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書籍紹介 カロル・ロヴェッリ著 冨永星訳『世界は「関係」でできている——美しくも過激な量子論』

科学の本質を探る
 科学とは世界を新たな方法で理解し、時には過激にまで疑問を投げかける力です。科学の本質は、反抗的で批判的な精神による独創的な力であり、既存の概念の基盤を変える力であると著者は力説します。

(略)科学とは、世界を概念化する新たな方法を探ること。時には、過激なまでに新しいやり方で。それは、自分の考えに絶えず疑問を投げかける力であり、反抗的で批判的な精神による独創的な力―自分自身の概念の基盤を変えることができ、この世界をまったくのゼロから設計し直せる力——なのだ。

出所:本書(P11)

量子の波と粒子の二重性
 
シュレーディンガーは、粒子の軌道は波の振る舞いを近しくしたものであると提起しました。この波を「Ψ」と名付け、微小な世界は粒子ではなく波でできているとしました。また、量子重ね合わせという現象が存在し、物理量が粒状(離散的)であることが明らかになったことが示されています。

 二十世紀の初頭に奇妙で理解不能な現象とされていたのは、原子内部での電子の不可解な振る舞いだけではなかった。ほかにも奇妙な現象が観測されていたのだ。そしてそれらの現象には、ある共通点があった。不思議なことにそれらすべてが、エネルギーをはじめとする物理量は粒状〔離散的〕だ、という事実を浮き彫りにしていた。量子の概念が登場するまでは誰一人として、エネルギーが粒状かもしれない、と考えたことはなかった。たとえば、投げられた石のエネルギーは投げる速さに左右されるが、速さはどんな値にもなり得るから、エネルギーも好き勝手な値になれるはずだ。ところが当時行われたいくつかの実験で、エネルギーの奇妙な振る舞いが明らかになっていた。

出所:本書(P43)

量子重ね合わせとその不思議さ
 
量子重ね合わせとは、ある対象が複数の状態を同時に持つ現象です。これにより、電子は一本の経路を進むのではなく、複数の位置に同時に存在することができると説明されます。さらに、観察者と観察対象の相互作用が現実を形作るという「関係論的な解釈」も可能となります。以下に関連の引用を記します。

 量子論の関係を基盤とする解釈、すなわち関係論的な解釈の核には、この理論が、量子的な対象物のわたしたち(あるいは「観測」という特別なことをする特別な実体)に対する現れ方を記述しているわけではない、という見方がある。この理論は、一つ一つの物理的対象物が、ほかの任意の物理的対象物に対してどのように立ち現れるかを記述する。つまり、好き勝手な物理的存在が、別の好き勝手な物理的存在にどう働きかけるかを記述するのだ。わたしたちはこの世界について、さまざまな対象物や事物や存在(物理学で「物理系」と呼ばれるもの)の面から考える。光子、猫、石、時計、木、少年、村、虹、惑星、銀河団、などなど……。だがこれらは、おのおのが尊大な孤独のなかに佇んでいるわけではない。むしろ逆に、ただひたすら互いに影響を及ぼし合っている。自然を理解したければ、孤立した対象物ではなく、この相互作用に注目する必要がある。

出所:本書(P83-84)

 ここでの注目する点は、対象物が孤立して存在するのではなく、相互作用を通じて存在することです。量子論は、相互作用の網としての世界の視点を提供し、孤立した実体としての対象物の概念を超えています。以下で2つの引用を記します。

 こうして振り返ってみると、ボーアのこの観察には、量子論の基盤となったある発見が捉えられている。対象物の属性と、それらの属性が発現する際の相互作用、さらにはそれらの属性が発現する相手とを分離することはできない。対象物の属性とは、とりもなおさずその対象物が別の対象物に働きかけるあり方であり、現実は、相互作用の網なのだ。量子論は、物理的な世界を確固たる属性を持つ対象物の集まりと捉える視点から、関係の網と捉える視点へとわたしたちを誘う。対象物は、その網の結び目なのである。ここからさらに、過激な結論が得られる。対象物が相互作用していないときにもその属性が備わっていると考えることは余計であって、誤った印象を与えかねない、というのだ。なぜなら、存在しないものについて語ることになるから。相互作用なくして、属性なし。

