撮影です。なれていないので車での往復もドキドキです

勝間沈下橋は少し俯瞰気味に撮影してみました

中半休憩所にトイレがあったので少し休憩しました。展望台の様になっていて四万十川も眺めることが出来ました

四万十川には沈下橋が多いですがそれだけでは生活に困ってしまうのでちゃんとした大きな近代的な茅生大橋もあります

恒久的な橋なので水面よりかなり高い位置にかかっているというのがわかります

岩間沈下橋の少し下流の道路から撮影しました。俯瞰した写真で右側に集落が少し見えますが集落から河原に下ってから渡るようになっています

さらに上流にあった長生沈下橋で河原に降りて撮影してみました

車で渡る視点で撮影してみました。見通しがいいから大丈夫なんでしょうがすれ違いは出来ないようです

JRの駅で髪の毛に関するものと言えば、廃止になってしまいましたが北海道の増毛駅と現役の半家駅が髪の毛に関する駅として有名です

プラットホームから先ほどとは反対側を撮影したものです

半家大橋と沈下橋です。恒久的な橋と沈下橋が同じような場所にあって面白い構図が取れたので撮影してみました。これを見ると沈下橋は川の水面に近い所にあるのがよくわかります

白綾の滝は四万十川の支流の江川川の上流にある滝です

この滝は道路の横にある滝で車道はさらに上に登っているので滝の上から落ちる場所を撮影することが出来ます

天が滝は四万十川の支流の奥の川の上流にある滝で、付近は公園という事になっていますが荒れ地が広がっていますが、駐車場だけは舗装したエリアがあるので助かりました。駐車場からすぐ見える滝ですが、小さく??と思いましたがこれが天が滝の本体ではありませんでした

これが滝の本体で、冬で水量がすくなくちょっと寂しい感じでした

滝の上部を横から撮影できるような散策路があり、その途中に別の滝がありました

散策路で上にあがり滝の上部を撮影した写真です

県道から天が滝に分岐するところにある神社で地図にも名前がない神社ですが、明治24年という年号が鳥居の右側に彫られていました

道の駅「広見森の三角ぼうし」にあった鬼のモニュメントです。この地域が鬼北町という事で鬼をモニュメントにして「鬼王丸」という名前がついていますが、かなりの迫力です

ここから松山自動車道の三間ICから今治まで一気に移動です。その途中に休憩で立ち寄った伊予灘SAのモニュメントでIYONADAの文字をデザインしています

ハートのモニュメントがたくさんありました。ハートをモチーフにするとインスタ映えすると考えている所が多いのでしょうね

今治まで来た目的は来島海峡大橋で今治市から尾道まで橋でつながるしまなみ海道で四国側の最初の橋が来島海峡大橋です。その橋を眺められる糸山展望台からの写真です

先ほどの写真は来島海峡大橋を撮影したものですが、少し西側の海を撮影しました。海岸線にクレーンの姿が見え、船のドック(造船場)のようです

展望台ではなく下に降りたところにある来島海峡展望館の所からの撮影です。高さが下がったので下から見上げる形になりました

この半島の県道の突き当りまで来ました。 この突き当りの所に小さな岩があり、そこに神社がありました

大隅海浜公園に向かう途中に開けた場所があり、来島海峡大橋が綺麗に見えました

大角鼻海浜公園の所から撮影した来島海峡大橋です。来島海峡大橋は途中の馬島を経由して掛かっていますが、四国側から見て奥の橋です

海浜公園の先端は海に向かって開けた場所ですがクジラを模したモニュメントがありました

岬の先端は公園の遊歩道から先に岩場がつながっていて奥まで歩けるようです。出来ている岩が縦に割れ目が入った岩が多いです

海岸線に人工的な柱が立っています。これは日露戦争当時にバルチック艦隊を迎え撃つために砲台が設けられその距離を測定するための目安とする標準的な高さの柱を建てたそうです。当時のものは大正5年に崩壊したので再建したものになります

大角のスクリューと呼ばれているモニュメントですが、実際のスクリューを展示しています。説明版もありましたが腐食が激しく文字が殆ど読めず英国で造られたくらいしかわかりませんでした

大角のアンカーと呼ばれ先ほどのスクリューと同じように展示してありました。こちらは説明版が読め、重さは21トンで原油を運ぶ50万トンクラスの超巨大タンカーに使用する錨だそうです。(実際に使われたものかどうかは書かれていませんでした)

梶取鼻に向かう途中にあった御崎神社の鳥居です。神社の本殿はかなり先にあるようで、この近くに車を駐車できる場所もなかったので、鳥居を撮影するだけにしました

梶取鼻の先端にある灯台で、岬が西に向かっていて西日が射す時間なので逆光の写真になってしまいました

灯台からさらに先に散策路が通じていたので行ってみる事にしました

急に落ち込むような斜面になっていて、下まで降りる道があり上り下りのロープがありましたが、それを使ってまで下りるという気にはならなかったので、この写真を撮影した所で引き返しました

松山に戻る途中に今治城に立ち寄りました。今治城は瀬戸内海に面した海岸線にある平城で、お堀は海水です。明治の廃城令により建造物は取り壊されましたが、石垣などは残りその後に再建したものです

東側の入り口にある鉄御門です。二ノ丸の表門になり上から攻撃できるようになっていて防御にすぐれています。ここから先は有料で中に入ることが出来ます

今治城の天守で最初は藤堂高虎が五重天守を創建したと伝わっていて、今のものは昭和55年に再建された物です

吹揚神社は今治城の城内にある神社で明治5年から城内にあります。名前は今治城の旧城名から名付けられました

城内をひと通り回り天守まで登って今治市内を見た後に夕方の光で浮きたつ天守を撮影したものです

鉄御門の外にある城壁の大きな石で今治城の中で最大の石で勘兵衛石と言われています。名前の由来は今治城の築城奉行と伝わる渡部勘兵衛にちなんだもので、重さは16.5tonあるどうですが、それをここに据え付けるにはクレーンなどの重機を使わないで行ったのは凄いですね

今治城を見た後は松山空港に戻りレンタカーを返却して夕食です。空港内の食堂で愛媛県の郷土料理の鯛めしを食べました。鯛の形のお皿に乗った鯛の刺身をその下のタレに入れて混ぜた後に、熱々のご飯に載せて食べます

夕食後はセキュリティを通過して搭乗口に向かいますがその案内板を撮影しました。今治はタオルで有名なのでそのCMがあり出発便はまだまだたくさんあります

搭乗口に移動して撮影したもので乗っていく羽田行きの後にJetstarの成田行きが約一時間後にあります。JetstarはJALグループなので共同運航便になっていますね

機内に搭乗しスポットから出発する時に撮影したものがこの写真です

離陸にするときに空港ターミナルビルを撮影したものです

この松山空港を離陸する時の動画を撮影しました

いつもは首都圏の夜景を見るために左側のA席ですが、たまには別の景色をという事でK席を確保し羽田空港に着陸する時の動画を撮影しました。東京湾の海上を進み千葉の工業地帯などを見ながら左ターンしての着陸でなかなかよかったです

帰ってから今回の旅でGPSで記録したログを地図に落としたものはこれです

【5】まとめ

・宇和島城の入場締め切りが意外と早く入城できなくて残念
・遊子水荷浦の段畑は人力で作ったとは思えない迫力だった
・竜串海岸は地質的に面白い場所で行ってよかった
・この旅でかかった費用は次の表の通りです

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