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ひきわり納豆、マサラドーサ、ステークフリットの日。

午前八時。起きてキッチンに行くと、早めに出かけるらしい夫はもう既に朝食を済ませ、私が起きるのを待ってコーヒーを淹れる準備をしていた。体が蛋白質を欲しているので、夫がお湯を沸かす隣で黒胡麻ペースト入りのオムレツを作り、昨日の夜から常温に戻しておいたひきわり納豆と一緒に食べる。今日は朝から雨。いつの間にか季節は小満に入っている。浮腫みやすい私にとって、これからしばらくはせっせと利水作用のある食材を食べて水捌けをよくする時期だ。夫が出かけたあとゆっくりと朝の支度を済ませ、バスに乗って飯倉片町へ。麻布台ヒルズで一通り服を見た後、タワーの三階にあるインド料理店「アヒリヤ」の支店に入りランチのマサラドーサを注文。

私が田舎から出て来た2000年頃、世の中は、というか東京の真ん中だけはちょっとしたバブルの再来というムードだった。1980年台のバブルとは違い、IT業界や外資系の金融業界、メディアとその周辺の人たちと言った一部の人だけが享受していたバブル。当時女子大生だった私は、そのプチバブルと言うダンスフロアの端っこの方で少しだけ踊っていた。毎日大体昼近くまで寝て、ちょっとだけ大学に顔を出してから夕方街に出掛けると、仲の良いお兄ちゃんたちや見たことのあるお姉さんたちが朝まで何でもご馳走してくれた。どこに行っても一番若いから当然みんな優しくて、その頃は六本木や銀座を庭のように思っていたけど、当時から私には欲しいものがほとんどなかった。その物欲の無さのお陰で、きっと私はその浮かれた渦に深く吸い込まれ、最後に散り散りにならなくて済んだのかもしれない。オープンしたてでピカピカの麻布台ヒルズでドーサをちぎりながら、六本木ヒルズや丸ビルが出来たばかりのあの頃を少し想い出した。

生鮮食材売り場で野菜を買ってから、一旦家に帰り明日以降食べるための水キムチを作る。水と米粉を火にかけて糊を作り、おろした生姜とニンニク、アミの塩辛、自家製の梅シロップ、水、塩をよく混ぜ、軽く塩をして余分な水気を切った大根と、キャベツ、プチトマト、アスパラを漬けて常温で置いておく。三時頃夫が柏餅を買って帰って来たので、お茶を淹れておやつにする。夫は和菓子が何よりも好きで、季節になると「そろそろ花びら餅の時期だな」とか「水無月の頃だ」とか言って嬉しそうに買いに行って食べている。昔仕事をしていた頃は、季節感どころか時間や曜日の感覚さえあまりなかったのに。夕方夫は元部下の人たちとの食事に出かけ、私は北京から来た中国人の古い男友達と銀座の「ヌガ」で五年ぶりの再会を祝して乾杯。一時間ほど食事が進んでから、彼の幼馴染で私も仲が良いある男の子の話になった。「彼は元気にしてる?」と聞くと「色々あったけど立ち直って今は一人で子育てを頑張ってるよ」と返事が。離婚したんだなと理解した私は、五年も経てばまあそんなこともあるだろうと思った。ただその別れた茶芸師の奥さんと私は中国茶を通じて古い付き合いになっていたし、パンデミックの間一度も連絡していなかったから、彼女の行方が気になって聞いてみた。すると彼は目を見開いて「聞いてないんだね、死んだんだよ」と静かに言った。

それはあまりに突然で、健康そのものだった彼女はパンデミック中に急に体調不良になり、そのままICUに運ばれ一週間後に息を引き取ったとのこと。同い歳で心優しく聡明な彼女のことが、私は本当に好きだった。2010年の国慶節の夜、中国語がまだまだ下手だった私に極上の中国茶をいくつもいくつも飲ませてくれて、「ジウメイとご飯を食べると美味しい」と毎回会う度に言ってくれた彼女がもうこの世に居ないのだ。一通り話を聞いた頃、メインに頼んでいたステークフリットが運ばれて来て、私は肉を切り分けて彼の皿に乗せ、二人でもう少しだけ彼女の話をした。

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