出所:本書(P87)

 一言でいうと、対象物の属性は相互作用の瞬間にのみ存在するのであって、その属性がある対象物との関係では現実でも、ほかの対象物との関係では現実でない場合がある。

出所:本書(P90)

相互作用が織りなす現実
 
量子もつれ(エンタングルメント)は、遠く離れた二つの粒子が相互に影響を及ぼし合う現象です。この現象は、エンタングルメントと呼ばれ、現実の構造を編み上げる普遍的なものです。エンタングルメントは、三者間の相互作用に基づいており、二者間の相関が第三者との関係でのみ発現します。

「二つの対象物の全体としての属性は、三つ目の対象物との関係においてのみ存在する。二つの対象物が相関しているという言いまわしは、三つ目の対象物に関する事柄を表しているのだ。相関は、相関する二つの対象物が、いずれも第三の対象物と相互作用するときに発現するのであって、第三の対象物はそれを確認することができる。エンタングル状態にある二つの対象物の間の遠隔コミュニケーションらしきものによって一見矛盾のようなものが生じるのは、相関が現実のものになるには両方の系と相互作用する第三の対象物が存在しなければならない、という事実を無視しているからなのだ。発現する事柄はすべて、何かとの関係において発現する。二つの対象物の相関はそれらの対象物の属性であって、およそ属性なるものの例に漏れず、さらなる第三の対象物との関係においてのみ存在する。エンタングルメントは、二人で踊るダンスではなく、三人で踊るダンスなのである。」

出所:本書(P105)

絶対だと思っていたことが相対的だった
 量子論は、相互作用の観点から現実を再解釈する視点を提供しているといえます。物理的対象物の属性は、他の対象物との関係においてのみ存在するという本書の視点は、現象を理解するための新しい枠組みを提供しています。この枠組みに関する視点より、従来の物理学で絶対的だったとする実体の概念を覆すことにもなります。

 自分たちが絶対だと思ってきた量がじつは相対的だったという発見は、物理学の歴史を貫く一つのテーマといってよい。物理に限らずすべての科学に、関係論的な思考を見てとることができる。生物学でいえば、生物組織の特徴は、ほかの生物によって形成された環境との関係で理解可能になる。化学における元素の属性は、その元素と別の元素の相互作用のありようからなっている。経済学では、経済的な関係について語る。心理学では、個人の性格は関係の文脈を超えない範囲で存在する。わたしたちはこのほかにもさまざまな事例において、事物を(生命体も、化学組成も、精神生活も)ほかの事物と関わる様子を通して理解している。

出所:本書(P145-146)

物質と意識の関係
 
本書の量子論では、物理世界の本質に関する新しい視点を提供しています。物理的な粒子が「関係」という視点から記述されることにより、これまでの物理学とは違ったアプローチとなっています。以下の引用はその説明です。

 この本の根っこには、わたしたち人間も自然の一部である、という確信がある。わたしたちは、無数の自然現象のなかの一個の具体的な事例であって、それらの現象のどれ一つとして、わたしたちが知っている偉大な自然法則から逃れることはできない。それでいて、誰もが何かの形で次のような問いを発したことがあるはずだ。「もしもこの世界が単純な物質、空間を動く粒子でできているのなら、わたしの考え、主観、価値、美、そして意味は、どうやって生じているのだろう」、「単純な物質」がいかにして色や、感情や、「今ここにいる!」という強烈な感覚を生み出し得るのか。なぜわたしたちは、知り、学び、心を動かされ、驚き、本を読み、理解し、物質自体がどう機能するのかを問うことができるのか。量子力学は、これらの問いに直接答えられるわけではない。主観や知覚や知性や意識といったわたしたちの精神生活のさまざまな側面を、量子を使って説明できるとは思えない。量子現象は、原子や光子や電磁インパルス、さらにはわたしたちの体を構成するさまざまなミクロ構造のすべての力学に介入する。しかしとくに量子的な何かがあって、思考や知覚や主観の何たるかを理解する助けになるわけではない。思考や知覚にはより大きな規模での脳の機能が関係していて、そこでは量子干渉は複雑な騒音に紛れてしまう。量子論によって、心の理解がじかに促進されるわけではない。ただし間接的には、何か適切なことを教えてくれるかもしれない。なぜならこの理論によって、問いの表現が変わるからだ。量子論によると、わたしたちが混乱しているのは、自分たちの直感が誤っているからなのだ。意識の本質(これに関しては、確かに直感が誤解をもたらす)についての誤解だけでなく、「単純な物質」の正体とその機能についての誤解が、決定的な混乱を引き起こす。

出所:本書(P162-163)

 さらに、情報と進化の概念を組み合わせることで、生命体の意味を理解する手がかりを提供します。

 意味は、何かと別の何かを結びつける。それは、生物学的な役割を果たす物理的なつながりであって、だからこそ、自然の要素は別の何かの妥当な記号になり得る。こうしてついに重要な論点へと到達する。物理世界を気まぐれな性質を持つ単純な物質という観点から見ると、相関は補助的な事実である。そこで、それらについて語るには、外から何かを付け加えなければならないような気がし始める。ところが量子力学によって、物理世界そのものが相関、つまり相対情報の網であることが明らかになった。自然界の事物は、尊大な個人主義に陥った孤立する要素の集まりではない。意味や志向性は、至るところに存在する相関の特別な例でしかない。わたしたちの心的生活における意味の世界と物理世界はつながっている。ともに、関係なのだ。わたしたちの物理世界を見る目と心的世界を見る目、この二つの差はこうして縮まる。

出所:本書(P175)

 この世界に関するわたしたちの知識は、多かれ少なかれ関連のあるさまざまな科学において、明確に表現されている。物理学がそのような知識の構成要素の一つとして果たしてきた役割は、量子によってあるいは空虚なものとなり、あるいは豊かになった。すべての基礎となる基本的実体を明らかにした、という十八世紀の機械論の主張は立ち消えになり、その一方で、現実の文法、つまり根本原理に関するわたしたちの洞察はさらに進んだ。たとえその推論が唖然とするようなものであったとしても、以前の総合よりも豊かで精妙であり、そのおかげでわたしたちはこの世界についてさらに明確に考察できるようになった。

出所:本書(P184-185)

色即是空と現代物理学の共通点~日本語版解説のあとがきから~
 
日本語版解説で竹内薫氏は、「物理学は超理系、難しい数式だらけ、複雑怪奇な実験設備といったイメージが強いかもしれないが、物理学のルーツに遡れば、それは自然哲学であり、この世界の仕組みを解き明かす思想である」と述べています。数式や実験はその道具にすぎず、思想そのものが物理学の本質であると伝えてくれています。竹内氏はまた、「この本は、量子力学の黎明期に活躍した偉大な物理学者たちの思索の過程と人間模様から始まり、モノの姿が立ち消えてコト(=関係性)が主役の座を奪ってゆく現代思想としての量子物理学の世界が描かれている」とします。
 さらに、「この本の最大の魅力は、色即是空と現代物理学の共通点をわかりやすく説き起こした点にある」とし、東洋思想と現代物理学の接点を強調しています。物理学を避けた私などの読み手にも、現代物理学が哲学であるというメッセージを伝えるものであり、物理学を学んだ理系の読者にも、数式や実験の背後にある思想の重要性を伝える内容となっています。
 加えて、訳者あとがきにも、同様の視点があります。ロヴェッリのループ量子重力理論が、相対性理論と量子力学を統一する最終ゴールを目指す試みであり、その哲学的な意義が示されています。

最後に
 本書は、物理学の黎明時期から現代の量子物理学に至るまでの物理学者の思索の歴史が描かれています。そして、物理学を哲学的に探究するに至った量子物理学の現状を「美しくも過激な量子論」として提供しています。物理的世界と心的世界の統合への示唆をいただける一冊です。



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